第886回:ピニンファリーナとザガートのドライビングシミュレーター
2024.11.21 マッキナ あらモーダ!名門博物館の片隅にアミューズメント発見
近年は、欧州でもアミューズメント用のドライビングシミュレーターを、たびたび見かけるようになってきた。遊戯施設やイベントだけではない。モーターショー会場にも運び込まれていて、脇に展示された新型車よりも人だかりができていたりする。
気がつけば、イタリアを代表する自動車ミュージアム、トリノ自動車博物館(MAUTO)にも、そうしたシミュレーターが2台設置されていた。場所はエントランス階のショップ脇である。ただし、よくある装置むき出しだったり、F1を模した派手なカウルが付いていたりするわけではない。側面のバッジを見て驚いた。いずれもイタリアを代表するカロッツェリアである、ミラノのザガートとトリノのピニンファリーナのエンブレムが輝いているではないか。
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
名門がそれぞれのデザインを提供
それら2台は、博物館創設90周年の2023年に合わせて導入が決まったものだ。
製品を企画したのは、リヒテンシュタインの首都ファドゥーツで古典車関連のプロジェクトを数々展開しているザ・クラシックカー・トラスト(TCCT)である。参考までに主宰者は、1996-2000年までレッドブル・ザウバー・ペトロナスF1チームの会長兼共同オーナーを務めた実業家フリッツ・カイザー氏だ。実際に手がけたのはTCCTの関連会社で、仮想現実と20世紀古典車文化との結びつきを模索・研究しているローリントンである。同社の説明によれば、ローリントン(Roarington)とはバーチャルな世界に存在する、空想上の都市名という。
製作の初期段階には、工業用LiDARを駆使してサンプルとなる車両を3Dスキャンしたという。使われた設備のスペックは、以下のとおりだ。
・リニアアクチュエーター:3本/3方向
・グラフィックカード:エヌビディアRTX A400
・モニター:デル製49インチ湾曲モニター
・重量:300kg
※EU機械基準に準拠し、CE(EUの安全マーク)認証済み
デザインを担当した前述の2社について記せば、まずザガート版は「エリオZ」と名づけられている。エリオ(Elio)とは創業2代目でジェントルマン・ドライバーでもあったエリオ・ザガート(1921−2009年)にちなんだものである。古典的なトラスフレームを通して機構部分が見えるようにすることで、「伝統」と「革新」を表現したという。
いっぽうのピニンファリーナ版は「スポルティーヴァ」と命名されている。外観の形状は第2次大戦直後に同社がデザインし、ニューヨーク近代美術館に70年以上も展示されている「チシタリア202クーペ」に着想を得たものだ。
ピニンファリーナからは、さらに詳しい情報が得られた。デザイン開発が行われたのは2020年。実はスポルティーヴァのほかに、姉妹モデルとして「レッジェンダ(leggenda=伝説)」があり、こちらはピニンファリーナの創業90年記念に9台製作された。双方ともトリノ郊外カンビアーノのピニンファリーナ本社で、デザインだけでなく組み立ても行われたという。
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
亡き会長も熱くなった
MAUTOにある2台のシミュレーターで選択できる車種は目下、次の3台である。
・1952年 アルファ・ロメオ・ディスコヴォランテ
・1954年 ガスタービン実験車 フィアット・トゥルビーナ
・1953年 ランチアD24
いずれも実車は、館内のコレクションにある。ディスプレイに映し出されるコースは、モンツァ・サーキットなどが用意されている。
残念ながら今回、筆者自身はこのしゃれたシミュレーターを体験しなかった。存在に気づいたのは別の館内取材に1日を費やしたあとで、閉館間際だったからだ……というのは半分言い訳である。正直なところ、シミュレーションものが苦手なのだ。かつてイタリア人宅のPCで、飛行機を操縦したときは失速の警報を鳴らしまくり、サーキットを走ったら意図しない逆走ばかりで、その家庭の高校生に失笑された。そのたび「日本のだと、うまくいくのにな」とウソを言ってごまかした。実際はといえば「電車でGO!」でも、マスコンとブレーキの扱いが下手で急制動を連続させ、乗客女性をなぎ倒してばかりだった。かくも数々のトラウマがある筆者である。今回も挑戦させてもらったあげく、博物館の館長や広報担当者の笑い者になるのは御免だったのだ。
それよりも、もしもヒストリックカーのエキスパートだった小林彰太郎『CAR GRAPHIC』初代編集長やポール・フレール氏が生きていて、このシミュレーターに挑んだら? そのような空想をしていたら、ピニンファリーナの敏腕広報担当者から「別の写真も発見しましたよ」と、追って知らせが舞い込んだ。添付されていた写真は、2024年4月に65歳で死去した創業3代目のパオロ・ピニンファリーナ元会長(本連載第855回参照)が、スポルティーヴァを自ら試している光景だった。特にステアリングを握ってバンクに臨んでいるときの、真剣な表情がほほ笑ましい。
筆者が考えなくても、すでにパオロ氏が天国にシミュレーターを運び込み、3人で腕を競っているに違いない。
(文=大矢アキオ ロレンツォ<Akio Lorenzo OYA>/写真=ピニンファリーナ、ザガート、Akio Lorenzo OYA、Roarington/編集=堀田剛資)

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
-
第926回:フィアット初の電動三輪多目的車 その客を大切にせよ 2025.9.4 ステランティスが新しい電動三輪車「フィアット・トリス」を発表。イタリアでデザインされ、モロッコで生産される新しいモビリティーが狙う、マーケットと顧客とは? イタリア在住の大矢アキオが、地中海の向こう側にある成長市場の重要性を語る。
-
第925回:やめよう! 「免許持ってないのかよ」ハラスメント 2025.8.28 イタリアでも進んでいるという、若者のクルマ&運転免許離れ。免許を持っていない彼らに対し、私たちはどう接するべきなのか? かの地に住むコラムニストの大矢アキオ氏が、「免許持ってないのかよ」とあざ笑う大人の悪習に物申す。
-
第924回:農園の初代「パンダ」に感じた、フィアットの進むべき道 2025.8.21 イタリア在住の大矢アキオが、シエナのワイナリーで元気に働く初代「フィアット・パンダ4×4」を発見。シンプルな構造とメンテナンスのしやすさから、今もかくしゃくと動き続けるその姿に、“自動車のあるべき姿”を思った。
-
第923回:エルコレ・スパーダ逝去 伝説のデザイナーの足跡を回顧する 2025.8.14 ザガートやI.DE.Aなどを渡り歩き、あまたの名車を輩出したデザイナーのエルコレ・スパーダ氏が逝去した。氏の作品を振り返るとともに、天才がセンスのおもむくままに筆を走らせられ、イタリアの量産車デザインが最後の輝きを放っていた時代に思いをはせた。
-
第922回:増殖したブランド・消えたブランド 2025年「太陽の道」の風景 2025.8.7 勢いの衰えぬ“パンディーナ”に、頭打ちの電気自動車。鮮明となりつつある、中国勢の勝ち組と負け組……。イタリア在住の大矢アキオが、アウトストラーダを往来するクルマを観察。そこから見えてきた、かの地の自動車事情をリポートする。
-
NEW
MINIジョンクーパーワークス コンバーチブル(FF/7AT)【試乗記】
2025.9.8試乗記「MINIコンバーチブル」に「ジョンクーパーワークス」が登場。4人が乗れる小さなボディーにハイパワーエンジンを搭載。おまけ(ではないが)に屋根まで開く、まさに全部入りの豪華モデルだ。頭上に夏の終わりの空気を感じつつ、その仕上がりを試した。 -
NEW
第318回:種の多様性
2025.9.8カーマニア人間国宝への道清水草一の話題の連載。ステランティスが激推しするマイルドハイブリッドパワートレインが、フレンチクーペSUV「プジョー408」にも搭載された。夜の首都高で筋金入りのカーマニアは、イタフラ系MHEVの増殖に何を感じたのか。 -
NEW
商用車という名の国民車! 「トヨタ・ハイエース」はなぜ大人気なのか?
2025.9.8デイリーコラムメジャーな商用車でありながら、夏のアウトドアや車中泊シーンでも多く見られる「ハイエース」。もはや“社会的インフラ車”ともいえる、同車の商品力の高さとは? 海外での反応も含め、事情に詳しい工藤貴宏がリポートする。 -
フォルクスワーゲン・ゴルフRアドバンス(前編)
2025.9.7ミスター・スバル 辰己英治の目利き「フォルクスワーゲン・ゴルフ」のなかでも、走りのパフォーマンスを突き詰めたモデルとなるのが「ゴルフR」だ。かつて自身が鍛えた「スバルWRX」と同じく、高出力の4気筒ターボエンジンと4WDを組み合わせたこのマシンを、辰己英治氏はどう見るか? -
ロイヤルエンフィールド・クラシック650(6MT)【レビュー】
2025.9.6試乗記空冷2気筒エンジンを搭載した、名門ロイヤルエンフィールドの古くて新しいモーターサイクル「クラシック650」。ブランドのDNAを最も純粋に表現したという一台は、ゆっくり、ゆったり走って楽しい、余裕を持った大人のバイクに仕上がっていた。 -
BMWの今後を占う重要プロダクト 「ノイエクラッセX」改め新型「iX3」がデビュー
2025.9.5エディターから一言かねてクルマ好きを騒がせてきたBMWの「ノイエクラッセX」がついにベールを脱いだ。新型「iX3」は、デザインはもちろん、駆動系やインフォテインメントシステムなどがすべて刷新された新時代の電気自動車だ。その中身を解説する。