第656回:コロナ禍で販売の最前線はどうなった? イタリアの自動車ディーラーの現状をリポート
2020.05.22 マッキナ あらモーダ!クルマよりも海とリストランテ
営業を再開したイタリアの自動車ディーラーがどのような様子か? というのが今回のお話である。
イタリア政府は2020年5月18日、新型コロナ感染防止対策の緩和第2弾として、小売業や座席を伴う飲食業、海水浴場、美術館、宗教行事などの利用を解禁した(州によって差異あり)。
合わせて、3月以来2カ月以上義務づけられてきた「移動に関する自己申請書」の所持が、州内移動時に限って不要になった。
自己申請書とは、毎回各自が移動する際に出発地と目的地、さらにその理由を記入しておくというものだ。
筆者が思い出したのは、19世紀末の英国の赤旗法(機械によって動くクルマを運転する場合は、前方に警告のための赤い旗を持った助手を歩かせることを義務づけた法律)だ。
この法律が1896年に撤廃されたときに、当時の英国人ドライバーは同じような気持ちを抱いたのではないか。そう考えながら、筆者は自己申請書を勢いよく千切って捨てた。
そういえば、上空にたびたび飛来していた軍や国家警察の不気味なヘリコプターのプロペラ音もぴたりとやんだ。
しかしながら、外出制限と休業措置によって自動車販売業界が受けた打撃は、壊滅的とも呼べるものだった。2020年4月の国内登録台数は、前年同月比でなんと97.55%減(UNRAE調べ)だった。
またFCAグループが銀行に63億ユーロ(約7422億円)の政府保証融資を要請していることが5月17日に判明した。ただし、同社がすでに登記上はオランダ、税法上は英国の法人であることから、イタリア国内ではその認可について疑問の声が上がっている。政府としては、資金の使途をイタリア国内の事業に限定するといった条件を検討しているところだ。
そうした混沌(こんとん)とした状況に、筆者が住むシエナのローカルテレビ局であるSIENA TVでさえも注目したようだ。
日ごろ、伝統的催事の中継や美術館散歩のような企画が目立つ同局だが、5月16日昼の番組では、「今、自動車を買いますか?」という問いを、街を歩く市民に投げかけていた。
人々からは「中古車で十分。それも仕事で必要に駆られなければ買わないと思う」「もう高級車を所有しているから要らない。それに、これからは公共交通機関やリースを活用する。購入するとしても大半のユーザーが払えるのは1万5000~2万ユーロ(約175万~233万円)どまりだろう」といった声が聞かれた。
さらには「ほぼ3カ月も仕事がなかったのだから、クルマを買うとか言っている場合じゃない。それだったら、海に行ったりリストランテで食事を楽しんだりするほうがいいよ」という男性もいた。
そうしたなか、市内の自動車販売店はどのような空気なのだろうか?
商談もついたて越しに
まずは第547回で紹介したルイージ・カザーリ氏が経営者を務めるルノー販売店を訪れた。
ショールーム入り口にはルノーのイメージカラーである黄色いボードとともに、消毒用ジェルとビニール手袋が置かれていた。
新たな政令でも「常にマスクを携帯。屋内では常時着用、屋外でも対人安全距離を保てない恐れがあれば着用」することが奨励されている。
館内に客の人影は見当たらなかったが、代わりに2人のセールスパーソンが電話で商談にあたっていた。
やがてそのうちのひとり、ダヴィデさんが応対してくれた。彼はルイージ氏のラリー&ヒルクライム仲間でもある。
「ショールーム休業中も整備部門は常に開けていましたよ」と、開口一番に彼らの店舗のサービス態勢を誇った。
彼のデスクには、透明アクリルパネル(イタリアでは商標が一般名詞化して“プレキシグラス”と呼ばれている)のついたてが設けられていた。傍らにはこれまた消毒用ジェルが置かれていた。
目下いち押しの車種は、3代目となった「ルノー・キャプチャー」である。ショールームの中央に置かれていた。
中古車ブースは車両が多くて管理が難しいため、テープで封鎖して休止中だ。いっぽうで納車ブースには、まだナンバープレートが付いていない白い「ルノー・クリオ」が置いてあって、スタッフの手によって引き渡し準備が進められていた。
そういえば、先ほどのテレビインタビューにおける回答者が示した「1万5000~2万ユーロ」というのは、キャプチャーも含めたルノー車の多くが当てはまる価格帯である。
こうしたブランドが、フィアットとともに市場再生のけん引役になるのは確かだろう。
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イタリアでも取説ビデオ導入
FCAの販売店ものぞいてみる。筆者が敷地内に入ると、こちらのコラムに登場したセールスパーソン、アレッシオ・カパンノーリさんが屋外で休憩していた。
彼らはこれまで6人体制で勤務してきたが、現状は毎日2人ずつ交代で出勤しているという。
アレッシオさんの担当であるアルファ・ロメオとジープのショールームに入れてもらう。
フィアットとランチアのコーナーに商談客が1人いるのが見える。
ルノー店とは違って既存のテーブルだったが、やはり消毒用ジェルとビニール手袋が置かれている。
マスクを忘れてきた顧客に渡せるよう、セールスパーソン1人あたり20枚が取りあえず支給されたという。
周囲には、握手禁止のイラストとともに「不作法ではありません。良識です」と記したボードが置かれている。
これまで意識したことがなかったが、イタリアで握手なしにセールスパーソンと会話を始めるのは、ぎこちないものだ。
FCAはイタリアで「コンチェッショナリア・シクーラ(安全な販売代理店)」と名付けたキャンペーンの展開を開始した。具体的にどんな内容なのか聞いてみた。
「床に敷いてあったカーペットは、すべて撤去しました」。そして清掃会社が毎朝やってくること、展示車両のドアは施錠しておいて、お客さんのリクエストがあったときのみ解錠することを教えてくれた。
商談は原則としてアポイントメント制となったが、もし接客能力に余力がある場合には、予約なしでも対応することにしているという。
ルノーのダヴィデさんと同様、アレッシオさんのデスクにも、プレキシグラス製のついたてが設けられていた。
彼のものは、隣町の工場による仕事だという。工作精度はルノーのものよりもかなり粗く、「早くも一部が割れちゃいました」と笑いながら破片を見せてくれた。
セールス1人に対して、対面する顧客も1人のみに限定している。
「一緒に来訪されたパートナーの方は、あちらでお待ちいただきます」とアレッシオさんが指す方向を見ると、遠くにソファが置かれていた。
「わが家のように、たった1ユーロの出費でも女房の決裁が必要な家庭は?」と筆者が訴えると、アレッシオさんはマスクをしながら笑った。
「安全な販売代理店」作戦でもうひとつ導入したのは、納車時における車両説明の簡略化だ。
セールス/顧客双方の安全を確保すべく、担当者自らによる納車時の各機能説明を必要最低限にした。代わりに、動画投稿サイトを活用したチュートリアルビデオを順次準備してゆくという。
日本では早くも1990年代初頭に、高級車を中心に取り扱い説明のビデオテープが導入された。今、それがウェブ版となって、イタリアでもスタートするというわけだ。
救急車ボランティアをしていた!
イタリアで多くの自動車セールスパーソンは2カ月にわたるショールーム休業期間中、リモート見積もりを含む商談や中古車サイトへの商品掲載、さらに前述したような衛生管理を重視した新しい販売方法の習得に追われていた。
それとは別に、アレッシオさんは余暇に何をしていたのだろうか?
すると「ミゼリコルディアです」という答えが返ってきた。
Misericordiaとはイタリアのキリスト教系慈善団体である。この組織は救急車も所有して運用している。イタリアで救急隊員はドライバーを除き、大半がボランティアで運営されている。彼らは救急車の詰め所に待機していて、日本の119番にあたる118番を通じて要請があるたびに出動する。
アレッシオさんもそのひとりなのだ。「私の場合、週2回・一日8時間ボランティアをやってましたよ」
イタリアでこうしたボランティアは、隊員に加わらないからといってコミュニティーで肩身が狭くなるような同調圧力がない代わりに、隊員になっても格別のステータスが付与されたり、尊敬を受けたりするわけではない。
以前に他の人から聞いた話によれば、その参加特典も、詰め所までの往復交通費が支給されることと、夏に保養所を利用できるくらいだ。
それでもアレッシオさんのように、参加している人が少なくないのである。
彼は口に出さなかったが、今回の新型コロナ対策では最前線でその惨状を目にしてきたはずだ。いかに社会の状況が大変だったか、そしてしばらくは経済が困難な状況になるであろうことを理解しているはずだ。
「戦争、自然災害と、イタリア人は歴史の中で逆境に遭遇するたびに強くなってきたんです。今回も大丈夫ですよ、きっと」とアレッシオさんは語る。
ご覧のとおりアレッシオさんは、いつも飾らぬいでたちである。だが、クルマが売れない間も街で人々と一緒に苦労してきたアレッシオさんは、スーツで格好をつけた営業マンよりもずっと頼りにされるはずだ。
イタリアの自動車販売業界は、こうした人によって支えられているのである。
(文と写真=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/編集=藤沢 勝)

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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