第773回:イタリアのある自動車ディーラーの戦後史を発掘! 店の名前に息づく赤い魂
2022.09.08 マッキナ あらモーダ!初代ジムニーが置かれた店内で
先日、わが街シエナにあるスズキ(イタリア的に読むとスズーキ)販売店を久々にのぞいてみた。「サルカー」という店名の、そのショールームで真っ先に目に飛び込んできたのは初代「ジムニー」であった。店のお宝である、1980年の初代LJ80型だ。以前、別の場所に店があったときは常設展示されていたが、現在の場所へ引っ越してからは見ることがなかった。なぜ再び展示を? 筆者がアレッサンドロ・フランキ社長に聞くと、彼はこう即答した。
「展示するクルマがないので、初代ジムニーで埋めたのです」
折からの半導体不足でスズキ車の在庫が不足し、展示車さえ足りなくなっているのだ。仮に本稿を執筆している2022年9月初旬に契約しても、納車は2023年以降になってしまう。ただし、アレッサンドロ社長は付け加えた。「ジムニーを除き、です」
ジムニーだけは1カ月待ちで納車可能という。なぜそのようなことが起きているのか? これまで欧州のジムニー販売事情に関して、筆者は本欄にたびたび記してきた。要約すると以下のとおりだ。欧州連合(EU)が段階的導入を図っている二酸化炭素(CO2)排出量基準に伴う課徴金は、製造業者単位で計算される。そこで2020年1月、スズキは車種系列中で足を引っ張るジムニーをカタログから落とした。そして翌2021年4月、EU基準が緩い2座の商用車仕様にすることで、ジムニーの販売を再開した。
アレッサンドロ社長によると、2シーター仕様の人気が限定的という。「やはり『できれば4座仕様を』というお客さまが大半なのです」。販売第一線の苦悩がうかがえる。「4座モデルは2018~2019年に約2万2000ユーロ(約305万円)で販売していました。ところが現在、中古車市場で2万4000~2万5000ユーロ(約333万~347万円)で取引されています。4座ジムニーの人気が衰えていない証しです」と語る。
「フィアットが『500』『500L』『500X』と車種を拡大したように、スズキがジムニーの名前で、さまざまなバリエーションをつくってくれればうれしいのですが」とアレッサンドロ氏。「同時に、日本市場用のスズキ製軽自動車を、なぜイタリアに輸入しないのかと思います。デザイン的には決してカッコいいものではありません。でも、とても個性的です。特に現在の『ワゴンR』は売れると思います」
ところで、このスズキ販売店では、各セールスパーソンに商談を行う個室が割り当てられている。イタリアの自動車ディーラーにおける伝統的スタイルだ。アレッサンドロ社長の部屋をのぞくと、数々の歴史写真が壁を飾っている。それもスズキだけではない。これは面白そうだ。ということで、彼に店のストーリーを聞いてみることにした。
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ミッレミリアでは“ピット”役も
「わが社の歴史は、私の曽祖父(そうそふ)カミッロ・ヴァンノッチの代にまでさかのぼります。彼は第2次世界大戦前、トラックの販売を手がけていました。彼のもとで営業の修行をしたあと独立し、大ディーラーを経営するに至った人物もいます」
戦後の1950年、カミッロ氏はアルファ・ロメオの地区販売代理権を手に入れる。
「(中部トスカーナ)州内では2番目の店でした」
筆者が付け加えるなら、アルファ・ロメオにとって1950年は、完全新設計の乗用車「1900」を発表。従来の超高級車ブランドから量産車メーカーへと変貌を遂げた年である。
後年、店はヴァンノッチ氏から、アレッサンドロ氏の父であるパオロ氏に引き継がれた。
「父は馬好きであるのと同様、アルファ・ロメオも愛していました。どちらも走るために生まれてきたものですからね」
彼らの販売店ではミッレミリアの日、ある役目があった。
「シエナを通過するアルファ・ロメオ車の修理や給油をしていたのです」
つまりピット役を果たしていたのだ。
パオロ氏自身もドライビングテクニックにたけていた。
「そのため、アルファ・ロメオの公式サポートを受けて、ラリーに参加できるようになりました」
デビュー戦はモンテカルロラリーだった。「しかし、メーカーによる援助のもとで父が参戦した回数はわずかでした」と、アレッサンドロ氏。その理由をこう話す。「ツール・ド・コルスに出場しろとアルファ・ロメオ側から命じられたとき、父が『いつですか?』と聞いたら7月でした。すかさず父は『俺は海で遊んでいるほうがいいな』と断ったのです。以来、声がかからなくなりました(笑)」。
ただしパオロ氏は、その後もレースやラリーに参戦し続けた。アレッサンドロさんは、父親が駆る「アルフェッタ ベルリーナ」の写真を見せながら、こう説明する。
「アウトデルタで2台だけ製作された16バルブのスペシャルでした。ただし、そのあり余るパワーのおかげで操縦は極めて困難でした。結局父は、当時クルマとともに扱っていたモーターボート用のエンジンに換装しました」
同じアーカイブ写真のなかに、もう1台不思議なクルマがある。
「『フランキミッレ(Franchimille)』という名前でした。10~15人程度いた社内で手づくりしたものです。1969年生まれの私は、残念ながら実車を見る機会に恵まれませんでしたが、全長は3m50cmくらいだったと思われます」
筆者が想像するに、ヘッドライト形状やリアエンジン用エアインテークがある点から、ベースは「フィアット850スパイダー」の後期型あたりだったのではなかろうか。
アンドレア氏は続ける。「ドライバーズシートに座っているのが父です。彼のニックネームはペンナビアンカ(白い羽根)でした。髪の一部だけが白髪だったため、羽根飾りをつけたネイティブアメリカンになぞらえて、そう呼ばれていたのです。今日まで続くわが社のシンボルも、それに由来しています」
ただし、父パオロ氏はついぞフランキミッレではレースに参加しなかったという。「自分のつくったクルマが、きちんとできているか心配だったのです」と笑う。
苦渋の決断と成功
アレッサンドロ氏の話は続く。
「やがて1980年代に入ると、アルファ・ロメオの販売に、苦難の時代が訪れました」
背景には、本社工場での相次ぐ労使紛争と、それに伴う製造品質の低下、公営企業IRI傘下ならではの高コスト体質などがあった。それらは、製品にも影響を及ぼし始めた。
IRIはフォードにアルファ・ロメオを売却することで交渉を進めていたが、最終段階でフィアットに手渡した。1986年のことだった。
「仮にあのとき、フォードに買収されていたら、アルファ・ロメオの運命はプレミアムブランドとして、より良いかたちになっていたかもしれません」とアレッサンドロ氏は持論を述べる。
「まだ若かった私の目から見ても、あのころの父は憂鬱(ゆううつ)そうでした。私たちにとってアルファ・ロメオは曽祖父の代からの付き合いで、店に多大な投資をしてきましたからね」
そうしたなか父パオロ氏は、スズキの地区販売代理権を得るチャンスをつかむ。当時、イタリア共和国におけるスズキの販売総代理権を持っていたアウテキスポ(Autexpo)社の社主ロマーノ・アルティオーリ氏と、代理人を通じて接触の機会を得たのだった。
ロマーノ・アルティオーリという名前に聞き覚えのある方は多いだろう。1987年にブガッティの商標を取得し、1991年に「EB110」をリリースしたブガッティ再興の祖である。1993年からはロータスも一時所有した。
「当時、アウテキスポの本社は、北部ボルツァーノ県のオーラ(ドイツ語名:アウアー)にありました」
極めて有能なビジネスマンであるアルティオーリ氏に信頼の念を抱いた父パオロ氏は1987年、スズキの地区販売店となることを決意する。
スズキの販売店になってからもアルファ・ロメオを併売したが、1993年初頭をもって終了した。「モデル名で言うと、最後に扱ったのは『155』でした。アルファ・ロメオは、わが社にとって、いわば最初の連れ合いだったわけです。長年寄り添えば寄り添うほど離婚はつらいものでした」と、当時父の仕事を助け始めていたアレッサンドロ氏は振り返る。
「実はスズキの販売を始めたあと、イタリアに上陸直後のデーウ(大宇)も扱いました。しかし、当時のデーウの品質はとても顧客を満足させられる水準ではなかったため、取り扱いは1年限りで終わらせました。アルファ・ロメオとの“別離”を経験した直後だったので、契約解除はひと言「チャオ!」と告げるように、あっさりとできました。そのあと、一時いすゞのピックアップを扱ったこともありました」
いっぽうでスズキは、パオロ&アレッサンドロ親子が仕切るサルカーの屋台骨を支えるようになっていった。特に初代「ビターラ」や、スペインのサンタナ社で生産されたジムニーの欧州版「サムライ」が好評を博した。「インド製のマルチ・スズキもよく売れましたね」。
未舗装路をたどらないと到達できない郊外の家に住む人や、狩猟を趣味とする人が多い一帯ならではであった。
2015年からは三菱車も扱い始めた。ピックアップ「L200(日本名:トライトン)」は、同様の車種がスズキにないだけに、より広い顧客をつかむのに貢献してくれた。2022年からは、冒頭の半導体不足による販売ラインナップ減少を補うべく、韓国・サンヨンの地区代理権も取得した。
社名に隠されたルーツ
実は、アルファ・ロメオの販売から撤退したあとも、父パオロ氏は個人的にアルファ・ロメオを愛し続けた。
「家には『ジュリア』『GT』『アルファスッド』といったクルマがいつもありました。父は『ヴァルデルサ・クラシック』というチームに所属し、ヒストリックカーラリーやヒルクライムでアルファを操縦し続けました。ラリーでは前輪駆動のアルファスッドを、ヒルクライムでは後輪駆動モデルを好んで駆りました」
「私自身も、地域で行われるヒストリックカーのスポーツイベントに果敢に挑戦しているのは、そうした父の影響です」とアレッサンドロ氏は語る。
「父は2007年に67歳でこの世を去る前年まで、医師をはじめ周囲から止められていたにもかかわらず、アルファ・ロメオでヒストリックレースに参戦し続けました。父が駆った『GTヴェローチェ』は今もガレージにあり、私が出場するときに乗っています」
最後に聞き忘れたことがあった。店名であるサルカーの意味は?
そう尋ねると、アレッサンドロ氏は、「Società Auto Riparazione Concessionaria Alfa Romeo(アルファ・ロメオ修理・販売会社)の頭文字でSARCARです。曽祖父から店を引き継いだ父が1966年に考えたものです」と教えてくれた。
つまりその店名には、次々とやってくるミッレミリアのアルファ・ロメオ参加車のピット役を務めた、よき時代の思い出が生き続きている。さりげない店にも歴史あり。これぞイタリアの販売店を訪れる楽しみである。
(文=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/写真=Akio Lorenzo OYA、SARCAR/編集=藤沢 勝)
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大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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