スズキ・アルト 開発者インタビュー
「47万円」が原点です 2022.01.08 試乗記 スズキ四輪商品第一部
チーフエンジニア
鈴木猛介(すずき たけゆき)さん
極めて厳しいコスト管理のなかで、親しみやすさを追求しつつ基本性能の向上が図られた新型「スズキ・アルト」。エンジニアは、どんな思いでクルマづくりに取り組んだのか?
草履ではなく下駄
1979年にデビューしたスズキ・アルトがフルモデルチェンジを受けて9代目になった。国内累計販売台数が526万台というベストセラーカーだが、近年はハイトワゴンやスーパーハイトワゴンの人気に押され気味である。現状でのベーシックな軽乗用車の存在意義はどこにあるのか。チーフエンジニアの鈴木猛介さんに、新型アルトに託した思いを聞いた。
――先日行われたweb発表会で、鈴木俊宏社長が「下駄(ゲタ)を極めていきたい」と発言していたのが印象に残りました。下駄グルマという言葉は、一般的にはあまりいいイメージで使われないように思えますが……。
鈴木猛介さん(以下、鈴木):(笑)。下駄という言葉にいろいろなとらえ方があるというのは社内でもわかっているんです。大きなイメージとしては、ちょっと出かけるという時にすぐ履けて、どこへでも行けるということだとわれわれは考えています。それならスニーカーでもいいじゃないか、という話もあるんですが、下駄というのはよりシンプルなところがメッセージとして強いと思っています。
――優れた下駄グルマというのは、どういうものなんでしょう?
鈴木:すごく難しくて、われわれもどう表現したら本当に下駄になるかなと一生懸命自問自答しています。「価格は上げない」というのはポイントです。でも、草履ではいけない。草履ではなく下駄なんです。草履だと擦り切れて使えなくなってしまう。僕なりに考えたのは、昔ははだしだったり草履だったりしたのに下駄が出てきた。下駄というのは地面が汚れていたってどこへでも行けちゃうんです。どうでもいい履物を履いているのではなくて、実用的であるということが大事。下駄という言葉で今の人がイメージするのは、昔と違ってオシャレな履物なんじゃないでしょうか。
“お金をかけずに”が条件
――試乗してみて、軽自動車ってこんな感じだったよな、と懐かしい気持ちになりました。こういうベーシックなクルマにもまだまだ需要があるんですね。
鈴木:社内でも、もういらないんじゃないの、という話はあったんです。なんでこのクルマを必要とする人がいるのかというと、誰もはっきり答えられなくて。でも、実際にユーザーに話を聞きにいくと、「ワゴンR」でも大きい、という人が結構いらっしゃるんですよ。われわれとしてはワゴンRはヒップポイントが高くて乗り降りしやすくていいと思っていて、取り回しとかは変わらないと思うんです。それでも、運転はしなくてはいけないけれど大好きではないという方にとっては、ちょっとハードルが上がる感じがある。ちょっと2km先に買い物に行くだけだから、安心してすっと乗れるクルマが欲しいというのは、需要としては結構大きいというのが調査してわかってきました。
――安いというところも譲れないポイントでしょうか。
鈴木:価格は大切ですが、お客さんは小さくて安いクルマが欲しくても、味のないクルマが欲しいわけではありません。選択肢としては中古車もあって、アルトは中古車からの買い替えが多いんですよ。免許をとって最初は中古車に乗って、初めて新車に乗るという時にアルトを選んでいただく。小さくて使えるクルマが欲しいんだよ、という声に応えなければなりません。
――走る、曲がる、止まるという基本性能はおろそかにできませんね。
鈴木:基本性能は大事です。でも、ある程度の価格帯でつくらなければいけない。どこをどう工夫すれば良くなるのかを考えています。今回はプラットフォームが変わるわけではないので、設計やデザインの初期から剛性を上げる工夫をしていきました。剛性が上がればサスペンションがしっかり動くので、乗り心地が良くなります。ただ、“お金をかけずに”というのが条件になるんですよ(笑)。
――それは、かなり厳しい条件では……。
鈴木:設計担当者から「そんなんできるか」と言われます。でも、それをやめちゃったらスズキらしさじゃないし、アルトらしさではなくなる。安くてどうでもいいクルマをつくれ、とは絶対に言えません。アルトは、スズキのなかでチャレンジできるというか、軽自動車はどうあるべきかを考えて挑戦できるクルマだと思います。
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何を削ればいいか考える
――社長の言葉でもうひとつ驚いたのが、「47万円のアルトができないのか」と問いかけた、という話です。あれは事実なんですか?
鈴木:今回に限ったことではないです(笑)。常に47万円という話は出てきますね。ただ、それは単に価格のことではなくて、47万円のアルトを出した時に何を考えて、何をしたかということを振り返るというキーワードのようになっています。
――1979年に出た初代アルトのキャッチコピーが「アルト47万円」というインパクトのあるものだったわけですが、それが今も基準点になっているんですね。
鈴木:つい、あれを付けます、これを付けますとやってしまうんですが、その結果求めているものと求めていないものが一緒くたになるんですね。本当に欲しいものが入っているのか、いらないものはどれだというのをチェックするために、47万円というものがあると理解しています。
――もしも今、本当に47万円のクルマをつくったら、どんなものができるんでしょう。
鈴木:はあ……。電気で動くものは何もないでしょうね。エアコンもそうですし、パワステもパワーウィンドウもなくなります。エアバッグも装備できません。法規をクリアするだけでも、47万円では難しいでしょうね。
――当時の47万円は今だと94万円になる、という話も出ていましたが、あれは妥当な数字ですか?
鈴木:大卒の初任給を基準にするとか、移動のコストで考えるかとか、いろいろな考え方があります。東京のバスの運賃が、あの当時は100円で、今は220円。いろいろな指標を見たうえで、初任給を基準にすれば、まあ妥当かなという気がしますね。ただ、価格を下げるためには何を削ればいいかと考えていくと、もっと下がるかもしれないと思います。
マイルドハイブリッドは最低限必要
――アルトに求められている価値を考えると、マイルドハイブリッドというのはそれほど必要がないような気もしますが……。
鈴木:今は過渡期なのかな、と私たちは思っています。環境性能なんて関係ないってことにすると、持続可能ではなくなってしまう。そのうちにマイルドハイブリッドが当たり前になって、EVが普通になってくるかもしれない。そういった未来にマイルドハイブリッドは最低限必要だと思うんですね。そうなると、今のグレード構成を見直す必要が出てくるかもしれません。
――次のモデルチェンジでは状況が変わってきますか?
鈴木:すでに2030年の燃費基準が示されていて、がんばったもののアルトはマイルドハイブリッドモデルでも95%までしか達成していないんですね。だとすれば、今のままではダメ。2030年に向けてはどのクルマもがんばって燃費を良くしていかないと、達成できない。アルトはガソリン車だともっときついので、マイルドハイブリッドは重要になると思っています。
――ストロングハイブリッド、あるいはEVも視野に入れなければならない?
鈴木:検討はしています。ただ、軽自動車でやる時は、スズキとしてはやはり価格が重い課題です。どのくらいまで出してもらえるかというのは、まだはっきりとはわかりません。地方ではガソリンスタンドがなくなってきていて、インフラの状況によってはEVのほうがいいという時代が意外に早くきてしまうかもしれない。電池の容量を減らして価格を下げればいいのか、みんな頭を悩ませています。
――下駄グルマの位置づけも変わってくるでしょうね。
鈴木:コストをかけずに使い勝手を良くするという基本は変わりません。開発にあたって、アルトを通してお客さまを見て、原点にかえる。本当に欲しいものは何かを考えるいいタイミングになるクルマだと思います。
(文=鈴木真人/写真=荒川正幸/編集=関 顕也)
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鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。