「〇円のコストの違い」は車両開発にどう影響する?
2024.08.13 あの多田哲哉のクルマQ&A自動車開発のエピソードとして、しばしば「〇円コストダウンできた」「開発費の制約が厳しい」といった話を聞きます。しかし、具体的な削減額が(パーツ単位では数円から数百円レベルであるなど)少額だったりするので、「総額数千円、数万円程度の上乗せならユーザーも負担できるし、それでクルマがよくなるならお金をかけてつくるべきでは?」と思うことがあります。こうしたコストカットは、メーカーやユーザーにどの程度のメリットをもたらすのでしょうか? 費用対効果はどう判断するのでしょうか? 可能であれば教えてください。
残念ながら、走りに関する投資というのは、その成果がわかる方やこだわられる方が、お客さま全体に占める割合でいうと非常に少ないのです。
実際、メーカーに届くさまざまなクレームを分析しても、ステアリングがどうの、乗り味がどうのという注文は極めて少ない。自動車雑誌の記事を読んでいるような少数のカーマニアに限られてしまいます。
一般的には、どこかが壊れるとか荷物が積みにくいとか、頭をぶつけたとか、そういう話がほとんどです。なので、クルマの企画を練って、予算が決められて、どこにいくらかけるのかという計画に対して承認をもらう際に、「走りにかかわる部分にお金を使います」というのは、スポーツカー以外ではハードル高いですね。
「そんなところに1000円使うのなら、目の前のパネルの材質をよくしなさい!」という話になる。営業部門からも、見栄え、手触りがよくなることにお金をかけたほうがいいと強いリクエストがきます。なかなか「走りの質感」的なことには予算を割けないのです。
それが日本のクルマづくりではずっと続いていて、だからボディー剛性が足りないと言われた時期もありました。しかし、たまたま衝突安全性への要求が高まった結果、ボディー剛性も上がっていって……という展開で、操縦安定性も欧米のレベルに追いついたという皮肉な歴史があります。
お金をどう使うかというのは、結局、お客さん次第。それも、人によって価値観がずいぶん違うのです。ここに金をかけてほしいという人もいれば、いやいや、そっちに使ってほしいという人もいる。そんな次第で、今の流れとしては、なるべくオプション化して選んでもらうことになっています。最近は「追加費用を払うことで、ECUのソフトを書き換えパワーアップさせる」というメニューもありますし、オプションは今後ますます細分化していくでしょう。
ベースのコストに関しては、1000円、2000円ともなれば結構大きな金額です。1000円を超えると、明らかにインテリアの質感・触感が変わってくる。例えば、エントリーグレードでは地肌むき出しのパネルに上等な表皮をあしらうのに必要なお金は、何百円、数千円ですから……。パッと見でよくわからないサスの動きをよくするのに1000円かけるよりは、そっちに使おう、となります。それがユーザーニーズの現実なのです。
クルマ好き・自動車マニアなら「(内装にかけるお金はそのままに)サスのために、もう1000円、2000円のコストを上乗せしてくれてもかまわない」と言うかもしれません。ただ、そういう方は全体では極めて少数なのです。
「クルマは必要だけれど、クルマなんかにかけるカネは少しでも少ないほうがいい」と考える方が、世の中では圧倒的多数です。これは、マニアには理解しがたい現実ですが(苦笑)、荷物を運ぶとか、家族が快適だとか、目的を達成できさえすれば、あとは1円でも安いほうがいい。それが大半なんです。
私がZ(トヨタの車両開発組織)に配属された当初、一番悩んだのもそこなんです。「ハンドルを切った瞬間にわかる違いなんだから、そんなケチなことをいわずに(走りの質感向上に)あと50円くらいかければいいじゃないですか」と訴えて大いにしかられたことがあります。「50円が10回重なれば500円だろう!」「500円も(お客さまの目に見えるところに)使ったら、はるかに豪華なクルマになるだろう」と。私は「そんなところ、レザーにしてくれなくても結構ですけどね」などと思ったのですが、「なにもわかっとらんな」と怒られましたね。あれから20年、今は走りに手を抜くと、モリゾウさんから大目玉を食うことになるそうですが(笑)。
なおメーカーにとっては、1000円の差は10万台では1億円。年間1000万台つくるとなれば100億円の差になります。大変大きな金額といえるでしょう。
→連載記事リスト「あの多田哲哉のクルマQ&A」

多田 哲哉
1957年生まれの自動車エンジニア。大学卒業後、コンピューターシステム開発のベンチャー企業を立ち上げた後、トヨタ自動車に入社(1987年)。ABSやWRカーのシャシー制御システム開発を経て、「bB」「パッソ」「ラクティス」の初代モデルなどを開発した。2011年には製品企画本部ZRチーフエンジニアに就任。富士重工業(現スバル)との共同開発でFRスポーツカー「86」を、BMWとの共同開発で「GRスープラ」を世に送り出した。トヨタ社内で最高ランクの運転資格を持つなど、ドライビングの腕前でも知られる。2021年1月に退職。