第931回:幻ですカー 主要ブランド製なのにめったに見ないあのクルマ
2025.10.09 マッキナ あらモーダ!「トナーレ」のダッジ版
トランプ米大統領の関税政策の余波は、イタリア自動車産業に早くも影を落とし始めている。そのひとつは、ダッジの生産停止だ。
読者諸氏からは「おい、ダッジってアメリカのブランドだろうが」という声が上がるに違いない。そこで説明すると、ダッジのエントリーモデルとして2022年北米市場に投入された「ホーネット」は、イタリア南部のステランティス・ポミリアーノ・ダルコ工場で生産されていたのである。実は同車、「アルファ・ロメオ・トナーレ」の姉妹車なのである。
2025年8月17日付『デトロイト・ニュース』電子版によると、ステランティスはヨーロッパ製完成車の税率が正式に決まる前に、ホーネットの在庫を確保すべくイタリアから北米に移送。続いて状況を見定めるため、イタリアでの生産を停止したという。
このダッジ・ホーネット、欧州では正規販売されていないことから、一般ユーザーはもちろん、自動車好きでも存在を知る人はかぎられている。いや、これからも知名度が上がることはないだろう。
いっぽう、欧州で主要メーカーから発売されたにもかかわらず、めったに見ないモデルもある。今回はそうしたクルマ、名づけて「幻ですカー」を取り上げてみたい。
メルセデス版「カングー」
最初は「メルセデス・ベンツ・チタン(シタン)」である。2010年にダイムラーとルノー・日産アライアンス(当時)の間で締結された、戦略的協力関係における成果のひとつだ。2012年に市場投入された。
初代は2代目「ルノー・カングー」(2007年)の姉妹車である。カングーと同じく、ベルギー国境に近いフランスのルノー・モブージュ工場で生産された。商用車仕様とともに「チタン トラベルライナー/トゥアラー」と名づけられた乗用車仕様も設定された。筆者が2016年にシュトゥットガルトのメルセデス・ベンツ博物館を取材したとき、初代チタンは誇らしげに、ほかの現行生産車とともに展示されていたものだ。
しかし、筆者が住むイタリアを含め、各地の路上でチタンおよびその乗用車版を目撃する機会はきわめて少なかった。
その後、カングーが2020年に3代目へと進化したのに合わせて、2021年にはチタンも2代目に切り替わった。それを機会に乗用車仕様には「Tクラス」という新たな名称が与えられた。だが、こちらは先代同様、またはそれ以上に街で遭遇する機会がなかった。今回紹介する写真も、珍しさのあまりシャッターを切ったものばかりである。
そうしたなか、2025年4月11日付『オートモーティブ・ニュース』電子版は、メルセデス・ベンツはチタン/Tクラスの販売を2026年中盤で終了する予定であると報じた。参考までに、2024年の販売はわずか5117台だったという。
このチタン、メーカーは兄貴分のメルセデス商用車の顧客に購入してもらおうという、いわばフリート需要を狙ったと思われる。乗用車仕様に関していえば、当然メルセデスというブランド力による販売力を見込んだに違いない。しかし、そのもくろみは外れてしまった。そうした意味では、初代「Aクラス」の派生形だった「バネオ」と同じ過ちを犯してしまったことになる。
チタンは価格にも問題があったといわざるを得ない。装備に違いはあるため単純に比較できないことは承知で、商用車仕様の95PS・6段MT仕様の基本モデルを比較すると、カングーは2万4827ユーロ、対するチタンは2万9811ユーロと、4984ユーロも高い。日本円換算で86万円の差額だ。Tクラスの7人乗りロング仕様の最高級モデルに至っては、4万2770ユーロ(約740万円)に達するのだ。
欧州版「マツダ2」
同様に、ヨーロッパではあまり目撃することがなかったメルセデスといえば「Xクラス」である。これもルノー・日産・三菱アライアンスによるもので、4代目「日産ナバラ」をベースした高級ピックアップトラックであった。欧州仕様は2017年からバルセロナの日産モトールイベリカ社で生産が開始された。
ただしこのXクラス、同様にナバラの姉妹車だった「ルノー・アラスカン」とともに、ヨーロッパの路上で筆者が見かけることはまれだった。そうこうするうちに2020年をもって、Xクラスはカタログから消えた。
筆者がイタリア市場を観察するかぎり、「ピックアップ文化が未熟だった」と結論づけるのは早計だと思う。対照的に「フォード・レンジャー」が成功しているからである。それよりも、ヨーロッパではメルセデス・ベンツ=高級セダンもしくはSUVというイメージが定着しすぎていて、どうせピックアップなら本場っぽいレンジャーという選択が作用したのだと考える。
そうした不振から生産終了に至った2台に対し、ルノー・日産・三菱アライアンス系で意外にも生き残っているのは、ヨーロッパ版三菱車である。2022年に投入された「コルト」は5代目「ルノー・クリオ」、2023年「ASX」は「ルノー・キャプチャー」のOEM版だ。前者はトルコ、後者はスペインで、ベースとなったモデルとともに生産されている。
実はイタリアでもカタログに載っているのだが、筆者自身は残念ながら2~3年が経過した今日まで目撃したことがない。
ルノー・日産・三菱アライアンス以外では、「マツダ2」も見る機会が少ない。2022年モデルからのヨーロッパ市場向けは、フランスのトヨタ工場で生産されている4代目「ヤリス ハイブリッド」のOEM版に切り替わった。欧州連合(EU)の二酸化炭素削減目標はメーカーごとに設定される厳しいものなので、それにも貢献することになる。
このマツダ2、筆者は2024年12月に地元シエナ県の販売店で初めて目にし、2025年9月に初めて路上を走行しているのを発見した。つまりたった2回だけだ。そうしたレア度を裏づけるのは、イタリアの2025年1~9月登録台数トップ50である。ヤリスが2万6000台以上を記録して総合8位に入っているのに対し、マツダ2は圏外である。ここからも普及の限界がうかがえる。
ただし、筆者のクルマのドアミラーに映ったマツダ2の姿はといえば、ラジエーターグリルの意匠の妙だろう、既存マツダ車と同様の印象がある。ヘッドライトをヤリスと同一のものを使用しなければならないという制約のなか、頑張ったデザイナーを評価したい。
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『古都』の姉妹の心境か
ここまで読んだ読者ならおわかりのように、めったに見ないモデルというのは、グループ内の他ブランドからの転用(バッジ・エンジニアリング)やOEM(相手先ブランド名生産)の車種であることが少なくない。
筆者としては「仏つくって魂入れず」とは言いたくない。一見安易に見えるOEM車でも、その陰にはデザイン、エンジニアリング、マーケティングそれぞれの分野で真摯(しんし)に携わる人々がいるからである。各ブランド由来のエンジンをそろえる場合、車体に搭載するマウントの設計だけでも、相応の労力を要するのである。
しかしながら、名声を得たオリジナルには到底勝てないのもこれまた事実だ。オリジナルの製品企画に対する気迫が、供給先ブランドの既存イメージによって希釈されてしまうのである。
同時に筆者自身としては、ちょっとした想像をして楽しんでいるのも事実だ。小説家・川端康成の名作『古都』は、生き別れになったあと、まったく異なる人生を歩んでしまった姉妹が、祇園祭の夜に偶然出会う物語である。もし自動車に心があったなら、どこか似ている2台がすれ違ったり、駐車場で鉢合わせしたりしたら、同じような心境になっているのかもしれないと考えると、どこか愉快な気持ちになるのである。
(文=大矢アキオ ロレンツォ<Akio Lorenzo OYA>/写真=ステランティス、大矢麻里<Mari OYA>、Akio Lorenzo OYA、三菱自動車/編集=堀田剛資)
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大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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