第50回:ぶつからないという正義
スピードと戦うブレーキの進化
2019.05.30
自動車ヒストリー
自動車にとって、なくてはならない装備のひとつであるブレーキ。馬車からの流用品だった制動装置は、どのような進化を遂げて今日に至っているのか。油圧や電子制御といった技術革新の数々とともに、その歴史を振り返る。
最初のガソリン車は革ベルトで減速
自動車とは、その名の通り自ら動く乗り物である。動いたからには必ず止まらなければならない。1885年にカール・ベンツが造った世界初のガソリン自動車「パテント・モトールヴァーゲン」にも、ブレーキが備えられていた。レバーを引くと駆動軸のドラムに革ベルトが巻きつけられ、摩擦によって減速する。パテント・モトールヴァーゲンの最高速度はわずか15km/hほどだったが、それでも消耗は激しかった。このクルマでベンツ夫人が200km弱のドライブに出かけたエピソードは有名だが、道中で何度も革を交換しなくてはならなかったという。
馬車では、車輪の外側に摩擦物を押し付けて減速するブレーキを使っていた。初期の自動車では馬車から流用していたパーツが多く、ブレーキもそのひとつだった。ただ、馬車は馬が自ら止まろうとするが、自動車ではエンジンにその機能を求めることはできない。エンジンブレーキの作用はあるものの、制動力としては小さすぎる。自動車の速度が高くなるにつれ、ブレーキの重要性はさらに高まっていった。
自動車専用の機構として最初に考え出されたのは、金属ドラムの内側に摩擦材を入れ、それをシリンダーでドラムに押し付けて制動する方式だった。ドラムブレーキと呼ばれるもので、スタンダードなシステムとして広く採用されることになる。摩擦材をシュー(靴)と呼ぶのは、馬車の時代の名残だ。
ドラムブレーキの優れている点は、自己倍力作用があること。リーディングシューは回転する力によってドラムに押し付けられるため、自然に強い制動力が得られる。一方、弱点は放熱性が低いことだ。摩擦材による制動は、運動エネルギーを熱エネルギーに変換するという意味を持つ。ブレーキシューの温度が限界まで高くなると、それ以上は摩擦エネルギーをためられなくなり、制動力が低下する。フェードと呼ばれる現象で、長い下り坂でブレーキを多用すると利きが悪くなることがよくあった。今でも峠道に行くと「エンジンブレーキ併用」の看板が立っていたり、緊急待避所が設けられていたりする。
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
放熱のためにドラムからディスクへ
最近のクルマではフェード現象はほとんど起きないが、昔はブレーキを冷やすために停車しているクルマがよく見られた。ドラムブレーキは構造上熱を逃がすのが難しく、フェードが起こりやすい。アルミ製のドラムの外側に熱を放散するための突起を付けたアルフィンドラムなども使われたが、根本的な解決にはならなかった。まったく異なる発想のもとに作られたのがディスクブレーキである。
ドラムの代わりにディスクローターを使い、それを両側からブレーキパッドで挟む構造だ。ディスクは外側に露出しているので冷えやすく、パッドも高温になりにくい。20世紀初頭にはすでに考案されていたが、実用化は進まなかった。ドラムブレーキのような自己倍力作用を持たないため、操作に強い力を必要としたのである。
1952年、ディスクブレーキを装着した「ジャガーCタイプ」がミッレミリアに参戦する。競技を通してその耐久性をテストしたのである。翌年のルマン24時間レースではワン・ツー・フィニッシュを達成し、優秀な性能を見せつけた。それ以降、モータースポーツの世界ではディスクブレーキが主流となっていく。競技ではハイスピードからの急激な減速が繰り返されるので、耐フェード性が高いことは大きなアドバンテージだった。
摩擦を使わないまったく新しいブレーキ機構
ジャガーではサルーンの「マーク2」にもディスクブレーキを採用したが、市販車の間で本格的に普及が進むのは、1970年代になってからだ。倍力装置を必要とするためにコストが高くなりやすく、価格競争力の面で不利だったからだ。
市販車も高速化が進んで高性能なブレーキが求められるようになると、主にスポーツタイプのモデルからディスクブレーキが導入されていった。今では、軽自動車でもディスクブレーキが普通となっている。高性能車では、ディスクローターを2重構造にして冷却能力を高めたベンチレーテッドディスクが用いられるようになった。レースでは軽量化と熱対策のために、カーボンセラミック製のディスクを用いるのが普通で、市販のスポーツカーでも採用されるケースが増えている。
また、ハイブリッド車や電気自動車の登場で、まったく新しい形式のブレーキも現れた。モーターを使った回生ブレーキである。磁石の原理を使っているモーターは、発電機と構造が同じだ。車輪から伝わる力でモーターを回転させれば電力が発生し、同時に磁石の反発力を利用して制動も行う。摩擦式ブレーキでは制動エネルギーを熱として捨てるほかなかったが、回生ブレーキは電気エネルギーとして回収し、再びクルマを走らせるパワーとすることができる。
![]() |
![]() |
![]() |
油圧システムを利用したABSが登場
ブレーキの進化を加速させたのは、油圧システムの登場である。初期の自動車では、ブレーキは駆動輪である後輪のみに取り付けられるのが普通だった。制動時に荷重のかかる前輪にも取り付ければより効率が上がるはずだが、4輪すべてにブレーキを付けられない理由があった。ロッドやワイヤーで力を伝える機械式では、ブレーキ力を適切に分配することが難しかったのである。
この問題を解決したのが油圧システムだった。ブレーキペダルを踏むとマスターシリンダーのピストンが押されて油圧が発生し、ホースやパイプを通って各輪に力を伝える仕組みである。力の増幅や分配が容易に行えるようになり、安定した制動が可能になったのだ。
油圧システムを利用し、ブレーキを電子制御で操る技術も生み出された。1980年代から普及が始まったアンチロックブレーキシステム(ABS)である。車輪がロックすることを防ぎ、ステアリング操作を有効にしたまま最大限の制動力を生み出そうとするシステムだった。
急ブレーキで車輪が完全に動かなくなると、クルマの挙動が乱れてコントロール不能に陥ってしまう。それを防ぐためのテクニックがポンピングブレーキで、ドライバーがブレーキペダルの踏力(とうりょく)を微妙に操作して行うものだった。ABSでは、このポンピングブレーキが電子制御で自動的に行われる。
各輪に設けられたセンサーが回転速度の情報をコントロールユニットに送り、ロックしそうな車輪の電磁バルブの油圧を下げて制動力を弱める。回転速度が回復したら油圧を元に戻し、制動力を復活させる仕組みだ。人間よりもはるかに緻密に制御を行うことができるので、安定した姿勢を保ちながら最大限の制動力を発揮することが可能となった。
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
電子制御が発展して自動化が可能に
ABSの技術は、エンジンの電子制御と連動する形でトラクションコントロールやスタビリティーコントロールなどにも応用された。トラクションコントロールは発進時や加速時にホイールスピンが発生するのを抑え、適切な駆動力を確保するというもの。スタビリティーコントロールはコーナリング時の姿勢を安定させる機能で、オーバースピードで道の外側にはみ出しそうになると、内側の車輪に自動的にブレーキをかけて進路を修正する。内側にはみ出しそうになれば、逆に外側の車輪にブレーキをかけるわけだ。
ブレーキの電子制御が高度化する中で浮上してきたのが、自動ブレーキである。自動車がミリ波レーダーやカメラでまわりの状況を認識し、危険が迫った時には自動的にブレーキをかける機構だ。契機となったのは2003年のことで、2月に登場した「トヨタ・ハリアー」には、危険を感知するとブレーキの油圧を高め、ドライバーがブレーキペダルを踏むとフルブレーキがかかる世界初のプリクラッシュセーフティーシステムが搭載されていた。6月には、「ホンダ・インスパイア」が衝突被害軽減ブレーキを採用。自動車が自らの判断で減速する機能が登場した。
ただし、このシステムが行うのは減速のみで、完全に停車はしない仕組みとなっていた。ドライバーがシステムを過信することを恐れ、自動停止が規制されていたからだ。しかし、2008年に「ボルボXC60」から自動停止が解禁され、2010年にスバルが「EyeSight(ver.2)」を採用すると、自動ブレーキの普及は加速した。価格も劇的に下がり、今日では軽自動車にも積極的に採用されている。
大型バスや大型トラックでは、自動ブレーキを義務づける動きが進んでいる。日本でも2014年11月から義務化が始まった。安全性を評価するJNCAPでは、自動ブレーキの有無が評価項目に加えられている。装着車は自動車保険で割り引きを受けられるようにもなった。高速で移動する自動車にとってぶつからないことは正義であり、ブレーキは最も重要な装備であり続けている。
(文=webCG/イラスト=日野浦 剛)
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
-
第105回:資本主義のうねりを生んだ「T型フォード」
20世紀の社会を変えた大量生産と大量消費 2021.7.21 世界初の大量生産車となり、累計で1500万台以上が販売された「T型フォード」。このクルマとヘンリー・フォードが世にもたらしたのは、モータリゼーションだけではなかった。自動車を軸にした社会の変革と、資本主義の萌芽(ほうが)を振り返る。 -
第104回:世界を制覇した“普通のクルマ”
トヨタを支える「カローラ」の開発思想 2021.7.7 日本の大衆車から世界のベストセラーへと成長を遂げた「トヨタ・カローラ」。ライバルとの販売争いを制し、累計販売台数4000万台という記録を打ち立てたその強さの秘密とは? トヨタの飛躍を支え続けた、“小さな巨人”の歴史を振り返る。 -
第103回:アメリカ車の黄金期
繁栄が増進させた大衆の欲望 2021.6.23 巨大なボディーにきらびやかなメッキパーツ、そそり立つテールフィンが、見るものの心を奪った1950年代のアメリカ車。デトロイトの黄金期はいかにして訪れ、そして去っていったのか。自動車が、大国アメリカの豊かさを象徴した時代を振り返る。 -
第102回:「シトロエンDS」の衝撃
先進技術と前衛的デザインが示した自動車の未来 2021.6.9 自動車史に名を残す傑作として名高い「シトロエンDS」。量販モデルでありながら、革新的な技術と前衛的なデザインが取り入れられたこのクルマは、どのような経緯で誕生したのか? 技術主導のメーカーが生んだ、希有(けう)な名車の歴史を振り返る。 -
第101回:スーパーカーの熱狂
子供たちが夢中になった“未来のクルマ” 2021.5.26 エキゾチックなスタイリングと浮世離れしたスペックにより、クルマ好きを熱狂させたスーパーカー。日本を席巻した一大ブームは、いかにして襲来し、去っていったのか。「カウンタック」をはじめとした、ブームの中核を担ったモデルとともに当時を振り返る。
-
NEW
MTBのトップライダーが語る「ディフェンダー130」の魅力
2025.10.14DEFENDER 130×永田隼也 共鳴する挑戦者の魂<AD>日本が誇るマウンテンバイク競技のトッププレイヤーである永田隼也選手。練習に大会にと、全国を遠征する彼の活動を支えるのが「ディフェンダー130」だ。圧倒的なタフネスと積載性を併せ持つクロスカントリーモデルの魅力を、一線で活躍する競技者が語る。 -
NEW
なぜ給油口の位置は統一されていないのか?
2025.10.14あの多田哲哉のクルマQ&Aクルマの給油口の位置は、車種によって車体の左側だったり右側だったりする。なぜ向きや場所が統一されていないのか、それで設計上は問題ないのか? トヨタでさまざまなクルマの開発にたずさわってきた多田哲哉さんに聞いた。 -
NEW
トヨタ・スープラRZ(FR/6MT)【試乗記】
2025.10.14試乗記2019年の熱狂がつい先日のことのようだが、5代目「トヨタ・スープラ」が間もなく生産終了を迎える。寂しさはあるものの、最後の最後まできっちり改良の手を入れ、“完成形”に仕上げて送り出すのが今のトヨタらしいところだ。「RZ」の6段MTモデルを試す。 -
ただいま鋭意開発中!? 次期「ダイハツ・コペン」を予想する
2025.10.13デイリーコラムダイハツが軽スポーツカー「コペン」の生産終了を宣言。しかしその一方で、新たなコペンの開発にも取り組んでいるという。実現した際には、どんなクルマになるだろうか? 同モデルに詳しい工藤貴宏は、こう考える。 -
BMW R1300GS(6MT)/F900GS(6MT)【試乗記】
2025.10.13試乗記BMWが擁するビッグオフローダー「R1300GS」と「F900GS」に、本領であるオフロードコースで試乗。豪快なジャンプを繰り返し、テールスライドで土ぼこりを巻き上げ、大型アドベンチャーバイクのパイオニアである、BMWの本気に感じ入った。 -
マツダ・ロードスターS(後編)
2025.10.12ミスター・スバル 辰己英治の目利き長年にわたりスバル車の走りを鍛えてきた辰己英治氏。彼が今回試乗するのが、最新型の「マツダ・ロードスター」だ。初代「NA型」に触れて感動し、最新モデルの試乗も楽しみにしていたという辰己氏の、ND型に対する評価はどのようなものとなったのか?