第23回:反逆のデロリアン
“未来のクルマ”に結実した異端児の夢
2018.05.03
自動車ヒストリー
希代のカーガイが、それまでの成功を投げ打ってまで商品化に取り組んだスポーツカー「デロリアンDMC-12」。わずか1年で表舞台から姿を消した自動車史のあだ花と、このクルマにすべてをかけたジョン・ザカリー・デロリアンの物語を紹介する。
タイムマシンになったDMC-12
映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー(BTTF)』が公開されたのは、1985年である。この作品がヒットする大きな要因となったのが、タイムマシンのフォルムだろう。企画当初は箱型になるはずだったが、自動車型にするという画期的なアイデアが採用されたのだ。
ベースになったのは「デロリアンDMC-12」である。ガルウイングドアを備えたフォルムは、シルバーに輝くステンレスボディーと相まっていかにも未来的だ。パワーユニットは原子炉である。時速140km以上にならないと装置が作動しないという設定で、速度を増すに連れて車輪の跡が炎のラインとなった。当時の日本の子供たちにとって、このクルマは本当に未来の乗り物のように見えたのだろう。しかし、DMC-12に未来はなかった。映画製作時に、すでに生産を終了していたのだ。
この新奇なクルマを作り出したのは、ジョン・ザカリー・デロリアンである。DMC-12には、彼の栄光と挫折がまるごと詰まっている。デロリアンはゼネラルモーターズ(GM)の元副社長だが、その地位を投げ捨てて新しいクルマを創造することに賭けた。大企業GMの中で、彼は反逆の男であり続けた。『BTTF』が公開された同じ年、彼は『デロリアン自伝』という本を出版している。文章中にはGMの元上司たちの実名が多数登場し、新しい風を吹き込むことを妨害した“企業の論理”への呪いの言葉が書き連ねられている。
デロリアンは、自動車都市デトロイトで1925年に生まれた。父はフォードで働く工員で、子供の頃から自動車に囲まれた環境で過ごしている。彼は自然に自動車エンジニアへの道を歩み、クライスラー工業大学で学位をとった。
GMでの成功と挫折
そのままクライスラーで働くつもりだったが、卒業式の祝辞を聞いて考えを変えた。『デロリアン自伝』によれば、技術部門の責任者であるジェームズ・ゼダーは学生に向けて居丈高に“従業員の心得”を説いたという。
「会社の決まりに適応せよ、それが生き残る道であり……個人であることは忘れることだ」。デロリアンの“反逆”は、この言葉を聞いた瞬間から始まったのかもしれない。大企業で働くことに意義を見いだすことができなくなり、パッカードの研究開発部門に就職した。
パッカードでの仕事は、やりがいのあるものだった。自動変速機の開発に没頭し、さまざまな技術的問題を解決していった。能力と実績が認められ、デロリアンは20代で研究開発部門の長となる。しかし、パッカードの経営は悪化しつつあり、彼はGMからのヘッドハントを受けて移籍を決意する。皮肉なことに、クライスラー以上の大企業で働くことになったわけだ。
ポンティアック部門に入ったデロリアンは、埋め込み式ワイパーの開発などで実績をあげる。1961年にはGMで最年少のチーフエンジニアになり、不振に陥っていたポンティアックの再生に取り組む。若者向けの市場に進出するために、まずゴテゴテしていたデザインをシンプルにした。ボディーを軽量化してさらに大型のエンジンを搭載し、サスペンションを一新した。性能が向上してストックカーレースで華々しい勝利を重ね、若々しくてスポーティーなクルマというイメージを焼き付けたのだ。
1964年には、コンパクトカーの「テンペスト」に強力なV8エンジンを載せたマッスルカーの「GTO」を売り出す。大ヒットを収めたが、このクルマの開発はGM首脳陣の承認を得ないまま極秘で進められたものだった。成功したにもかかわらず、デロリアンは社内で陰に陽に批判にさらされる。当時のGMではスーツは黒かグレーでシャツは白と定められるなど、保守的な雰囲気に満ちていた。見た目も行動も派手なデロリアンは、異端児として完全に浮き上がってしまう。
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“夢のスポーツカー”を作りたい
それでも、華々しい功績を背景に彼は出世街道を歩んだ。1965年にポンティアックの責任者となり、1969年にはシボレー部門を任される。沈滞していたシボレーを復活させ、1972年、デロリアンは乗用車トラック部門を統括する副社長に任命された。
若くして大企業の中枢に迎えられることになり、マスコミは驚異的なドリームストーリーを書き立てた。しかし、彼は次第に仕事への意欲を失っていく。現場からははるかに遠い場所で、社内の政治に巻き込まれて空回りする日々が続くのだ。1973年、デロリアンは44歳でGMを退社した。
「私は、ゼネラル・モーターズで技術者として仕事をはじめた。しかし、昇進するにつれて自分の好きな工学からは遠ざかるばかりである。(中略)個人がのびのびとした創造的な仕事にかかわることができるのは、小規模の特殊な会社だけだった」
『デロリアン自伝』で、彼はGMを辞した理由を説明している。1975年、“夢のスポーツカー”を作るために、彼はデロリアン・モーター・カンパニー(DMC)を設立した。
ボディーはステンレス製で、ガルウイングドアを持つ。デザインを請け負ったのは、ジョルジェット・ジウジアーロだ。プジョー、ルノー、ボルボが共同で開発したV6の2.8リッターエンジンをリアに搭載した。メカニカルな設計は、ロータスのコーリン・チャップマンが手がけている。
北アイルランドのベルファストに工場を作り、生産設備を整えた。自動車業界のスターが仕立てた斬新なモデルは、人々の興味をかき立てる。1981年に生産が開始された時には多くのバックオーダーを抱えていた。この年のクリスマスパーティーで、彼は成功を祝う人々に囲まれて最高の幸福を味わった。
トラブル続出で工場は閉鎖
翌年、すべてが暗転する。製造工程の不備によりトラブルが続出し、対応に巨額の資金が必要となった。英国政府から得られるはずだった補助金は停止され、さらに資金不足が加速する。政情が不安定だった北アイルランドでは港湾ストが続発し、部品供給が絶たれた。アメリカの景気は減速局面を迎え、自動車業界全体が不況に落ち込んでいく。
不運が重なったのは確かだが、致命的な事態はデロリアン自らが招いたものである。資金供給を受けるために接触していた人物が麻薬関係者で、警察のおとり捜査により彼自身が逮捕されてしまったのだ。DMCの命運は尽き、1982年のクリスマスイブに工場は閉鎖された。
その後の裁判でデロリアンは無罪となっているので、法的な問題はなかったことになる。しかし、あまりにも脇が甘かったことはまぎれもない事実だ。ほかにも多くの訴訟を抱えることになり、再起して新たなスポーツカーを作るという彼の夢は果たされなかった。
『BTTF』では、タイムマシンを作ったドクが2015年にタイムスリップし、生ゴミで駆動する新型のエコ動力を手に入れて1985年に戻ってきた。その技術はまだ実現しそうにないが、2011年にDMC-12をベースにしたEVの構想が発表された。デロリアンの夢は過去の遺物として忘れ去られることはなく、未来に向かう希望の象徴であり続けている。
(文=webCG/イラスト=日野浦 剛)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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