第912回:“先生”は「フィアット500」だった 街角メカニック兄弟の物語
2025.05.29 マッキナ あらモーダ!あの時代まで引き戻された
先日、筆者が住むシエナ県で、ある修理工場を訪ねた。理由といえば、17年落ちのわが家のクルマのエアコンに、ガスを充塡(じゅうてん)してもらうためだった。残念なことに、そこにはしかるべき機器がなかった。だが、そのメカニックは近隣の工場を親切に教えてくれた。
帰ろうとしてふと気づいたのは、「フィアット600」が外にたたずんでいたことである。後ろヒンジ・前開きドアの前期型だ。内外とも修復が施されていて、好コンディションである。思わず「これ、おじさんのですか?」と聞いたら、メカニックはお客のものだと教えてくれた。後部からエンジン音が聞こえる。引き渡し前に暖気をしているのだろう。
筆者が「イタリアの経済成長時代の象徴だ」と感想を述べると、そのメカニックの口からは意外な言葉が発せられた。「その象徴ならもう1台あるぜ」。そして続いてこう告げられた。「俺のも見てってよ」
導かれるまま工場内に入ると、黄色い「フィアット・ヌオーヴァ500」が一角に収められていた。先ほどの600といい、昔の雰囲気を残す工場内といい、いきなり時計の針が戻されたような錯覚を覚えた。
クルマを観察する筆者の脇で、彼は説明を始めた。「ステアリングを小径のスポーツタイプに交換して、エンジンもちょっぴりパワーアップを図ってる。近いうち、後ろのバンパーにはコーナーガードをつけるつもりだ」。筆者が初対面にもかかわらず、語りは妙に熱を帯びていた。
彼は自分の名がナターレであることを教えてくれた。Nataleとはイタリア語でクリスマスを意味する。「12月25日生まれだから、両親がそう命名したんだ」
やがて赤いツナギを着たおじさんが彼の脇にやってきた。ナターレさんは「これは俺の兄貴、ピーノだ」と筆者に紹介してくれた。兄弟で営んでいる工場だったのだ。
ばらしては組み立てて……
ピーノさんは1948年、ナターレさんは1961年生まれ。13歳違いの兄弟だ。ナターレさんは語る。「俺たちの両親は第2次大戦後、南部のシチリア島から北部のアレッサンドリアに移住した。親父はトラック運転手をして一家の生計を支えていたんだ。親戚にも同業者が多かったよ」。その影響で、彼らも早くから自動車に興味を抱いたという。
ピーノさんは、あるレーシングチームでの修行を経て、1970年代初頭に現在の修理工場のあるじとなった。ナターレさんは学業を終えて、兄のもとで働き始めた。彼によれば、兄に匹敵する親方がいたと振り返る。それは先に登場したフィアット・ヌオーヴァ500だった。「各部の分解と組み立てをひたすら繰り返して、修理の作業を覚えたんだよ」。極度に単純化された500の機構は、格好の教材であったのだ。同時に、500の顧客が多かったので、すぐ実践に生かせた。
ナターレさんの話は、各国のクルマ比較に及んだ。「日本車のデザインは、正直なところ、昔からイタリア人のマインドに合っているとはいえない」と、まずは辛口の意見が。だが、そのあとでこう続けた。「収納部の使い勝手も含め操作性という点では、欧州車は早くから日本車に追いつけなくなった」。それ以上に、彼が印象的だったことがあるという。「日本車はアルミダイキャスト製のシリンダーブロックをいち早く手掛け、その採用を低価格車にも見る見るうちに拡大していった。それは欧州車と完全に差がついたね」。それに似た進化と改良の道程をたどってきたのは韓国ブランドだった、とも語る。
そう振り返る彼に、気になる最新型車を聞くと、「フィアット・グランデパンダ」と即答してくれた。理由は、初代パンダをほうふつとさせる凛とした直線的なデザインであるという。
クルマ好きは幸せだ
修理の仕事の喜びは? その質問に答えてくれたのは、再びナターレさんだった。「この仕事は決して楽ではない。強い忍耐力が必要だ。でも1台の作業が終わったときの充足感は大きい。それに長年俺たちを頼ってくれるお客さんがいることが、毎日励みになるんだよ」。筆者が話をしている間にも、近所のお年寄りが白い3代目「フィアット・パンダ」を持ち込んできた。
やがてピーノさんが「俺はフェラーリを1台持っているんだぜ」と言って消えた。しばらくして大切に抱えてきたのは「ラ・フェラーリ」のモデルカーだった。なんともおちゃめである。2025年で77歳。「かくしゃくとしておられますねえ」と筆者が声をかけると、まだまだ現役といわんばかりに、その場でなんと腕立て伏せを披露してくれた。工場の上階に住んでいるので「消防士のごとく、すぐに降りて来られるんだ」という。ビジネスライクなディーラー工場には到底あり得ない、愉快な空気にあふれていた。
初対面でも国籍を超えて熱い話が始まる。クルマ好きは、なんと幸せなことよ。このように、ふらりと訪れてもクルマ談義に花が咲く街工場が、イタリアからも少なくなりつつあるのは寂しいことだ。
(文と写真=大矢アキオ ロレンツォ<Akio Lorenzo OYA>/編集=堀田剛資)

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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