第147回:禁酒法時代を描くベン・アフレック監督・主演作
『夜に生きる』
2017.05.20
読んでますカー、観てますカー
イタリア系vsアイルランド系の抗争を描く
物語は1926年のボストンから始まる。ギャングたちが血なまぐさい抗争を繰り広げていた時代だ。1919年に成立した禁酒法は、心身を堕落させる飲酒を禁止することで平和な社会を実現しようとした。浅薄な思考から生まれた安易な方法である。法律で人々の欲望を抑え込むことはできない。
酒を排除することはできず、製造・販売の担い手が、合法的な企業からギャングに移っただけだった。闇の勢力が市場の支配権を争って対立し、暴力的な犯罪が増加した。警察は彼らと裏で結びつき、腐敗した政治家が利権の後ろ盾となる。思惑とは逆に、モラルの低い混乱した社会をもたらす結果となった。
ギャングには2つの有力な勢力があった。イタリア系とアイルランド系である。政治経済の中枢は早くからアメリカに移住したアングロサクソンによってすでに独占されており、遅れてきた移民である彼らには席がなかった。同国人で徒党を組み、裏社会で生きることを選んだのは必然と言える。彼らは夜の世界で王になろうとした。『夜に生きる』は、ラム酒密売をめぐるイタリア系とアイルランド系の激しい抗争を背景にした映画である。
20歳のジョー・コグリンは、インディペンデントの強盗だ。アイルランド人なのに、イタリア人のバルトロ兄弟と組んでいる。自らをアウトローと称し、ギャングという組織には属したくないと意気がっているからだ。理想が高くプライドを持っていると言えば聞こえがいいが、要するに現実が見えていないということになる。
フォード・モデルAのパトカーと銃撃戦?
ジョーはバルトロ兄弟ともぐり酒場を襲撃する。簡単な仕事だと甘く考えていたが、そこはアイルランド系ギャングのボスであるアルバート・ホワイトの店だった。バレれば確実に殺されてしまう。なんとか逃げる方法を考えなければならない。しかし、若くて無鉄砲な彼は、その酒場にいた女に一目ぼれしてしまう。エマ・グールドという名の美女は、ホワイトの愛人だった。
恋に落ちた2人にはまわりが見えない。危険を知りながらも彼らは逢瀬(おうせ)を重ねる。行動は大胆になっていった。見つかるのは時間の問題である。幸福を手に入れるためには、ホワイトから逃れて南へ逃げるしかない。ジョーは逃亡資金を手に入れるために大勝負に出た。銀行強盗である。首尾よく金を手に入れたが、彼は致命的なミスを犯す。自動車の発進に失敗し、警察と銃撃戦になってしまったのだ。
脱出したものの、多数のパトカーが追いかけてくる。この場面は、古い建物が残されているマサチューセッツ州ローレンスで撮影されたという。当時のクルマはたいしたスピードは出ないはずだが、迫力のあるカーチェイスシーンに仕上がっていた。滑らかとは言いがたい路面を走るクルマはまっすぐに走るだけでも一苦労で、いかにも危なっかしい姿勢でコーナーを抜けていく。どこに飛び出してしまうかわからない不安定さが、観客をハラハラさせるのだ。
パトカーは黒塗りで、側面に「Police」の文字が記されている。見たところ、すべて「フォード・モデルA」のようだ。いかにも1920年代らしい道具立てである……などといい加減なことを言うわけにはいかない。最初に書いたように、この映画の舞台は1926年のボストンなのだ。
成功したギャングが乗るパッカード12
アメリカでは急速にモータリゼーションが進んでいた。主役となったのは、「フォード・モデルT」である。1908年に発売されたモデルTは、価格の安さと操作の簡単さから爆発的に売れた。ベルトコンベヤーを使った生産方式で大量生産が可能になり、効率が向上することでますます価格が下がっていく。労働者や農民が自動車を手に入れられるようになったのである。1921年には累計生産台数が500万を超え、アメリカ国内でのモデルTのシェアは55.45%に達した。
大量生産大量消費の時代を開いたのがモデルTであり、資本主義のうねりを作り出した。20世紀は自動車の世紀と呼ばれることになったのは、このモデルが自動車大衆化の扉を開いたからだ。しかし、あまりにも売れてしまうと、消費者は別のモデルを求めるようになる。他人と違うクルマを持ちたいという欲望が芽生えてしまったのだ。モダンなデザインを取り入れた「シボレー」などに押されて人気が低下し、モデルTの生産は1927年5月に突然終了する。フォードは後継モデルを開発しておらず、新たにモデルAが発売されたのは7カ月後だった。
1926年のボストンでモデルAのパトカーが配備されていたというのは、ちょっと無理のある設定だ。実はほかにも年代の合わないクルマが何台か写っていたが、細かいことをあげつらうのは野暮というものだろう。現代の人間が1926年のクルマと1928年のクルマを見分けるのは困難だ。バズ・ラーマン監督の『華麗なるギャツビー』では1928年に発売されたクルマが1922年に走っていたが、作品の価値を損なう結果にはなっていない。
『夜に生きる』にはボストンの街をモデルTが走るシーンもあり、「エセックス」「ハドソン」など今では消滅してしまったメーカーのクルマも姿を見せる。1920年代の街の風景をよみがえらせることには十分成功していると言えるだろう。ジョーがフロリダに移って成功を収めると、乗っているクルマが「フランクリン・モデル135」から「リンカーン・モデルK」「パッカード12」へとランクアップしていくところなども芸が細かい。
『ゴーン・ベイビー・ゴーン』以来のコンビ
ジョーを演じるのはベン・アフレック。彼の先祖にはアイルランド系がいるので、役柄にふさわしい。『アルゴ』以来となる監督も務めている。見事な手腕で、彼が「ポスト・イーストウッド」と称されているのも納得だ。原作はボストン出身のデニス・ルヘイン。ベンとは2007年の『ゴーン・ベイビー・ゴーン』でもタッグを組んでいた。
小説では1929年の大恐慌やキューバの政治情勢が重要な要素になっていたが、映画では背景に退いている。反政府活動家がジョーと組んでアメリカ海軍から武器を奪う爽快なシーンも割愛された。残念ではあるが、129分の枠内に収めなければならないのだから致し方ない。物語がシンプルになった分、くっきりとした輪郭を現したのが愛のテーマである。
ジョーの人生を変えたのはファム・ファタールのエマだったが、後に出会うグラシエラから生きる意味を与えられることになる。どちらの愛が本物なのかという問いへの答えは、観客がそれぞれに見つけるしかない。特筆すべきは、男女の関係を超えた普遍的な愛を体現するロレッタ・フィギスを演じたエル・ファニングだ。昨年の『ネオンデーモン』に続き、凄絶(せいぜつ)とも言うべき美をスクリーンに現出させた。
(鈴木真人)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。