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結局どうなった? 「多摩川スピードウェイ」跡地問題がついに決着

2022.07.20 デイリーコラム 沼田 亨
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落としどころが見つかる

まさに寝耳に水だった。今からちょうど1年前の2021年7月2日のことである。1936年に丸子橋西詰付近の多摩川河川敷(神奈川県川崎市中原区)に開場した、アジア初となる常設サーキット「多摩川スピードウェイ」。その跡地に残るコンクリート製の観客席(グランドスタンド)が、堤防強化工事のために取り壊されることが、国土交通省(以下国交省)から観客席の保存活動を行っている任意団体「多摩川スピードウェイの会」に、何の前触れもなく通達されたのだ。その経緯については、昨年8月に寄稿したコラム「クルマの歴史的遺構が消える! 『多摩川スピードウェイ』跡地問題に思う」をご覧いただきたい。

これを受けて多摩川スピードウェイの会では、治水事業と観客席の保全の両立が図られるべきとの観点から、代替工法案を作成するなどして堤防工事の主体である国交省と交渉したものの、観客席の全面保全は断念。次なる案として新たに建設される堤防上への部分移設(観客席の一部を切り出して設置する)の可能性を検討していたが、その見込みがたたないうちに11月初旬という取り壊し工事の日程が迫っている……ということを、やはり昨年10月に寄稿したニュース「消えゆく多摩川スピードウェイ遺構に往時のチャンピオンマシン再び」に記した。

その後はどうなったかというと、11月初旬の解体工事の開始直前になって、お互いが妥協できる落としどころがどうにか見つかったのである。(工事主体である)国交省は、解体工事に際して観客席の部分切り出しと既設の記念プレートの切り出しを行い、川崎市に寄付。いっぽう多摩川スピードウェイの会は、切り出した観客席と既設の80周年記念プレート、および新たに製作した記念プレートを新たな堤防の上に設置する工事を国交省の協力のもとに行い、川崎市に寄付。工事完了後は、多摩川スピードウェイの会が観客席およびプレートの維持管理を行うということで話がついたのだった。

2016年5月、開設80周年記念プレートの除幕式が行われた際の光景。観客席を見上げる位置に、戦前にここで行われたレースに参戦した1926年「ブガッティT35C」(手前)と1924年「カーチス号」が展示された。
2016年5月、開設80周年記念プレートの除幕式が行われた際の光景。観客席を見上げる位置に、戦前にここで行われたレースに参戦した1926年「ブガッティT35C」(手前)と1924年「カーチス号」が展示された。拡大
全長300mにおよんだ観客席。赤い矢印の部分に、80周年記念プレートが埋め込まれていた。
全長300mにおよんだ観客席。赤い矢印の部分に、80周年記念プレートが埋め込まれていた。拡大
観客席ともども移設されることになった80周年記念プレート。
観客席ともども移設されることになった80周年記念プレート。拡大
取り壊しの通達を受けた多摩川スピードウェイの会が、治水事業と観客席の保全を両立させるべく作成して国交省に提出した代替工法案の一部。この問題に対して同会は「歴史遺産を守れ!」という感情論に流されることなく、一貫して冷静かつ論理的に対応した。
取り壊しの通達を受けた多摩川スピードウェイの会が、治水事業と観客席の保全を両立させるべく作成して国交省に提出した代替工法案の一部。この問題に対して同会は「歴史遺産を守れ!」という感情論に流されることなく、一貫して冷静かつ論理的に対応した。拡大

90年近くを耐えたコンクリートの厚み

2021年10月下旬には観客席解体~新堤防設置工事の準備段階として観客席への立ち入りが制限され、予定どおり11月初旬には解体工事が始まった。当初の新堤防の竣工(しゅんこう)予定はそれから約5カ月後の2022年3月末だったが、最終的には3カ月近く延びて6月下旬までずれ込んだ。工期が延びた最大の要因は、観客席を構成するコンクリートの物量が当初の想定をはるかに超えており、解体に日数がかったとのこと。昨夏に実施したレーダーによる探査結果では、観客席のコンクリートの厚みは約170mmだったのだが、切り出された観客席を測定したところ、最も厚い部分ではその2倍近い300mm以上もあったという。見方を変えれば、それだけ厚くしっかり作られていたからこそ、90年近い風雪に耐えて堤防としての機能も果たしてきたといえるだろう。

観客席の移設方法については、残念ながら堤防の法面(のりめん、斜面のこと)への設置が認められず、複数段の移設は断念せざるを得なかった。そして最終的には3席分(幅約3.3m)の観客席(座面)を、2016年に設置した80周年記念プレートと新たに製作する観客席について説明したプレート、つまり2枚のプレートのいうなれば「額縁」として新堤防の天端(上面)に埋め込むこととなった。

この結果について、多摩川スピードウェイの会では、「部分移設と呼ぶにはささやかすぎる規模」と述べている。確かに知らない人間が見れば、この部分が90年近く前に作られたコンクリート製観客席の一部とはおそらく分からないだろう。だが、ささやかであっても、残すと残さないでは天と地の差、ここは「残したことに意義がある」のである。

2021年11月、取り壊しとなる観客席の周囲が立ち入り禁止となり、重機も搬入されて解体工事が始まった。
2021年11月、取り壊しとなる観客席の周囲が立ち入り禁止となり、重機も搬入されて解体工事が始まった。拡大
移設のため、状態のいい部分の観客席を切り出しているところ。
移設のため、状態のいい部分の観客席を切り出しているところ。拡大
2022年4月、観客席が撤去された河川敷に新たな堤防を築いている最中。
2022年4月、観客席が撤去された河川敷に新たな堤防を築いている最中。拡大
多摩川スピードウェイの会が作成した観客席の移設および記念プレートの設置案。
多摩川スピードウェイの会が作成した観客席の移設および記念プレートの設置案。拡大

残したことに意義がある

植えられた芝生の養生のためであろう、新堤防の法面はロープで囲われ立ち入り禁止となってはいるものの、新堤防工事は6月下旬に完成した。それを見届けたうえで、多摩川スピードウェイの会は観客席移設の小規模なお披露目および報告会を行った。竣工後の最も早い週末ということで設定された日程は7月2日、くしくも唐突に観客席の取り壊しが伝えられてから、ちょうど1年後だった。

集まったのは多摩川スピードウェイの会のメンバーに、会のフェイスブックを見てやってきた同志を加えた約30名。記録的に早かった梅雨明け直後とあって、日差しは強く気温は高かったものの、風が抜けるため想像していたよりは暑くなかった河川敷で、スピードウェイに携わった先人たちや移設に際して世話になった関係者への感謝を込めて献杯した。

ここでもメンバーからは「こんなかたちではあるけれど……」という声が聞かれた。しかし、取り壊しの通達から着工までわずか4カ月という短い時間のなかで、それぞれ仕事やプライベートを抱える多忙な身でありながら、観客席の保存に向けて各方面と折衝し、代替工法案を作成するなど東奔西走し、最終的に部分移設の実現にこぎ着けた多摩川スピードウェイの会の活動は、評価されてしかるべきだろう。

観客席が実在する前提で書かれた80周年記念プレートを補完するため、新たに設置されたプレートの文面は、こう結ばれている。

「この観客席を、日本の自動車産業発展の礎としてだけでなく、85年以上にわたりこの地に存在した産業遺産・史跡として後世に伝えるべく、この碑に記します」

確かにわずか3m強のコンクリートの断片と解説プレートではあるが、かつての観客席を知る者にとっては、それゆえに失われた遺産の重みを痛感せざるを得ない。知らない者がこれを見てどう思うかは、もちろん筆者には分からない。だが、これを見れば、そこに価値を感じるか否かは別にして、ここに観客席があった事実は伝わる。その意味で繰り返すが、これは「残したことに意義がある」のである。

(文=沼田 亨/写真=多摩川スピードウェイの会、沼田 亨/編集=藤沢 勝)

2022年7月、芝生養生のための囲いはあるものの、竣工した新堤防。法面が以前より急な角度になっている。
2022年7月、芝生養生のための囲いはあるものの、竣工した新堤防。法面が以前より急な角度になっている。拡大
上面のサイクリングロードから見た新堤防。赤い矢印部分に移設された観客席および記念プレートがある。
上面のサイクリングロードから見た新堤防。赤い矢印部分に移設された観客席および記念プレートがある。拡大
切り出された約3.3m幅の観客席の座面部分が、新旧2枚並べられた記念プレートの額縁のように埋め込まれている。
切り出された約3.3m幅の観客席の座面部分が、新旧2枚並べられた記念プレートの額縁のように埋め込まれている。拡大
左側は移設された80周年記念プレート、右側は新たに製作され埋め込まれた観客席の解説プレート。この文面ひとつとっても行政側とのコンセンサスが必要とされ、簡単にはいかなかったという。
左側は移設された80周年記念プレート、右側は新たに製作され埋め込まれた観客席の解説プレート。この文面ひとつとっても行政側とのコンセンサスが必要とされ、簡単にはいかなかったという。拡大
突然の取り壊し通告から1年後の2022年7月2日に実施されたお披露目および報告会で、献杯する多摩川スピードウェイの会のメンバーとゲスト。
突然の取り壊し通告から1年後の2022年7月2日に実施されたお披露目および報告会で、献杯する多摩川スピードウェイの会のメンバーとゲスト。拡大
沼田 亨

沼田 亨

1958年、東京生まれ。大学卒業後勤め人になるも10年ほどで辞め、食いっぱぐれていたときに知人の紹介で自動車専門誌に寄稿するようになり、以後ライターを名乗って業界の片隅に寄生。ただし新車関係の仕事はほとんどなく、もっぱら旧車イベントのリポートなどを担当。

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