第163回:老夫婦はキャンピングカーで最後の旅に出る
『ロング,ロングバケーション』
2018.01.25
読んでますカー、観てますカー
1970年代のウィネバゴで南へ
ヘレン・ミレン72歳、ドナルド・サザーランド82歳。主人公を演じる俳優は合わせて154歳だ。『ロング,ロングバケーション』 は、老夫婦がボストンからフロリダへ旅するロードムービーである。アメリカ東海岸の北部から最南端までは約2700km。50年の結婚生活で何度も一緒に旅行に出掛けた古いキャンピングカー「ウィネバゴ・レジャーシーカー」に乗っていく。1970年代のモデルだろう。
内装はいい感じにヤレていて、生活臭に満ちている。ダッシュボードの上に扇風機が2つ据えられていたりして、手作りカスタム感がいい雰囲気だ。エンジンにガタがきていることは、さすがにちょっと気になる。マフラーから常に白煙が出ているのは、オイル上がりかオイル下がり、あるいはその両方だろう。排気がクリーンでない様子が繰り返し映される理由は、ラスト近くになってわかる。
ジョン(サザーランド)とエラ(ミレン)は結婚して50年になる。高齢だから、体調は万全ではない。子供たちはエラを入院させることにしていたが、彼女は早朝に家を出た。2人がいないことがわかって大騒ぎになるが、エラは息子に電話して「旅行に行くだけ」と話す。そう言われても、安心できるはずがない。彼らが心配しているのは、むしろジョンのほうなのだ。
しばらく走って昼時になり、エラはそろそろランチにしようと夫に話しかける。彼も腹は減っているようなのだが、「I want a burger……」としか言わず、なんだか上の空だ。もともとはヘミングウェイを研究していたインテリだが、認知症が進行している。自分が何をしているのか、どんな状態にあるのか、はっきりとはわかっていない。レストランでは、ウエートレス相手に文学論を講義し始める始末だ。
ドライバーは認知症
運転するのはジョンだから、子供たちは気が気ではないのだ。日本でも老人が高速道路を逆走したり、ブレーキとアクセルを踏み間違えてコンビニに突っ込んだりする事故が相次ぎ、免許証自主返納が奨励されている。幸い記憶力が低下しても運転は身体が覚えているようで、ジョンは手慣れた様子でドライブを続けた。街では選挙カーとすれ違う場面が多い。トランプが大キャンペーンを張っているのだ。これは、2016年夏の物語である。
バージニア州に入り、チェサピークの歴史村を訪れる。偶然出会ったのは、教師時代の教え子だ。ジョンは急に覚醒して記憶を取り戻し、思い出話を始める。頭はさえわたり、知的な会話を交わす姿は別人のようだ。ジョンはいわゆる“まだらボケ”状態なのだろう。少し良くなったかと思うともとに戻るという繰り返しで、この時も数分後には自分が誰と話していたのかも覚えていなかった。
夜はオートキャンプ場で宿泊する。隣の場所の家族から「いいクルマですね!」と声をかけられていたから、レジャーシーカーは古くても憧れのキャンピングカーなのだ。食事が終わると、外でウイスキーを飲みながらスライドショーを楽しむ。映し出されるのは、思い出の写真だ。2人がまだ若く子供たちが小さかった頃の姿が次々に現れる。楽しかった出来事を語り合ううちに、ジョンの記憶は混乱し始めた。現在と過去が入り交じり、現実の自分がどの時点にいるのかが判然としない。
ガソリンスタンドで給油中にエラが電話をかけていると、ジョンは1人で出発してしまう。意地悪をしているのではなく、忘れてしまったのだ。運転しながらコーラの栓を開けていて蛇行運転すると、パトカーに停車を命じられる。エラは気の休まる時がない。
最後の旅路にふさわしいクルマ
おねしょをすることもあり、ジョンはどんどん子供に戻りつつあるようだ。民主党支持だったはずなのに、トランプ集会に迷い込むとうれしそうに「USA! USA!」と連呼しながら行進する。そのくせ妙なことをはっきり覚えているから厄介だ。結婚する前にエラが付き合っていた元カレのことを思い出すと、腹を立てて暴言を吐く。
ジョンの症状は確実に悪化している。エラが自分の妻であることさえ、常に認識しているわけではないのだ。ついには彼女に向かって、「リリアン」と呼びかけてしまう。結婚当時から隣家に住んでいた女性と間違えているらしい。昔話をしているうちに、とんでもない事実を告白してしまった。ジョンは妻と話しているつもりはないから、彼女が激怒する理由がわからない。
監督は、イタリア人のパオロ・ヴィルズィ。この連載では以前『人間の値打ち』のDVDを紹介したことがある。数々の受賞歴を持ち、今やイタリア映画界を代表する名匠となった。アメリカで映画を撮るのはこれが初めてである。ずっとオファーを断っていて、今回も引き受けるに当たっては実現しそうのない条件を出したという。それがドナルド・サザーランドとヘレン・ミレンの出演だったのだが、2人がOKしてしまった。
『人間の値打ち』では、人物描写の小道具として「アウディA4 」や「マセラティ・クアトロポルテ」を的確に使っていた。映画にとっての自動車の重要性をよく知っている監督である。アメリカ人が強い思い入れを持つキャンピングカーは、老夫婦の最後の旅路にふさわしい選択だということがわかっている。
老いることの素晴らしさと深刻さ
美少女アイドルとイケメンの学園恋愛モノばかりが並ぶ日本映画のラインナップを見ていると悲しくなってしまうが、実は老人映画の良作も公開されている。2017年の『人生フルーツ』は、愛知県の高蔵寺ニュータウンに住む90歳と87歳の老夫婦の暮らしを描いたドキュメンタリー。夫はこの地域の宅地開発を担当した建築家である。妻は家の敷地で育てた野菜と木に実った果実を使っておいしい料理を作る。生活そのものが、2人が丹精を込めた作物なのだ。
2016年に公開された韓国映画『あなた、その川を渡らないで』は、98歳の夫と89歳の妻の田舎暮らしに密着した。家のまわりを掃除しながらふざけ合い、街に行く時はおそろいの服を着て出掛ける。手をつないで歩く姿がなんともかわいらしい。どちらの作品も、こんなおじいちゃん、おばあちゃんになりたいと思わせてくれた。
残念ながら、老いるということは素晴らしい面ばかりではない。『ロング,ロングバケーション』では、誰もが直面しなければならない深刻な現実がテーマとなっている。西部 邁のような知性ですら避けることのできなかった、重い問いが残された。フロリダの陽光の下で、長い休暇が終わる。悲しい結末は、同時に救済でもある。
ナンバーワンMILFのヘレン・ミレンだから、ちゃんとサービスシーンも用意されている。2005年の『サイレンサー』でのキューバ・グッデン・ジュニアとの激しい行為にも驚いたが、今度はお相手がおじいちゃんなのだ。アカデミー賞女優の演技に懸ける覚悟には感服せざるを得ない。
(文=鈴木真人)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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