なぜEV開発で中国メーカーは急成長できたのか?

2025.07.08 あの多田哲哉のクルマQ&A 多田 哲哉
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EVの世界では中国メーカーが大変な脅威となっているようです。自動車開発においては欧・米・日が技術的に先行していて、中国は発展途上と思っていたのですが……。彼らがこれほど急速に成長できた要因とは、何なのでしょうか?

ひとことで言えば“国策”です。中国が国を挙げてEV事業を支援してきた、ということに尽きます。「以上です」と、今回のお話を終えてしまってもいいくらいです。

そもそも自動車産業というのは、欧・米・日を含むどの国であれ、国策に左右される産業なんです。ずっと、政治的なかけひきの材料になってきたし、さまざまな規制も関与してくる。そういうことが複雑に絡まっているのが自動車業界です。

で、話を中国に戻しますと、まずは欧州や日本のメーカーを自国に招き、合弁企業というかたちで産業を育成してきました。そうしてある程度取り組んでくるなかで、おそらく彼らは気がついたのです。「エンジンを搭載するクルマについては欧・米・日に相当なアドバンテージがあって、中国企業は簡単に追いついたり追い越したりはできないだろう」と。

そのタイミングで、カーボンニュートラルの話が世界的に浮上し、自動車はEV化するという流れが生まれました。そこで中国は「このEVの世界で欧・米・日を上回る製品をつくっていく」という大きな決断をしたのだと思います。政府内にそう判断できる、先見の明のある人もいたに違いありません。補助金政策も後押しし、一気にEVが国内で発展するようにしている。政府の支援で低価格が実現できています。当初は補助金頼みでも、ある程度市場を占めるようになって、ライバルを蹴落としてしまえば、ほぼ寡占状態となり、初めに投資したお金は返ってくることになります。

さらに、一度決めたら有無を言わさず突き進むという、中国ならではのトップダウンの実行力・機動力も、急成長の大きな要因といえるでしょう。欧州でEVにかじを切ったメーカーは、そんな中国に太刀打ちできず苦境に立たされるようになりました。

その結果、どうなったか? 中国企業は、他国の優秀なエンジニア、それもEV以外の自動車開発のノウハウまで知るエンジニアを引き抜くことが可能になっています。個人だけでなく、ときには開発チーム丸ごと、あるいは会社ごと、技術的ノウハウを買っていく。そうして、非常に短期間で欧・米・日のメーカーにキャッチアップしているのです。

もうみなさんご存じとは思いますが、EV化の最重要ポイントは「クルマがモーターで走るようになること」ではなく、「SDV(ソフトウエア・デファインド・ビークル)というソフトウエア主体のクルマに変わっていくこと」にあります。その点、中国にはスマートフォンを扱う優秀なメーカーがたくさんあり、クルマのIT化、知能化、そしてSDVをつくるためのノウハウがそろっています。

バッテリー開発の技術もそのひとつ。バッテリーメーカーからスタートしたBYDがEVで成功しているというのは、象徴的なことといえるでしょう。EVは、ガソリン車に比べればつくりは単純で、極端な言い方をすれば「高性能なバッテリーとモーターがあればできる」のです。つまり、この2点について、安くて性能のいいものができれば勝負は決まってしまいます。

欧・米・日の老舗メーカーは「中国メーカーに自動車開発の十分なノウハウなどあるまい」と高をくくっていたところがありますが、最も肝心なバッテリーを中国に押さえられ、それを中国から買わざるを得ないという厳しい状況に陥りました。「バッテリーを安く売ってあげるから、代わりにクルマづくりの重要な技術的ノウハウを提供しなさい」と迫られて、背に腹は代えられず、その要求に応じている。そうして事態は「中国に追い越され、追いつけない状況」になりつつあります。

最後に、中国国内の最も優秀な人材が自動車産業に集まっている、というのも挙げられるかと思います。

アメリカや日本だって、自動車産業が光り輝いていたころは、社会で最も優秀な人材が自動車関連企業に就職したのです。しかし、ここ何年も前から、そうなってはいない。自動車産業から宇宙産業、IT産業と、「時代の最先端で、待遇がよく、自らが輝ける産業」に行ってしまう。

私が仕事でアメリカに行っていたころ、現地のスタッフから「自動車産業で働きたい若者は、GMやフォードではなくNASCARを選んでいる」というエピソードを聞きました。給料がよく、世間から注目されるNASCARに最も優秀な学生が集まるんだそうです。世の中、そういうものなのでしょう。ここ数年は間違いなく、中国の優秀な学生はBYDをはじめとするEVメーカーに集まっているはず。日本やアメリカの優秀な学生だって、門戸をたたいているかもしれません。

中国メーカーの急成長の理由というのは、かくも多く挙げられます。しかし、だからいつまでも中国の天下が続くのかというと、それはなんともいえません。次はインドか、アフリカの国なのかはわかりませんが、また新たな勢力が台頭することでしょう。

栄枯盛衰。歴史が示すとおり、特定の国や産業が未来永劫(えいごう)繁栄するということは、あり得ないのです。

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多田 哲哉

多田 哲哉

1957年生まれの自動車エンジニア。大学卒業後、コンピューターシステム開発のベンチャー企業を立ち上げた後、トヨタ自動車に入社(1987年)。ABSやWRカーのシャシー制御システム開発を経て、「bB」「パッソ」「ラクティス」の初代モデルなどを開発した。2011年には製品企画本部ZRチーフエンジニアに就任。富士重工業(現スバル)との共同開発でFRスポーツカー「86」を、BMWとの共同開発で「GRスープラ」を世に送り出した。トヨタ社内で最高ランクの運転資格を持つなど、ドライビングの腕前でも知られる。2021年1月に退職。