多田哲哉さんが“復活”を願うクルマは?
2024.07.30 あの多田哲哉のクルマQ&A「クラウン」のようにコンセプトを変えつつ代を重ねるクルマもあれば、モデルチェンジを続けず消えたモデルもあります。そんななか、「あれを今の技術で復活できたら最高なのだが……」と思うクルマはありますか? プロのエンジニア目線で、これ! というものがあれば教えてください。
それはずばり、KP61。1978年に登場した2代目「トヨタ・スターレット」です。
下りのダートにおいて、あれくらい思いどおりに走れるクルマというのは、いまだかつて経験したことがありません。パワフルでもないので上りは特に印象的ではありませんが、下りになったとたん、がぜん元気になる(笑)。
ではKP61のなにが技術的に優れていたのか? このクルマは、足まわりを含めてつくりが非常にシンプルで、圧倒的に軽かったのです(※カタログ上の車重は3ドアモデルで695~725kg)。
あの当時は衝突安全対策もないに等しかったので、そのぶん車重が増加することもありませんでした。それに、車体も小さかった(全長×全幅×全高=3680×1525×1380mm)。その走りの感覚は、“1t切り”くらいのクルマでは体感できない……700~800kgレベルでないと決して得られないものなのです。
一方で、ステアリングがラック&ピニオン式なのは当時としては珍しく、画期的でした。なにせ、ラリー界で活躍していたTE27「レビン」ですら、くたくたに遊びの多いボールナット式を採用していた時代です。「切ったほうにクルマが自在に動くハンドリング」を実現していたKP61の走りは、本当に魅力的でした。
じつは私が「86」をつくるときも、KP61を思い出して「あんなふうに仕上げられたら……」と思いつつ開発に取り組みました。結果、かなり近づけたとは思うものの、やはり、あのクルマに乗っていたときの“下りの感覚”にはいきつくことはできませんでしたね。86の時代は安全対策を含め法規用件がたくさんあって、それを踏まえてボディーの軽量化も図ったのですが、その仕上がりたるや、KP61と比べてしまえばレベルの違う“重いクルマ”です。
KP61のあの走行感覚を、現在の市販車に求められるさまざまな法規用件を通したうえで再現するのは極めて難しい。もしくは、ものすごく高価なクルマになってしまいます(苦笑)。復活してほしいけれど、現実的には、法律が変わらない限り難しいでしょう。
やっぱり、軽さというのは何にもまして大事なんです。しかし、皆さんがいうほど、簡単にはいかない。軽くすることは信頼性その他と表裏の関係にありますし、ちょっとやそっとの軽量化では違いは体感できませんから……。
KP61についてさらにいえば、駆動方式がFRだったというのも大きかったですね。むかしはFR車が多かったからああいうクルマが安くつくれたのですが、今やるとなると、何もかも専用部品を用意しなければなりません。
しかしながら、KP61は「あの感覚を今の若い人にも味わわせてあげたい!」って思うほど、楽しいクルマでした。いろんな意味で若いクルマファンを取り込んで、さらにクルマ好きを育ててもくれた。これまで述べてきたとおり復活は難しいとは思いますが、「絶対にできない」ともいえない(笑)。そこは若いエンジニアにがんばってもらって、またああいうクルマをつくってほしいなと思います。
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多田 哲哉
1957年生まれの自動車エンジニア。大学卒業後、コンピューターシステム開発のベンチャー企業を立ち上げた後、トヨタ自動車に入社(1987年)。ABSやWRカーのシャシー制御システム開発を経て、「bB」「パッソ」「ラクティス」の初代モデルなどを開発した。2011年には製品企画本部ZRチーフエンジニアに就任。富士重工業(現スバル)との共同開発でFRスポーツカー「86」を、BMWとの共同開発で「GRスープラ」を世に送り出した。トヨタ社内で最高ランクの運転資格を持つなど、ドライビングの腕前でも知られる。2021年1月に退職。