第42回:大将、しっかりしてくださいヨ!「チンクエチェント旅館」の支配人は熱かった
2008.05.24 マッキナ あらモーダ!第42回:大将、しっかりしてくださいヨ!「チンクエチェント旅館」の支配人は熱かった
私のコレクションをお見せしましょう
自動車雑誌『NAVI』2008年6月号のフィアット・チンクエチェント(500)特集で、ボクは元祖500レンタルサービス付きのホテルをレポートしている。「500エクスペリエンス」と名づけられた2泊3日の宿泊プランで、料金もペアで「500」ユーロと洒落を効かせてある。
場所はトリノから約50kmの町にある「アルテル・ホテル・レジデンス」だ。19世紀末にジャム工場として建てられ、その後繊維工場としても使われた建物を、支配人で建築家でもあるマルコ・ルチアーノ氏が改装。2年前に22室の4ツ星ホテルとしてオープンしたものである。
館内にはクールなデザイン家具が各所にアクセントとして多数置かれている。気に入った家具があれば、ルチアーノ氏が購入できる店をアドバイスしてくれるそうだ。
ところが、キール・ロワイアルのアペリティーヴォを飲むか飲まないかのうちに、オーナー兼支配人のマルコ・ルチアーノ氏は、「私のコレクションをお見せしましょう」とボクを地下に案内する。
なにかと思えば、そこは戦前型フィアット6台のガレージだった。
1930年代のフィアット工場に使われていたのと同じ素材という、木製の床が広がる。
ショーケースには、“FIAT”と書かれた髭剃りの刃があった。フィアットがありとあらゆるものを作っていた時代のものだ。さらには、フィアット工場内の自警消防団のヘルメットなどという珍品もあった。
「BGMは、これがいいでしょうね」と言って、ルチアーノ氏がかけてくれたのは、クルマの名前が歌詞に織り込まれている戦前のカンツォーネ特集だった。
クールな宿の中に、熱いエンスージアスト支配人あり、だったのである。
文明開化の音がする
翌朝は、いよいよ元祖「500」のドライブ体験である。
ドアは前期型の後ヒンジだ。一応古いクルマなので、恐る恐る閉めようとすると、「ドーンと閉めて大丈夫ですよ」と、ルチアーノ氏は笑った。
独特のエンジン始動法や、古いクルマの常である自動に戻らない方向指示器など、ちょっと戸惑うことはある。しかし基本的お作法を知っていれば、誰でも運転できる。
弱いサイドブレーキも、その昔路駐した車内でイチャイチャしていたカップルが、ズルズルと下がってしまったという伝統的逸話を思い出させてくれる。
サイドウィンドウは天地が狭くて顔が出せないが、それはボクのデカ顔のせいだ。必要書類にサインをしたあと、ルチアーノ氏からキーを渡されていよいよ出発である。
レストランのヴィレンティーナ嬢がピクニックランチを持ってきてくれた。その藤籠も、実はこだわりものだった。
当時のフィアット広報写真を検証し、できる限り近いものを骨董ショップで入手してきたのだそうだ。「結構高かったです」とルチアーノ氏は苦笑する。
最初室内に漂っていたガソリン臭も、走りだすと周囲の草いきれ(ときには堆肥の匂い)にかき消された。
空冷2気筒エンジンが背後で歌う。500で初めてクルマというものを知ったイタリア人に、それは文明開化の音だったに違いない。
ダイレクトな操縦感覚と、意外に少ない突き上げにも驚く。月賦で500を手に入れ、家族を満載してシチリアの故郷まで帰省したフィアット工場労働者の喜びが伝わってきた。
どこまでも劇場型
その晩も、ルチアーノ氏とフィアット談義で花が咲いた。
「戦前のFIATマークのデザインは、標準仕様、特注、そして外国の他社製ボディできちんと区別されていたんですよ」といった、こんどはちょっと上級篇のお話だった。
聞けばルチアーノ氏は、欧州各地のヒストリックカー・ショーを覗いては、フィアット車やグッズを集めているのだという。
思えば、彼に出会ったのも1年前、パリのレトロモビルだった。ボクが泊まった直後にも、彼はショーに旅立った。エンスージアストには、こんなに泊まり甲斐のある宿はない。しかしちょっと待てよ。
西田敏行がテレビドラマで演じる旅館主人のごとく「ちょっと俺、出かけてくるわ」と出て行ってしまうのだとすると、従業員にしてみれば「若大将、しっかりしてくださいヨ」という支配人なのかもしれない。
イタリアは、どこまでも劇場型である。
Alter Hotelのサイト
http://www.alterhotel.it
(文と写真=大矢アキオ Akio Lorenzo OYA)

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、25年間にわたってリポーターを務めあげる。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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