第5回:英国の魂ジャガー
時代の荒波を乗り越えた高級車ブランド
2017.08.24
自動車ヒストリー
優雅さとスポーティーなイメージを身上とする英国のプレミアムブランド、ジャガー。創始者の慧眼(けいがん)とサーキットでの名声によって躍進し、戦災や、度重なる経営危機を乗り越えて今日に至る名門の、波乱に満ちた歴史を振り返る。
さまざまな顔を持つ英国の名門
2003年に登場した新型「XJ」は、ジャガーが新世代に入ったことを強く印象づけた。1986年以来のフルモデルチェンジで、伝統的なスタイリングを維持しながら革新的な新技術を盛り込んでいたのである。ボディーがアルミニウム化され、40%もの重量減を達成していた。少し前に「アウディA8」がアルミニウムを使ったスペースフレーム構造を採用していたが、ジャガーはリベット接着によるモノコックという意欲的な技術に挑んでいた。
サスペンションも一新され、電子制御ダンパーとエアスプリングが取り入れられた。上級グレードに用意されたのは、スーパーチャージャー付きの強力なV8エンジンである。スポーティーで室内が広いプレミアムサルーンへの脱皮を図り、強力なドイツ勢に正面から対抗しようとしたのだ。ユーザーからはおおむね好評を持って迎えられたが、首をかしげる古くからのファンもいた。XJは室内空間を犠牲にしても低い構えを崩さないものだという信念は根強く、近代的なスタイルに違和感を覚えたのだ。
人によって“ジャガーらしさ”が大きく違い、賛否が分かれたらしい。ジャガーと聞いて思い浮かべるモデルがXJであるか、「Eタイプ」であるかで、イメージはずいぶん違う。古典的なサルーンの「マークII」を想起する人もいるだろうし、レースシーンでの活躍がまず頭に浮かぶかもしれない。それも「Dタイプ」なのかグループCの“シルクカット”なのかではまるで別物だ。
ジャガーは、歴史の中で何度も変貌を遂げてきた。始まりは、サルーンでもスポーツカーでもない。1922年9月4日に発足したスワロー・サイドカー・カンパニーが、ジャガーの原点である。この日、創業者のウィリアム・ライオンズが21歳の誕生日を迎えている。彼は10歳年上の友人ウィリアム・ウォームズレイと共同で、イギリス北西部の町ブラックプールにオートバイのサイドカーを作る会社を立ち上げた。イギリスの法律では21歳以上でないと会社の設立ができなかったので、誕生日を待っていたのである。
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コーチビルダーを経て自動車メーカーに
ライオンズには、天性の商才があったようだ。ウォームズレイが製作する美しい出来栄えのサイドカーを巧みに宣伝し、売り上げを伸ばしていった。工場を広げると、自動車の修理にも手を伸ばす。1927年になると、「オースチン・セブン」をベースにしたロードスターの販売を始め、コーチビルダーに転身した。スポーティーなスタイルが評判を呼び、イギリス全土で販売されるようになる。翌年にはサルーンタイプのボディーも追加し、商売は急拡大した。
1928年、スワロー社はコベントリーに移転して手がける車種を増やしていった。フィアットやスタンダードのシャシーを使った新モデルを発売し、「ウーズレー・ホーネット」ベースのスポーツカーの製作も始めた。ライオンズが次の目標に定めたのは、自動車メーカーへのステップアップである。販売は好調で、機は熟していた。彼は1931年のロンドンモーターショーに、「SS1」と「SS2」という2台のオリジナルモデルを出展する。スタンダードのエンジンを用いていたもののシャシーは専用設計で、全高が1370mmという背の低いスタイルが特徴だった。
SS1とSS2は、それまで以上に好評を博す。ベントレーに似た外観と豪華な内装を持っていながら、価格は半分以下だったのである。動力性能や仕上げの精密さではかなわなくても、スタイルなら十分に対抗できた。ライオンズは、見た目を重視するユーザーの心理を読み取って製品戦略を成功させたのだ。1933年には社名をSSカーズに改め、株式会社化する。意見を異にしたウォームズレイは会社を去るが、ライオンズはさらに前へ進んだ。
新体制のもと、ライオンズは4ドアサルーンの「2 1/2リッター」や、高性能スポーツカーの「SS90」および「SS100」を発売する。ライオンズはこれらの新型車をジャガーと名付け、引き続き価格を抑える方針をとる。販売は好調で、SSカーズはイギリスで知らない者のない大メーカーに成長していった。
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サーキットの栄光が名声を高める
第2次大戦が終わると、再び会社名を変える。ナチス親衛隊を連想させるSSはイメージが悪いので、ジャガーカーズに改称したのである。コベントリーは戦災に見舞われ、ジャガーの工場も大きな被害を受けていた。しばらくは戦前型モデルの生産を余儀なくされる。ニューモデルが発表されたのは、1948年のロンドンモーターショーである。
「マークV」と名付けられたサルーンも展示されたが、集まった人々を驚かせたのは別のモデルである。「XK120」という名の2シーターロードスターで、長く伸びたフロントフードの下に収められた3.4リッター6気筒エンジンには、カムシャフトが2本装備されていた。新しいDOHCエンジンは、160馬力の最高出力を誇る高性能パワーユニットである。
車名の中にある“120”は、マイル表示の最高速度を意味している。200km/h近くのスピードを出すことのできる高性能なスポーツカーだった。戦前のモデルと同様に価格は安く、「アストンマーティンDB2」の半額で手に入れることができる。XK120はアメリカでも大評判となり、多くが輸出された。
XK120の名声を高めたのは、サーキットで見せた勇姿である。1951年のルマン24時間レースに、このモデルをベースにしたレーシングカーが持ち込まれた。200馬力以上にパワーアップしたエンジンと、滑らかな空力ボディーが与えられた「XK120C」である。初出場のルマンで優勝を果たすと2年後にも優勝して名声を高め、いつしかこのマシンは“Cタイプ”と呼ばれるようになった。
Cタイプは通称だったが、後継車は「Dタイプ」が正式名称である。マグネシウム製のモノコックを採用し、エンジンの最高出力は250馬力に達していた。ドライバーの後方に垂直尾翼に似たスタビライジングテールフィンが備えられているのが特徴である。このマシンは1955年からルマン3連勝を達成する。モータースポーツでの活躍は、ジャガーの名声をいよいよ高めていった。その功績が認められ、ライオンズは1956年にナイトの称号を贈られている。
新たな市販モデルとしては、1955年に「2.4」と「3.4」というコンパクトなサルーンが発売されている。“スモールジャガー”と呼ばれたこのモデルは1959年に改良され、マークIIと名付けられた。小さいとはいえ四輪ディスクブレーキなどの高度な技術が取り入れられていて、3.8リッターエンジンを搭載したモデルは最高速度が200km/hに達する性能を発揮した。
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混乱を乗り越えて復活した誇り
さらに、1961年のジュネーブショーで発表されたモデルがジャガーの評価を決定的に高めることになった。ロングノーズの美しいスタイルを持つスポーツカーのEタイプである。もともとはDタイプを継ぐレーシングカーとして開発されていて、ロードカーとなっても名前がそのまま残された。通称だったCタイプという名は、ついに市販車のモデル名にまで発展したことになる。
ジャガーは絶頂期を迎えていたが、イギリスの経済は決して好調ではなかった。アメリカ資本の自動車メーカーが勢力を伸ばす中、民族資本系メーカーは生き残りのために大同団結する。すでに1952年にはオースチンとナッフィールドが合併してブリティッシュ・モーター・カンパニー(BMC)が生まれていたが、それでも経営悪化はとまらず、1966年にジャガーが加入してブリティッシュ・モーター・ホールディングス(BMH)となる。2年後さらにローバーグループが加わってブリティッシュ・レイランド・モーター・コーポレーション(BLMC)となり、収拾のつかない事態になっていった。
1972年にライオンズが引退すると、混乱に拍車がかかった。1975年にはBLMCが国有化されてブリティッシュ・レイランド(BL)に改組される。ジャガーはグループ内の高級車部門という扱いになり、社員の士気は下がる一方だった。リストラが繰り返され、製品の品質は低下していく。
危機を救ったのは、1980年にジャガーのトップに就任したジョン・イーガンだった。彼は日本企業のような品質管理を取り入れ、新たなパワーユニットを導入した。同時に進められたのが、社員の意識改革である。ジャガーはイギリスを代表する高級車であり、製造に関わることは誇りなのだということを思い起こさせた。1984年、ジャガーはBLから離れ、再び民営化される。
ジャガーは立ち直ったがイギリスの苦境は続き、経済は上向かなかった。1987年のブラックマンデーが追い打ちをかけ、ジャガーも経営不振に陥る。1990年、ジャガーはフォード傘下に入った。フォードはジャガーの可能性を認めたからこそ、買収に踏み切ったのである。BL時代に独自性を失って埋もれてしまったのとは逆に、ジャガーはフォードの力を借りてブランド価値を高めていった。2003年の新世代XJも、十分な資本力を背景にして生まれたものである。
2008年、フォードの経営難からジャガーはインドのタタグループに移る。それでも、ジャガーがイギリスを代表する高級車であることを疑う者はいない。英国の魂が受け継がれている限り、ジャガーはジャガーであり続けている。
(文=webCG/イラスト=日野浦 剛)
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鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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