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第141回:さよならサンバー! スバルが手がけた“ビッグな軽”を振り返る

2012.03.30 エディターから一言 沼田 亨
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第141回:さよならサンバー!スバルが手がけた“ビッグな軽”を振り返る

去る2012年2月に「スバル・サンバー」の生産が終了、富士重工業は軽自動車の生産から撤退した。アンカーを務めた「サンバー」は、半世紀を超えるスバルの軽づくりの歴史を今に伝える、ある意味もっともスバルらしい軽だった。その引退を惜しみ、ルーツとなる初代および2代目「サンバー」を訪ね、魅力の源泉を探った。

惜しまれながらの生産終了

2012年2月29日をもって富士重工業の軽商用車「スバル・サンバー」の生産が終了した。同社は2008年に水平対向エンジンや四輪駆動など独自性の高い技術を持つ登録車に経営資源を集め、軽自動車の生産から撤退することを決定。翌09年以降、自社生産モデルから提携関係にあるトヨタ傘下のダイハツのOEMへ切り替えが進められてきた。最後に残っていた自社生産モデルである「サンバー」の生産終了に伴い、1958(昭和33)年3月3日に「スバル360」が登場して以来、およそ54年間にわたるスバルの軽づくりの歴史に幕が下ろされたわけである。

半世紀を超えるスバルの軽自動車史において、そのほとんどを生き抜いた最長寿のブランドが、俊足を誇るインド産の水鹿(すいろく)に由来する「サンバー(Sambar)」だった。初代が発売されたのは、「スバル360」に遅れること約3年の1961年2月1日。51年間の累計生産台数はおよそ370万台で、スバル軽全体の約797万台の半数に近い。文字通りスバルの屋台骨を支えてきたモデルなのだ。

「サンバー」はその成り立ちにおいても、スバル軽の伝統を受け継いだモデルだった。軽乗用車というカテゴリーを確立した傑作車である「スバル360」譲りのリアエンジン、4輪独立懸架という「ポルシェ911」と同じレイアウトを、誕生以来一貫して守り続けてきたのだ。「スバル360」に始まる乗用車系は時代と共に「(初代)R-2」「レックス」「ヴィヴィオ」「プレオ」……と名を変え、駆動方式をFFに転換したが、「サンバー」だけは不変だった。「サンバー」が半世紀以上にわたって愛され続けた大きな理由であり、「サンバー」のアイデンティティーがこのRRレイアウトだったと言っても過言ではない。

その「サンバー」が、満51歳の誕生日を迎えて間もなく引退を余儀なくされた。たとえるなら、コンスタントに2割8分を打つ力がありファンの支持もあるのに、チーム事情から現役を引退させられた、ベテランのプロ野球選手のようなものか。2月の生産終了を控えたラスト数カ月の、駆け込み需要に応える増産体制を見ても、惜しまれつつの引退であったことがわかる。

自動車専門メディアで軽商用車が取り上げられることはめったにないが、生産終了が近づくにつれて「サンバー」の姿をポツポツと見かけるようになった。このページもサンバーへの惜別の念から企画したが、ちょっと趣向を変えて、旧車愛好家のもとにある初代および2代目サンバーを訪ね、ブランドの礎を築いた魅力を探った。

2011年7月に発売50周年を記念して、トラック、バン合わせて1000台限定でリリースされた「サンバーWRブルーリミテッド」。ボディーカラーを除けば、最終生産モデルはこれらと基本的に同じである。
2011年7月に発売50周年を記念して、トラック、バン合わせて1000台限定でリリースされた「サンバーWRブルーリミテッド」。ボディーカラーを除けば、最終生産モデルはこれらと基本的に同じである。 拡大
1958年に発売された「スバル360」。軽でも実用車として立派に通用することを証明し、軽というカテゴリーを確立した傑作で、「てんとう虫」の愛称で呼ばれた。当時の日本は自動車後進国だったが、「スバル360」に限っては、コンセプト、性能ともに国際水準を凌駕(りょうが)していたといえる。
1958年に発売された「スバル360」。軽でも実用車として立派に通用することを証明し、軽というカテゴリーを確立した傑作で、「てんとう虫」の愛称で呼ばれた。当時の日本は自動車後進国だったが、「スバル360」に限っては、コンセプト、性能ともに国際水準を凌駕(りょうが)していたといえる。 拡大
1961年にデビューした初代「スバル・サンバー・ライトバン」。左が65年「ライトバン・スタンダード」、右が64年「同デラックス」で、「デラックス」はワイパーが2本になり、バンパーをはじめ各部にクロムの装飾が付く。どちらもフルオリジナルに近い状態を保った希少な個体である。「あっかんべえ〜」をしているような顔つきから、マニアの間では「あかんべサンバー」とも呼ばれる。
1961年にデビューした初代「スバル・サンバー・ライトバン」。左が65年「ライトバン・スタンダード」、右が64年「同デラックス」で、「デラックス」はワイパーが2本になり、バンパーをはじめ各部にクロムの装飾が付く。どちらもフルオリジナルに近い状態を保った希少な個体である。「あっかんべえ〜」をしているような顔つきから、マニアの間では「あかんべサンバー」とも呼ばれる。 拡大
全幅にわたって荷物棚が備わり、計器類は速度計のみという超シンプルな1965年「ライトバン・スタンダード」のダッシュボード。空冷エンジンなので水温計は不要だが、燃料計もなく、速度計の中にある残量警告灯だけが頼りである。ただし、より年式の古い64年「デラックス」は警告灯も付いていない。シートはベンチ式で、ギアボックスは3MT。
全幅にわたって荷物棚が備わり、計器類は速度計のみという超シンプルな1965年「ライトバン・スタンダード」のダッシュボード。空冷エンジンなので水温計は不要だが、燃料計もなく、速度計の中にある残量警告灯だけが頼りである。ただし、より年式の古い64年「デラックス」は警告灯も付いていない。シートはベンチ式で、ギアボックスは3MT。 拡大
燃料計も残量警告灯もなしで、どうやって燃料の残量を知るかといえば、燃料キャップにオイルレベルゲージのようなゲージが付いているのだ。燃料タンク容量は20リッター。ちなみにこれら2台は「スバルマチック」と呼ばれる分離給油機構を備えているが、1964年7月以前のモデルは混合給油(あらかじめ2ストローク用エンジンオイルを混ぜたガソリンを給油する)だった。混合比率はガソリン対オイルが20:1前後で、当時はGSで混合ガソリンが販売されていた。
燃料計も残量警告灯もなしで、どうやって燃料の残量を知るかといえば、燃料キャップにオイルレベルゲージのようなゲージが付いているのだ。燃料タンク容量は20リッター。ちなみにこれら2台は「スバルマチック」と呼ばれる分離給油機構を備えているが、1964年7月以前のモデルは混合給油(あらかじめ2ストローク用エンジンオイルを混ぜたガソリンを給油する)だった。混合比率はガソリン対オイルが20:1前後で、当時はGSで混合ガソリンが販売されていた。 拡大
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1950年にデビューした「フォルクスワーゲン・タイプ2」。写真は「バス」と呼ばれる乗用モデルで、バンやトラックなどの商用モデルは「トランスポーター」と呼ばれる。リアエンジン・ワンボックスの先駆で、「サンバー」のほか初代「マツダ・ボンゴ」などにも影響を与えた。
1950年にデビューした「フォルクスワーゲン・タイプ2」。写真は「バス」と呼ばれる乗用モデルで、バンやトラックなどの商用モデルは「トランスポーター」と呼ばれる。リアエンジン・ワンボックスの先駆で、「サンバー」のほか初代「マツダ・ボンゴ」などにも影響を与えた。 拡大
「サンバー」より約1年早い1960年1月に発売された「くろがねベビー」。「サンバー」と同様に独立したシャシーフレームの後端に積まれたエンジンは水冷4ストローク2気筒で、スペックだけを見れば「サンバー」より高級だった。後にライトバンも追加された。
「サンバー」より約1年早い1960年1月に発売された「くろがねベビー」。「サンバー」と同様に独立したシャシーフレームの後端に積まれたエンジンは水冷4ストローク2気筒で、スペックだけを見れば「サンバー」より高級だった。後にライトバンも追加された。 拡大
1961年2月に発売された「サンバー・トラック」。これはカタログの表紙だが、記されているように最大積載量は350kg。「軽自動車免許で乗れる」というのは、当時は360cc以下の軽自動車と250cc以下の二輪が運転でき、16歳で取得可能な「軽免許」が存在したからである。なお、軽免許は68年に廃止された。
1961年2月に発売された「サンバー・トラック」。これはカタログの表紙だが、記されているように最大積載量は350kg。「軽自動車免許で乗れる」というのは、当時は360cc以下の軽自動車と250cc以下の二輪が運転でき、16歳で取得可能な「軽免許」が存在したからである。なお、軽免許は68年に廃止された。 拡大

豆腐の配送から稼ぎ頭に

先に「RRレイアウトこそサンバーのアイデンティティー」と記したが、もちろんこれは「サンバー」の専売特許というわけではない。このレイアウトを採用した商用車のパイオニアは、型式名「タイプ2」こと「フォルクスワーゲン・トランスポーター」であろう。「タイプ2」のベースとなったのは、言うまでもなく「タイプ1」こと「フォルクスワーゲン(ビートル)」。「スバル360」から派生した「サンバー」は、その誕生の経緯から考えても「タイプ2」の影響を受けたと思われる。

いっぽう、日本にも「サンバー」より先んじてこのレイアウトを導入した商用車、それも軽商用車が存在していた。3輪トラック中心だった「東急くろがね工業」が、「サンバー」より1年早い1960年1月に発売した「くろがねベビー」である。「くろがね」は、ジープより先に世に出た小型の四駆軍用車「くろがね四起」などで知られる老舗だったが、経営悪化により「ベビー」発売2年後の62年2月には生産を停止、そのまま自動車製造から撤退したのだった。

「サンバー」が登場した1960年代初頭の軽商用車市場の状況は、「ダイハツ・ミゼット」に代表される3輪トラックから4輪トラックへの移行が始まりつつあった。4輪トラックには「ホープスター・ユニカー」、「コニー360」そして「ダイハツ・ハイゼット」といった銘柄があったが、いずれもボンネットタイプで、キャブオーバータイプは前述した「くろがねベビー」のみ。そこに3年前に発売されて以来その性能が高く評価され、軽乗用車市場を寡占していた「スバル360」から派生した「サンバー」が現れたのだから、大いに注目された。

曲線基調の「スバル360」とは対照的に平面的なスタイリングが特徴の「サンバー」は、リアエンジンゆえにパワートレインを収めたリアエンドが荷台に張り出していた。反面、プロペラシャフトなどがないためフロアは低く積み降ろしが楽で、トラクションのかかり具合も良好であり、坂道や当時はまだ多かった未舗装の悪路にも強かった。また荷物を車体中央付近に積むため前後重量配分もよく、「スバルクッション」と呼ばれた「スバル360」譲りのトーションバーによる4輪独立懸架と相まって乗り心地は商用車離れしていた。
一説によると、「サンバー」を最初に評価したのは豆腐店だったという。振動で豆腐の角が欠けずに済むというのがその理由だ。マンガの世界と違って、実際の豆腐の配送には、ソフトでフラットな乗り心地が求められているのである。

1961年2月の発売当初はトラックのみだったが、同年9月にライトバンが加わると、「サンバー」の人気は一気に上昇。翌62年には、早くも生産台数が「スバル360」を上回る富士重工業の稼ぎ頭となった。同年初頭には先行していた「くろがねベビー」が生産中止となってしまい、しばらくの間ライバルが不在だった軽キャブオーバー商用車市場を「サンバー」は独走したのだった。

カタログより、初代「サンバー・トラック」。車体後端にエンジンを納めるため荷台面積は制限されるが、床面までわずか35cmという低床設計が特徴だった。初代トラックの初期型は、写真のようにキャビンのルーフがキャンバス製だった。
カタログより、初代「サンバー・トラック」。車体後端にエンジンを納めるため荷台面積は制限されるが、床面までわずか35cmという低床設計が特徴だった。初代トラックの初期型は、写真のようにキャビンのルーフがキャンバス製だった。 拡大
カタログより、1961年9月に加わった「サンバー・ライトバン」。初期型ライトバンはテールゲートのない3ドアのスタンダード仕様のみで、最大積載量は2名乗車で300kg、4名乗車で200kg。「平日はビジネスに、休日はレジャーに」というのが、貨客兼用車と呼ばれていたライトバンの決まり文句だった。楽しそうな表情のチャイルドモデルも、存命なら還暦近いはず。
カタログより、1961年9月に加わった「サンバー・ライトバン」。初期型ライトバンはテールゲートのない3ドアのスタンダード仕様のみで、最大積載量は2名乗車で300kg、4名乗車で200kg。「平日はビジネスに、休日はレジャーに」というのが、貨客兼用車と呼ばれていたライトバンの決まり文句だった。楽しそうな表情のチャイルドモデルも、存命なら還暦近いはず。 拡大
雨に煙る路地をいく1967年「サンバー・ライトバン・デラックス」。前年の66年1月にフルモデルチェンジされた「ニューサンバー」こと2代目の初期型だが、初代に比べてホイールベースが延び、安定感が増した。丸みを帯びたスタイリングも、グッと洗練されている。
雨に煙る路地をいく1967年「サンバー・ライトバン・デラックス」。前年の66年1月にフルモデルチェンジされた「ニューサンバー」こと2代目の初期型だが、初代に比べてホイールベースが延び、安定感が増した。丸みを帯びたスタイリングも、グッと洗練されている。 拡大
インパネにはようやく燃料計が備えられ、ダッシュにはグローブボックスが設けられたが、荷物棚はなくなった。タコメーターとオーディオは、もちろん後付けされたものである。
インパネにはようやく燃料計が備えられ、ダッシュにはグローブボックスが設けられたが、荷物棚はなくなった。タコメーターとオーディオは、もちろん後付けされたものである。 拡大
リアシートを畳むとカーゴルームが現れるが、後端にはエンジンを納めた小さくない段差がある。アイボリーとブルーでまとめられたインテリアは、0系新幹線を連想させる。
リアシートを畳むとカーゴルームが現れるが、後端にはエンジンを納めた小さくない段差がある。アイボリーとブルーでまとめられたインテリアは、0系新幹線を連想させる。 拡大

45年ものの健脚にビックリ

「スバル360」は1958年の誕生から生産中止となる70年まで12年の長寿命を保ち、「てんとう虫」と呼ばれたそのスタイリングも含めて、「日本のフォルクスワーゲン」の異名をとった。しかし、「サンバー」はその半分以下となる5年のモデルサイクルで、1966年1月にフルモデルチェンジを迎えた。

軽商用車市場には、サンバーを追って「スズライト・キャリイ」(61年)、「ホンダT360」(63年)、「ダイハツ・ハイゼットキャブ」(64年)、「コニー360ワイド」(65年)といったモデルが続々とデビューしていた。もちろん、ライバルによる追い上げは軽乗用車市場も同様だったわけだが、商用車のほうがより熾烈(しれつ)だったということだろう。ちなみに2代目「サンバー」が登場した66年にはスズキの「キャリイ」が2代目に進化し、三菱からは「ミニキャブ」がデビュー。翌67年にはホンダの「T360」が「TN360」に代わり、スバル、ダイハツ、スズキ、三菱、ホンダの各社からキャブオーバータイプの軽トラックが出そろった(マツダの「ポーターキャブ」は68年登場)。

2代目「サンバー」は、ホイールベースが初代の1670mmから1750mmへと80mmも延長され、さらにスペース効率がアップ。「フォルクスワーゲン・タイプ2」にも似た丸みを帯びたスタイリングを筆頭にすべてがリファインされて商品力が向上、追いすがるライバルに対するアドバンテージを再び確保したのだった。

その2代目「サンバー」の、初期型である1967年「ライトバン・デラックス」に試乗する機会を得た。オーナーのK氏はこのほかにもう1台、同じ型の対米輸出用の左ハンドル仕様(!)を所有するという愛好家で、それだけにこの個体の程度も非常に良好。ボディーはリペイントされてはいるが、内外装ともにオリジナルの状態をよく保っている。

強制空冷2ストローク2気筒356ccエンジンのパフォーマンスは、額面では最高出力20ps/5000rpm、最大トルク3.2kgm/3000rpmにすぎない。当時の軽としては標準的な数値だが、360cc時代の軽を知らない人からすれば絶望的な低さだろう。しかも車齢45年の老体ともなれば、そもそも走るかどうかさえ疑わしく思えるかもしれない。
ところがどうして、これがちゃんと走るのだ。2ストロークのため低速トルクはスペックから想像するより豊かで、発進の際にクラッチミートに気を使うこともなく、「ポロポロポロロ〜ン……」という軽快な排気音を響かせながら、車重525kgのボディーを走らせていく。乗り心地は評判どおりソフトで快適。4輪ドラムでノンサーボのブレーキは、現代の標準からすればタッチ、制動力ともに頼りないが、慣れてしまえば大丈夫。試乗時は空荷だったこともあって、街中を走っている限りでは走りに不満を覚えることはなかった。

テールゲートは上下開き式である。
テールゲートは上下開き式である。 拡大
356ccから最高出力20ps/5000rpm、最大トルク3.2kgm/3000rpmを発生する強制空冷2ストローク2気筒エンジン。オーナーが自らの手でオーバーホールしたそうで、ご覧のとおりきれいで快調だった。ウルトラ製のセミトラ(右上のオレンジ色)が後付けされている。
356ccから最高出力20ps/5000rpm、最大トルク3.2kgm/3000rpmを発生する強制空冷2ストローク2気筒エンジン。オーナーが自らの手でオーバーホールしたそうで、ご覧のとおりきれいで快調だった。ウルトラ製のセミトラ(右上のオレンジ色)が後付けされている。 拡大

問題はただひとつ、ウィンドウの曇り。この日はあいにく雨降りだったのだが、当然ながらエアコンの備えなどないので、視界を確保するためには吹き込む雨を我慢しつつサイドウィンドウを開けるしかなかった。

1967年「サンバー・ライトバン・デラックス」のフロントドアは、俗にスーサイドドアと呼ばれる後ろヒンジ式で、前ヒンジのリアドアは左側のみ。翌68年にはリア右側にもドアが設けられ、70年にはフロントドアが前ヒンジに改められた。リアドアがスライド式になるのは、73年デビューの3代目、通称「剛力サンバー」からである。
1967年「サンバー・ライトバン・デラックス」のフロントドアは、俗にスーサイドドアと呼ばれる後ろヒンジ式で、前ヒンジのリアドアは左側のみ。翌68年にはリア右側にもドアが設けられ、70年にはフロントドアが前ヒンジに改められた。リアドアがスライド式になるのは、73年デビューの3代目、通称「剛力サンバー」からである。 拡大
シンプルなリアビューは、「フォルクスワーゲン・タイプ2」によく似ている。
シンプルなリアビューは、「フォルクスワーゲン・タイプ2」によく似ている。 拡大
ある旧車イベントにサンバー仲間と参加したオーナーのK氏(左)。クルマは2台とも1968年式「サンバー・ライトバン」だが、K氏が乗っているのは北米輸出用の左ハンドル仕様。オーバーライダー付きのバンパー、アンバーのウインカーレンズ、「Sambar」ではなく「Subaru」のエンブレム、リアサイドのリフレクターなどが国内用との識別点である。
ある旧車イベントにサンバー仲間と参加したオーナーのK氏(左)。クルマは2台とも1968年式「サンバー・ライトバン」だが、K氏が乗っているのは北米輸出用の左ハンドル仕様。オーバーライダー付きのバンパー、アンバーのウインカーレンズ、「Sambar」ではなく「Subaru」のエンブレム、リアサイドのリフレクターなどが国内用との識別点である。 拡大

気になるブランドのゆくえ

2代目「サンバー・ライトバン・デラックス」のオーナーであるK氏とは、ある旧車イベントを取材した際に知りあった。千葉県在住という彼はイベントに積極的に参加しており、関東圏はもとより遠く神戸や糸魚川(新潟県)まで足を延ばしたこともあるという。
「さすがに1台だと心細いですが、仲間のクルマもいっしょだったので……」とのことだが、千葉から神戸まで片道およそ600kmの道のりを、半世紀以上前に作られたサブロク(360cc)軽で走るのは、相当な覚悟がいるに違いない。普段から自分でメインテナンスしており、この「サンバー」を知り尽くしているK氏だからこそ可能なグランドツーリングであろう。

そうしたロングツーリングの際の高速巡航速度は60〜70km/h。カタログにおける最高速度は標準の3段ギアボックス仕様で80km/hだが、オプションのオーバードライブ付きだと85km/hに伸びる。この個体は標準仕様なので、60〜70km/hで長時間巡航できれば御の字であり、これも普段からの維持管理のたまものなのである。
とはいえクルマが大丈夫でも、人間のほうが参ってしまわないかと思うのだが、K氏にとってはさほど非日常的な体験ではないらしい。思い返せば彼と初めて会ったのも、最高気温が35度という真夏のイベントだったから、筆者のような軟弱者とは鍛え方が違うのだろう。

だが、いっぽうでは大昔のサブロク(360cc)軽の商用車でも「サンバー」だからこそ、そうした芸当をこなせるのではないかという気もする。その理由は、前に述べた「スバルクッション」と呼ばれる乗り心地にある。ベースとなった「スバル360」のストロークが長く、ソフトなサスペンションで路面の凹凸をいなしながら進む姿は、例えるならば「走るゆりかご」である。

かつて小林彰太郎『CAR GRAPHIC』名誉編集長も、「これほど小さく軽量なボディーに4人が乗れ、快適な乗り心地を提供できたクルマは空前にして絶後か」と評したその乗り味は、まさしく絶妙。「サンバー」は、その「スバルクッション」を受け継いでいるのだ。そんな2代目「サンバー・ライトバン・デラックス」に乗って思ったのは、「この時点ですでに『サンバー』のブランドは確立されていたのだな」ということである。今回はかなわなかったが、もし初代にも乗ることができたならば、同じことを感じたかもしれない。

国産商用車では、トヨタの「トヨエース」(1956年)と「ダイナ」(1959年)、「いすゞエルフ」(1959年)、そして「ダイハツ・ハイゼット」(1960年)に次いで、半世紀を超える歴史を誇っていたそのブランドが消えてしまうのは、いまさらながら惜しい。おっといけない、「サンバー」のブランドは今後も「ダイハツ・ハイゼット」のOEMとして存続するのだった。歴史がリセットされる、と言うべきか。

左ハンドルつながりということで、数年前に取材した北米仕様の1966年「サンバー・トラック ロッカー付」。フラットな荷台に三方開き式のアオリを備えた高床式で、国内仕様にも同じモデルが用意されていた。通常の荷台部分は鍵付きのロッカーになっており、荷台は2階建てというわけだ。
左ハンドルつながりということで、数年前に取材した北米仕様の1966年「サンバー・トラック ロッカー付」。フラットな荷台に三方開き式のアオリを備えた高床式で、国内仕様にも同じモデルが用意されていた。通常の荷台部分は鍵付きのロッカーになっており、荷台は2階建てというわけだ。 拡大
商用バン(4ナンバー)の「ダイハツ・ハイゼットカーゴ」から派生した乗用登録(5ナンバー)の「ダイハツ・アトレーワゴン」のOEMである、現行の「スバル・ディアスワゴン」。新世代の「サンバー」も基本的にはこれと同じく、「ハイゼット」(トラック)と「ハイゼット・カーゴ」(バン)に六連星のエンブレムを付けて登場するはずだ。
商用バン(4ナンバー)の「ダイハツ・ハイゼットカーゴ」から派生した乗用登録(5ナンバー)の「ダイハツ・アトレーワゴン」のOEMである、現行の「スバル・ディアスワゴン」。新世代の「サンバー」も基本的にはこれと同じく、「ハイゼット」(トラック)と「ハイゼット・カーゴ」(バン)に六連星のエンブレムを付けて登場するはずだ。 拡大

時に「スバリスト」や「スバラー」などと呼ばれる熱心な愛好家を筆頭に、スバルはブランド・ロイヤルティーの高いメーカーである。とはいうものの、果たしてリアエンジンではなくなった新世代の「サンバー」を、旧来のファンは受け入れてくれるのだろうか。

(文と写真=沼田 亨)

沼田 亨

沼田 亨

1958年、東京生まれ。大学卒業後勤め人になるも10年ほどで辞め、食いっぱぐれていたときに知人の紹介で自動車専門誌に寄稿するようになり、以後ライターを名乗って業界の片隅に寄生。ただし新車関係の仕事はほとんどなく、もっぱら旧車イベントのリポートなどを担当。

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