第55回:カムシャフト進化論
空気を取り込み圧縮する技術
2019.08.08
自動車ヒストリー
エンジンの燃焼を制御すべく、吸気バルブと排気バルブを駆動するカムシャフト。エンジンの高出力化・高効率化を果たすべく、動弁機構はどのような進化を遂げたのか? サイドバルブエンジンから始まる“回転によって燃焼を操る”システムの歴史を振り返る。
高性能の証しだったバッジ
1980年代、フロントグリルやリアエンドに「TWIN CAM」というバッジを装着したクルマが増殖した。車種によっては、「DOHC」と記したものもあった。どちらも同じ意味で、エンジンのカムシャフトが2本あることを示す。
技術用語をわざわざクルマの外面に書き記すのも妙な話だが、当時はこれが高性能の証しとしてもてはやされた。自動車用品店には後付けのバッジが並べられていて、ひそかにそれを買って見かけだけ偽装する者も多かった。
現在では、このようなエンブレムを付けたクルマは見られない。DOHCはごく当たり前の技術となり、誇示するようなものではなくなったからだ。以前はスポーツカーや高級車だけに用いられていたが、今ではごく普通のセダンや軽自動車にも当たり前に採用されている技術である。
内燃機関は動力を取り出すためにシリンダー内で燃料を燃やすので、外から空気を取り入れる必要がある。そして、燃焼させるときには完全に密封しなければならない。その動作を担うのが、吸気側と排気側にそれぞれ備えられるバルブである。タイミングよくバルブを開閉して、空気を導入し、閉じ込め、排出する。効率的に空気をマネジメントするため、エンジニアたちは苦心を重ねてきた。
バルブの開閉をつかさどるのがカムシャフトで、クランクシャフトの回転がギアやチェーンで伝えられて動作する。軸には卵型をしたカムが取り付けられており、回転運動を往復運動に変換して一定の間隔でバルブを押す。4ストロークエンジンでは、クランクシャフトが2回転する間にカムシャフトは1回転する。この吸排気弁機構の効率化が、エンジンの性能を高めるのに重要なポイントとなる。
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圧縮比を大幅に向上させたOHV
初期のレシプロエンジンでは、SV(サイドバルブ)と呼ばれる機構が採用されていた。この形式では、シリンダーの外側にバルブが上向きに配置されており、クランクシャフトのすぐ近くにあるカムシャフトにより直接駆動される。どうしても燃焼室が横に広がる形になり、圧縮比を上げることが難しい。シンプルなため丈夫で、ヘッドをコンパクトにできるというメリットはあったが、高出力を得ることはできなかった。
OHV(オーバーヘッドバルブ)は、その名が示す通りバルブがヘッドの上にあり、SVとは逆に下向きに配置されている。カムシャフトはシリンダーの横にあり、プッシュロッドを介してロッカーアームを押し上げる。テコの原理によって作用の向きを反転させることで、バルブが押し下げられる仕組みだ。燃焼室をコンパクトにすることが可能になり、圧縮比を大幅に向上させることができた。ただ、OHVは長いプッシュロッドを持つため、慣性重量と熱変形、弾性変形の問題を抱えていた。
1950年代には、クライスラーが半球形燃焼室を持つV8のHEMIエンジンを採用して高出力のマッスルカーを登場させ、レースでも華々しく活躍する。しかし、1970年代に入ると排ガスや燃費の面で時代に対応することができず姿を消してしまった。OHVはすっかり時代遅れになったと思われたが、アメリカのゼネラルモーターズは依然としてこの形式のエンジンを採用しており、またクライスラーも21世紀になって新世代のHEMIエンジンを発表し、「300C」などに搭載して高評価を受けた。
OHC(オーバーヘッドカムシャフト)は、バルブだけでなくカムシャフトもヘッドの上部に配置する形式である。クランクシャフトからギアやチェーンでカムシャフトを駆動し、カムがバルブかロッカーアームを押し下げる。プッシュロッドを省いたことで高回転化が可能になり、さらに出力を上げることができるようになった。
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DOHCを大衆化した「ジュリエッタ」
このカムシャフトを2本に増やしたのがDOHC(ダブルオーバーヘッドカムシャフト)である。直列エンジンの場合に2本なのであり、V型や水平対向の場合は4本ということになる。DOHCの普及により、OHCはSOHC(シングルオーバーヘッドカムシャフト)と呼ばれるのが普通になった。DOHCは吸気側と排気側のバルブを別のカムシャフトで駆動するので、シリンダーヘッドの設計の自由度が大幅に上がる。高回転化もしやすい。反面、機構が複雑になり、重量が増加するという弱点もある。
SV、OHV、SOHC、DOHCと、前の形式を完全に淘汰(とうた)する形でエンジンが進化してきたわけではない。それぞれに長所と短所があり、用途に合わせて使い分けられてきた。DOHCも決して新しい技術ではなく、20世紀初頭にはすでに考案されている。ただ、複雑で手の込んだ機構であり、戦前はレーシングカーか高級スポーツカーにしか使われなかった。
レースで積極的にDOHCを採用したのが、アルファ・ロメオだった。ヴィットリオ・ヤーノが率いるエンジニアチームがつくり上げた「P2」は、戦前のグランプリマシンを代表する名車である。直列8気筒1987ccのDOHCエンジンを搭載し、スーパーチャージャーの力を借りて140馬力の出力を得ていた。1924年から30年にかけ、各地のGPやタルガ・フローリオなどのレースで勝利を重ねた。ヤーノはDOHCエンジンを搭載した市販のスポーツカーもつくっている。
戦後、アルファ・ロメオは少量生産の超高級車メーカーというスタイルを捨て、量産車メーカーとして再出発する。それでもDOHCエンジンの伝統は守られた。1954年、アルファ・ロメオは小型ではあるが高性能なモデルを発表した。それが「ジュリエッタ」である。搭載されたエンジンは1290ccという小排気量だったが、クーペボディーのスプリントで165km/h、ベルリーナで140km/hの最高速を誇った。
可変バルブ機構で効率がアップ
その後、このエンジンは排気量を1.6リッター、1.75リッター、2リッターに拡大し、「ジュリア」や「75」などにも使われている。憧れだったDOHCエンジンが、手の届く存在になったのだ。
DOHCの採用によってバルブの配置や燃焼室形状の設計のバリエーションが増え、吸排気ともに2つのバルブを備えた4バルブ、さらに5バルブのエンジンも現れた。マルチバルブ化によって、空気の流入量が増し、燃焼効率が向上する。カムシャフトの進化は、これで終わったわけではない。
1980年代から急速に研究が進んだのが、可変バルブ機構である。バルブの開閉タイミングやリフト量は、エンジンの回転数によって最適な値が異なる。高回転にマッチした設定にすればどうしても低回転域では効率が悪くなり、その逆も同じである。それを制御可能にしたのが、可変バルブ機構だった。
各自動車メーカーによってさまざまな方式が生み出されており、バルブタイミングとバルブリフト量のどちらかを可変にするものも、両方を制御するものもある。カムの形状を変化させる場合もあれば、進角・遅角によってオーバーラップ量を変化させるタイプもある。いずれにせよ、エンジンが必要とする空気を、最適なタイミングで最適な量確保しようとしているわけだ。
高出力を生み出すために、燃料を大量に消費することはもはや許されない。しかし、空気ならばどれだけたくさん取り入れてもいいはずだ。より多くの空気をシリンダーに送り込むため、エンジンの進化は続いている。
(文=webCG/イラスト=日野浦 剛)
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鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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