世界屈指の難レースで2度目の勝利 佐藤琢磨のインディ500制覇が物語ること
2020.09.04 デイリーコラムインディ500での2勝が“快挙”と呼ばれる理由
コロナ禍で鬱々(うつうつ)としていた気分を見事に晴らしてくれたのが、2020年8月23日にもたらされたインディアナポリス500(インディ500)での佐藤琢磨優勝の報である。佐藤にとっては3年ぶり2度目のインディ500制覇となり、複数回優勝を飾った史上20人目のドライバーという栄誉に輝いた。これは“日本人初”などという狭い枠を越えた“快挙”と呼んでいい出来事なのだが、その真の意味を理解するには、インディ500の109年にもわたる歴史を、少し振り返ってみる必要がある。
1911年(日本で言えば明治44年)の第1回大会から今年の第104回大会までにレースに出場した延べ台数は3363台にものぼり、予選不通過を含めれば参加台数はこれ以上に膨れ上がることは言うまでもない。あまたの挑戦者から誕生したウィナーは73人。2回以上の優勝者が佐藤を入れて20人ということは、残る53人は1勝にとどまっていることになる。2勝以上を記録した勝者は、実はほんの一握りでしかない。
“1勝組”の中には、1978年のF1王者でありインディカーでも4度タイトルを取ったマリオ・アンドレッティ(1969年優勝)や、やはりアメリカのトップフォーミュラで3冠を達成し、今年佐藤が所属するチームの共同オーナーでもあるボビー・レイホール(1986年優勝)といったトップドライバーも含まれる。実力あるドライバーであっても、インディ500で何度も勝つことは難しいのだ。
また近年、F1で2度チャンピオンとなったフェルナンド・アロンソが参戦し話題をさらうも、初挑戦の2017年はリタイア、2度目の2019年はまさかの予選通過ならず、3度目の今年は21位と苦戦が続いている。一朝一夕で攻略できるようなレースではないということもお分かりいただけるだろう。
1人あたりの勝利数で言えば、A.J.フォイト、アル・アンサー、リック・メアーズというアメリカンレース界のレジェンド3人が記録している4勝が最多。ちまたではルマン24時間、F1モナコGP、そしてインディ500を「世界3大レース」と呼んだりするが、ルマンでの最多勝記録はトム・クリステンセンの9勝、モナコGPではアイルトン・セナの6勝であり、2つの伝統あるレースと比べてもインディ500での最多勝ち星は少ない。
さらに、連勝がめったにないというのもインディ500の特徴で、2連勝したドライバーはたったの5人しかおらず、3連勝以上は誰も成し遂げたことがない。
佐藤のインディ500での2勝目を“快挙”と呼ぶゆえんは、これら史実が物語っている。インディ500で勝つこと、そして勝ち続けることはとても難しい。では、どこがそんなに難しいのか。
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シンプルゆえに奥が深いオーバルでの戦い
インディ500が行われるのは、今も昔も変わらずインディアナポリス・モーター・スピードウェイ(通称IMS)。今から111年前の1909年に完成した、世界最古の部類に入る自動車レース用コースである。一周2.5マイル(約4km)、アメリカで人気のオーバルコースの一種だが、楕円(だえん)というよりは角が丸い長方形と呼ぶべきで、長いほうの直線は1km、短いほうは200m、コース幅は15~18m、4つのターンのバンク角は9°と比較的浅い。
見かけは非常にシンプルなレイアウトだが、むしろシンプルゆえに、ドライビングやマシンセッティングの微細な差が決定的な違いを生み出し、とても奥が深いとされるのがオーバルでありIMSである。
まずはマシンセッティング、特に空力をしっかり決め込むことがシビアに要求される。予選での平均車速は370km/hと、超高速で駆け抜けるインディカーは、コース上を吹く風にも、前車からの乱気流にも敏感に反応してしまう。壁ギリギリで攻めるドライバーにとってはこれが非常に厄介なのだ。ほんの少しでもバランスを崩せばウォールの餌食となり、実際、今年も33台中7台が何らかのコンタクト(接触)で戦列を去った。
同じ空力でも、前車に引っ張ってもらうドラフティング(スリップストリーム)では、もうひとつの重要なファクターである燃費の向上を図るという利点も生まれる。レースは200周=500マイル、つまり約800kmもの長丁場であり、複数回の給油が必須だ。常にフルパワーで走れば燃料を消費しすぎてしまい、勝負所で不利になる可能性もある。わざわざライバルの後塵(こうじん)を拝し、エコノミー走行をするというのも戦術のひとつとなるのだ。もちろん、タイヤを常に最適に使うというのはF1などと同様である。
インディ500にはつきものとなる、クラッシュによるイエローコーションの多さもポイントのひとつだ。今年も7回のイエローが出て、レースの4分の1にあたる52周がペースカー先導での周回となった。この追い抜き禁止となる機会をうまく使い、ピットインや燃費、タイヤなど戦略を合わせ込む頭脳も各陣営に求められる。さらに、いかに大量リードを築こうとも、イエローのたびにライバルとのギャップが帳消しになるため、勝負の行方が最後まで分からない。
この、何が起こるか分からないという不確実性の高さも、インディ500の魅力と言えるだろう。1995年には、のちにF1でチャンピオンとなるジャック・ビルヌーブが、レース中ペナルティーを受け2周減算となったにもかかわらず優勝するという珍事が起きた。また1992年には、最後尾スタートのスコット・グッドイヤーがアル・アンサーJr.とトップ争いを繰り広げ、史上最も僅差となる0.043秒差で惜敗を喫するといった劇的なフィナーレも見られた。F1ではよくある「スタートから全周トップを譲らず勝つ」といったことは、まず起こらないのがインディ500である。
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巧妙な戦術と駆け引き
そんなインディ500で勝つにはどうすればいいのか。2勝目を飾った佐藤のレースからヒントを探ってみたい。
今回の勝因のひとつ目は、予選で過去最高の3位につけたことだ。インディカーのシャシーは2012年からダラーラのワンメイクだが、2020年からはコックピットにドライバー保護のエアロスクリーンが装着されたことで空気抵抗も悪化し、従来とは違うセッティングが必要とされていた。佐藤と、彼が所属するレイホール・レターマン・ラニガン・レーシングが最適なセッティングを見つけ出したこと、そしてホンダの2.2リッターV6ターボが力強く後押ししてくれたことにより、フロントローからスタートすることができた。
最前列からの出走により、レース中は下位から追い上げる必要がなく、常に上位を走ることができたことも大きかった。この間、レースをリードすることにこだわらず、ライバルの動向を注視していたと佐藤はレース後に語っている。前に1台いた場合、2台が連なった場合など、さまざまなシチュエーションでのドライビングの感触を確認。さらに燃費やタイヤをセーブしつつ、ピットストップごとにウイングやタイヤの内圧を微調整しながら最適なマシンへと仕上げていった。こうして佐藤は自らの爪を隠し、研ぎ澄ましながら、仕掛けるべきときを待った。
レースも残り4分の1となったところで、いよいよその時がきた。157周目、最大のライバルであるスコット・ディクソンを抜きトップに出た佐藤は、まず自分がリーダーとなった際のディクソンの動きをチェック。追いつくのに何周かかるかなどを見極めた。
そして169周目に最後のピットストップを敢行。この1周後に給油を済ませたディクソンに前を取られたものの、173周目、再びディクソンをかわし、今度は最後の勝負に出た。燃費の上ではディクソンが1周分有利だったが、接近されたらパワー重視、離れたら燃費走行と燃料のミクスチャーをコントロールして応戦、リードを保った。
そして残り5周、佐藤のチームメイトであるスペンサー・ピゴーがクラッシュし、レースはイエローコーションのままゴールを迎えることとなった。
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インディ500の“勝ち方”を覚えた佐藤
F1にしろルマンにしろ、表彰されるのはトップ3フィニッシャーと相場が決まっているが、インディ500の場合はたった1人の覇者にのみ賛辞がおくられ、たとえ惜敗の2位であっても敗者とみなされる。
いくつもの緻密に練られた作戦を一つひとつ遂行しながら、誰もが憧れるインディ500のビクトリーレーンに再び立った佐藤。だがそこにたどり着くまでには、さまざまなトライ&エラーがあったことも忘れてはならない。
2010年にインディ500に初挑戦し、初めて優勝のチャンスが見えた2012年大会では、ファイナルラップでトップを奪おうとしてバランスを失いクラッシュ。ダリオ・フランキッティに勝利を奪われたという苦い経験があった。「ノーアタック、ノーチャンス」は佐藤の有名なモットーだが、アタックしたところでクラッシュしては元も子もない。そこから学び取ったことが、2017年の初優勝に生かされる。ラスト5周でトップに立つと、落ち着いた走りで強敵エリオ・カストロネベスを見事抑えきり、初優勝をつかみ取った。そして、「インディ500で勝つこと」を経験した彼は、その勝ち方を自ら体系化し、実行に移し、そして再び栄冠を勝ち取ることができた。
過去4年間のインディ500で、佐藤は優勝2回、3位1回という好成績を残している。勝つことが難しいインディ500でこのリザルトは、“勝ち方”を覚えたと言っても過言ではないだろう。
すでにF1時代(2002年~2008年)は遠い昔となり、いまや佐藤は“インディの人”というイメージが強くなった。43歳というスポーツ選手としては高齢の域に達しつつあるが、インディ500の長い歴史の中では、“4勝組”のアル・アンサーが47歳360日で勝った、そんなデータも残っている。
佐藤琢磨の2回目のインディ500制覇が物語ること。それは、3勝以上を挙げた11人目のドライバーとなることも、伝説の4勝ドライバーの仲間入りを果たすことも、決して夢ではないということだ。
(文=柄谷悠人/写真=本田技研工業、ゼネラルモーターズ、フォード/編集=堀田剛資)
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