ロールス・ロイス・ファントム・クーペ(FR/6AT)【海外試乗記】
女神が創りしクーペ 2008.11.06 試乗記 ロールス・ロイス・ファントム・クーペ(FR/6AT)……4998.0万円
庶民には縁遠い存在のロールス・ロイスだが、「ファントム・クーペ」に乗り込んだ『CG』大谷達也は、試乗しているうちに親しみが湧いてきたという。その理由とは?
『CG』2008年9月号から転載。
ドライバーズカーの誇り
目の前に佇んでいるファントム・クーペは、見る者に畏怖の念を抱かせるくらい、圧倒的な存在感を放っている。全長は5.6mを超え、全幅が2m、全高は1.6mに迫る外寸なのだから、その大きさだけでも人を怯ませるには充分だが、初顔合わせから1時間と経たないうちに、それまで萎縮していた私の気持ちは解き放たれ、ある種の寛ぎさえ感じられるようになっていた。そして悟った。この車には、なにか神秘的なものが宿っているに違いない、と。
まったく縁遠い世界といってしまえば、それまでだ。ロールス・ロイスの顧客は、不動産を除く純資産が3000万ドル(約32億円)以上の超富裕層が中心という。スーパーリッチと呼ばれる“彼ら”は、メリルリンチなどの調査によると全世界で10万3300人を数えるにすぎない。いや、10万人以上もいると驚くべきか。
いずれにせよ、イギリス・グッドウッドの工場で丹精込めて作られるロールス・ロイスの数は、2007年にようやく年間1000台を超えたばかり。つまり、1年単位で見ていくと、スーパーリッチ100人につきひとりしかロールス・ロイスを手に入れられない計算になる。しかも、このクラスでは同一ブランドの複数台所有が半ば当たり前になっているので、実際に“フライングレディ”を我が物にできる幸運な人物は、“100人にひとり”よりさらに少ないと推測されるのである。
ロールス・ロイスを縁遠い存在としているもうひとつの理由は、この車は本来ショーファードリブンカーであるとの認識に根ざしている。しかし、これはどうやら完全な誤りのようだ。
同社は、1920年代からドライバーズカーの代名詞であるクーペやドロップヘッドクーペなどを連綿と生産してきたほか、技術的には静粛性、耐久性/堅牢性、そして優れたドライバビリティを何よりの特徴としてきた。つまり、価格面では相変わらず縁遠いものの、ドライビング・プレジャーという面でいえば、ロールス・ロイスは意外にも我々エンスージアストにとって身近な存在といえるのだ。
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豪華かつ心安らぐキャビン
がっしりとしたハンドルを握り、自動車のドアというよりも立派な注文住宅の玄関を思わせる重々しい扉を開いて、車内に身を滑り込ませる。ドアは、ファントム・サルーンのリアドアやファントム・ドロップヘッドクーペ(dhc)と同じリアヒンジ式のため、実際にはやや前方から乗り込む必要がある。フロアは高め、シートの座面も相対的に高いので、着座するとフォーマルな席のダイニングテーブルに向かっているがごとく、背筋がシャンと伸びたポジションになる。しかも、大径のステアリングホイールもやや高めの位置に取り付けられているから、だらけた姿勢はとりようがない。このシートに腰掛け、細いリムのステアリングホイールを軽く握っただけで、自分が英国紳士になったかのような気高い心持ちを味わえるのだから、なんとも不思議である。
インテリアの仕上がりを説明するのに多くの言葉は必要ない。コストを度外視し、最高の素材を理想のクラフツマンシップで仕上げる。そうして作り上げられたロールス・ロイスのインテリアは、大量生産される一般的なモデルとはまったくの別世界をかもし出している。それは、筆者が知っているどんなに高級な家具と比べても見劣りせず、ため息が出そうなほど高いクォリティで仕上げられている。しかも、これ見よがしの派手なデザインに陥っていないところが好ましい。ひと言でたとえるなら、ロンドンで古くから営まれてきたホテルの品のいいバー、といった風情である。
リモコンキーをダッシュボードに差し込んでからスターターボタンを軽く押す。ただし、エンジンがかかってからもノイズやバイブレーションはほとんど看取できないから注意が必要だ。乱暴に扱うと折れてしまいそうなほどか細いシフトレバーはステアリングコラムからはえている。
ポジションはP、D、Rの3つのみで、軸方向に押すとP、一旦手前に引いてから押し下げるとD、反対に引いてから押し上げるとRに入る。パドルシフトの類は、ロールス・ロイスにはふさわしくないとの理由で採用されなかったが、ステアリング上にはスポーティなシフトスケジュールを選択するための「S」ボタンが用意されている。
ファントム・クーペは「ロールス・ロイスのなかでもっともドライバー指向が強く、ダイナミックなドライビングが味わえる」と位置づけられているが、この「S」ボタンの存在は、そうしたキャラクターを端的に表わしているといえるだろう。
グランドツアラーの資質
現代のファントム・シリーズに初めて乗った人は、その発進のマナーに必ずや感動するはず。それは、金属製歯車の組み合わせによってトルクが伝えられていることが信じられないほど滑らかで、心地いい。とにかく、カクンと動き出す、あの自動車特有のショックがまったく感じられないのである。そのスッと動き出す様は、よくできたエレベーターを連想させるものだ。
最高出力460ps/5350rpmと最大トルク720Nm/3500rpmを生み出す6.75リッターV12エンジンは、チューニングを含めて「ファントム・サルーン」やファントム・ドロップヘッドクーペとまったく同じ。どこからか「クーペなのに、なぜ?」という声が聞こえてきそうだが、先にも述べたとおり、ロールス・ロイスが作り上げようとしたのは「ダイナミックなクーペ」であって「スポーティなクーペ」ではない。開発に際してイメージされたのが、バカンスを南フランスで過ごすためにヨーロッパ大陸を縦断するグランドツアラーだったというから、闇雲にパワーを追い求める必要がなかったことも納得がいく。
それにしても、ダブルVANOSと直噴技術が採用されたこのV12エンジンは、静粛性、スムーズさ、そして低回転域でも力強いトルク特性などの点において、ファントム・クーペにうってつけのパワープラントといわざるをえない。また、路上では王者のごとき貫禄ある振る舞いを示すいっぽうで、いざとなればZF製の6段ATを介し、0-100km/h加速を5.8秒でこなす。そうしたパフォーマンスを、2580kgのアルミ製軽量ボディと自然吸気式直噴エンジンの組み合わせにより、効率よく実現しているところが実に知的である。
路上の王者
ハンドリングと乗り心地のバランスが傑出している点は、ファントム・クーペ最大のハイライトといえる。どんな基準に照らしあわせても快適と表現するしかないその乗り心地は、わずかにソフトな手触りを残しつつ、無駄な動きを極力廃した秀逸なもの。サーボトロニックを採用したパワーステアリングはやや軽めだが、路面からのインフォメーションが豊富で、タイアの接地している様子が手に取るようにわかる。
そして、直径400mmはあろうかという大径のステアリングをスルスルときると、長大なボンネットは意外なほど機敏に向きを変えてくれるのだ。もちろん、その動きは決して過敏ではなく、あくまでも人間の自然な感覚の範囲だが、細いリムをつまんだ中指と親指に込めた力を少し加減しただけでも面白いように狙ったラインをトレースしていく。まさに、ドライバーズカーの面目躍如といったところである。
そうやってワインディングロードを小気味良く走っているうちに、ハタと気がついた。初対面したときに感じた畏怖の念はすっかり消え去り、私には果てしなく縁遠かったはずのファントム・クーペに親しみを覚え始めていたのだ。理由は、おそらく3つある。その巨躯からは信じられないほど軽快なドライビングを楽しめたことが、理由の1番目。そして2番目としては、運転席からの視界が良好なうえにボディの見切りが容易で、狭い道でも気を遣わずに済んだことが挙げられる。
3番目の理由は、説明するのが少し難しい。試乗日当日、私は朝から晩までこのファントム・クーペに乗っていたが、一日中走らせていてもまったく飽きることがなかった。もしもファントム・クーペが、パワーとスタビリティだけを徹底的に追求した車だったら、こんな気持ちにはならなかっただろう。それどころか、ガソリンを浪費し、路上を我が物顔で走っている自分に嫌悪感を覚えたはずだ。
しかし、ファントム・クーペを操るという行為は、もっと気品に溢れていて、創造的な作業に思えてならなかった。どうしてそんな風に感じたのか、私にはわからない。それでも、「秘密はスピリット・オブ・エクスタシーに隠されている」と告げられたなら、きっとその言葉を信じてしまっただろう。
(文=大谷達也/写真=Rolls-Royce Motor Cars)

大谷 達也
自動車ライター。大学卒業後、電機メーカーの研究所にエンジニアとして勤務。1990年に自動車雑誌『CAR GRAPHIC』の編集部員へと転身。同誌副編集長に就任した後、2010年に退職し、フリーランスの自動車ライターとなる。現在はラグジュアリーカーを中心に軽自動車まで幅広く取材。先端技術やモータースポーツ関連の原稿執筆も数多く手がける。2022-2023 日本カー・オブ・ザ・イヤー選考員、日本自動車ジャーナリスト協会会員、日本モータースポーツ記者会会員。
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