第3回:「ブーブー小説」を書く作家 − 助手席から人生を眺めたら?
2011.05.11 読んでますカー、観てますカー第3回:「ブーブー小説」を書く作家 助手席から人生を眺めたら?
クルマに詳しい人に違いない
このコーナーで初めて取り上げる小説は、長嶋有の作品にしようと決めていた。ちょうど『ぼくは落ち着きがない』が文庫化されるので、これがいい。と思ったのだけれど、重大な問題があったことに気づいてしまった。この小説の主人公は、女子高生。つまり、クルマが出てこない! クルマが登場する映画や小説についてあれこれ語っていこうという趣旨なのに、これではお話にならない。謹んでお詫びいたします。
ただ、言い訳をさせてもらえば、長嶋有という作家は、作品中で上手なクルマの使い方をするという印象が強いのだ。デビュー当時、文芸評論家の斎藤美奈子が「ブーブー小説」と名付けていたほどである。文學界新人賞を受賞した作品はタイトルからして『サイドカーに犬』で、中古車店が舞台になっている。竹内結子主演で映画化され、「箱スカ」や「ケンメリ」、「チンクエチェント」などがスクリーンに姿を見せていた。
そして、2002年に芥川賞を受賞したのが『猛スピードで母は』。冒頭からタイヤ交換のシーンで、「計四カ所あるナットのうち、対角線上の二カ所ずつを交互にしめないと均等に絞りきることができない」などと書いてある。そしてラストでは、母親が白い「ホンダ・シビック」で10台の「フォルクスワーゲン・ビートル」を追い越していく。これはたいそうクルマに詳しい人に違いない、と思い込んで、当時、自動車雑誌『NAVI』編集部にいた僕はすぐさまインタビューを申し込んだ。試乗車に「ニュービートルRSi」を用意して。
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クルマ好きなのは母親だった
ところが、驚愕(きょうがく)の事実が発覚したのだった。運転免許を持っていない、というのだ。あまりにガッカリした顔をしたのが印象に残ったのか、長嶋有公式サイトの経歴欄には「早速、自動車雑誌から試乗レポートの依頼があり『免許ないんです』と答えて絶句される」と記されている。
『猛スピードで母は』の主人公・慎は小学校5年生だから、当然運転はできない。でも、まさか今に至るも免許を持っていないとは思わなかった。話を聞くと、実際に母親がクルマ好きだったそうで、タイヤ交換の手伝いもしていたのだとか。クルマを外から眺めていたからこそ、人物描写の格好のアイテムとして冷静に捉えることができたのかもしれない。長嶋有には『電化製品列伝』という奇妙な著作もあって、これは文学作品を登場する電化製品を軸に論ずるという代物なのだ。クルマに関しても、同じような視線で見つめているのだろう。
運転しないのだから、いつも助手席が定位置ということになる。「助手席文学」と呼ばれたこともあるくらいで、これは長嶋有という作家の特質をよく表している言葉でもある。主人公が強靭(きょうじん)な意志で運命を切り開いていくというような物語は採用しない。いつも、受け身なのだ。どこかの都知事作家の小説のように、我執の強い主人公が勝手気ままに暴れ回るようなことはない。
「助手席は行き先も決められないし、すごいスピードを出されて怖くてもなすがまま。行き先もスピードも運転席の人が決める、自分にできることは、ただじっとしていることなんです」と、インタビューの時に話していた。
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ナビゲートすらできない……
2003年の作品『ジャージの二人』では、父親の運転で群馬県の山荘に向かう。作中ではワゴン車としか書かれていなかったが、続編の『ジャージの三人』では後ろがスライドドアだという記述があったので、「日産プレーリー」ではないだろうか。なぜか映画化された際には「フォルクスワーゲン・ゴルフII」に代えられてしまっていた。もちろん、主人公は常に助手席である。ナビゲートをする場面もあったが役に立たず、後席にいた奥さん(これがひどい女なのだ!)と位置を交代することになる。
昨年デビュー10周年ということで出版された短篇集『祝福』には、さらに後日譚(ごじったん)である『ジャージの一人』が収録されている。ついに助手席ですらなく、ひとりでのバス移動になってしまった。
さて、『ぼくは落ち着きがない』は、高校の図書部を舞台にした青春小説である。図書委員でも文芸部でもないところが、いかにも中途半端だ。図書室の中の、ベニヤで仕切られた部室というのも、情けなさを盛り上げる。登場人物たちは、みんな「クラスで浮いている」存在である。やはり、これも立派な「助手席文学」なのだ。
事件というほどの出来事は起きない。語られるのは、高校生活の日常である。まあ、長嶋有の作品はだいたいがそういう趣なのだ。飽きさせないのは、作品中に出てくる具体的な事物と、それに対する登場人物の心の動きの微視的な描写が驚くほどリアルだからだ。
運転席にいて、すべてをコントロールするのはもちろん楽しい。しかし、助手席には助手席の楽しみがある。それを知ればクルマの楽しみは深みを増すだろう。たぶん、人生も同じだ。
(文=鈴木真人)
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鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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