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第796回:新しさ優先にNO! 歴史的建造物がクルマの開発を促進する!?

2023.02.23 マッキナ あらモーダ! 大矢 アキオ

売却されたトヨタ東京本社ビル

2023年2月1日、トヨタ自動車が東京本社のJR品川駅周辺への移転を検討していることが伝えられた。同日トヨタは、東京都文京区にあるトヨタ自動車 東京本社ビルをトヨタ不動産と三井不動産に売却した。これを機に名称がトヨタ東京ビルとなった。両社のプレスリリースによると、トヨタ自動車は引き続きリースバック方式で物件を使用し、2023年6月には日本サッカー協会も入居予定という。

これを機会に、今回は自動車産業と建物についての考察を少々。旧トヨタ自動車 東京本社ビルは1982年1月完成である。この地上19階・地下5階の建物には筆者も思い出がある。1990年代に自動車誌『SUPER CG』の駆け出し編集記者だった筆者はある日、そのトヨタ東京本社ビルに歴史資料を借りに行くことになった。どこにあるのかと思ったら意外に近かった。東京都千代田区の神田三崎町にあった編集部から、JR中央線の高架をくぐり、東京ドームの敷地脇を通ってすぐの場所だった。なにより、毎日の通勤途上で電車から何気なく見ていたビルだったことに驚いた。

筆者の主目的であった歴史資料に関して言えば、他社に抜きんでてアーカイブが充実しており、担当者の知識も秀逸だった。

それはともかく、日本を代表する自動車会社、いや日本を代表する企業の社屋にもかかわらず、華やかさが極めて抑制された内外のたたずまいからは、実質を重んずる同社の企業精神が伝わってきたものだ。

IT企業リプライの所有となったフィアット旧本社。夜8時、かつてとは違う鮮やかなネオンや照明の光が漏れていた。2022年11月撮影。
IT企業リプライの所有となったフィアット旧本社。夜8時、かつてとは違う鮮やかなネオンや照明の光が漏れていた。2022年11月撮影。拡大
裏に回る。こちらからもネオンが。途中階のテラスには、パラソルが広げられている。
裏に回る。こちらからもネオンが。途中階のテラスには、パラソルが広げられている。拡大
明るい色のボードも、フィアット時代には見られなかったものだ。
明るい色のボードも、フィアット時代には見られなかったものだ。拡大
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古い革袋に新しい酒

本社といえば、ステランティスがトリノのリンゴット地区にある歴史的なフィアット旧本社棟を売却したことは、本欄の第746回第768回に記したとおりだ。

2022年11月のことである。夜、周辺での取材を終えて旧本社棟の脇を歩いていると、ただならぬ気配を感じた。といっても、別に誰かに狙われたわけではない。理由は、旧本社棟の明かりであった。フィアット時代とは明らかに異なる色とりどりのネオンの光が漏れているのだ。

その他の照明の色や、ところどころに垣間見える観葉植物もモダンなオフィス風である。別の角度に回ってみると、途中階のテラスには、パラソルが広げられている。これもフィアット時代にはなかった光景である。かつて来賓としてトリノを訪れたベニート・ムッソリーニが、そのすぐ脇で演説をしたのがうそのようだ。いずれもビルの新たな所有者であるIT企業のリプライが、内装を自社好みにリニューアルし始めたのだ。

翌朝、再びリプライ本社の玄関前を通ると、「ストリートフードあり」ののぼりが立てられているではないか。場所はゲスト用屋外駐車場だと記されている。

部外者も入場可なのか確かめようと、フィアット時代に何度か訪れたことがある受付に足を踏み入れると、吹き抜けにもルーチョ・フォンターナのモダンアートを思わせるネオンが頭上につるされていた。

残念ながらストリートフードは関係者のみに開放されているものだった。だが、受付の女性スタッフの雰囲気はフレンドリーで、ネオンといいストリートフードといい、新興企業独特の“パリピ感”が漂っており、重厚なフィアット時代とは明らかに異なっている。イタリアの人々は、いい意味でこうして「古い革袋に新しい酒を盛る」技が上手である。

すでにリプライ社のものとなってから、2022年6月に撮影した外観。手前に放置されたシェアリング用の電動アシスト自転車や電動キックスクーターも、自動車の街トリノの変貌を象徴している。
すでにリプライ社のものとなってから、2022年6月に撮影した外観。手前に放置されたシェアリング用の電動アシスト自転車や電動キックスクーターも、自動車の街トリノの変貌を象徴している。拡大
ビルの一角にある駐車場入り口。2022年6月撮影。
ビルの一角にある駐車場入り口。2022年6月撮影。拡大
リプライ本社のエントランス。玄関の木枠、その上にあるアール・ヌーヴォー調ランプは、フィアット時代のものである。
リプライ本社のエントランス。玄関の木枠、その上にあるアール・ヌーヴォー調ランプは、フィアット時代のものである。拡大
玄関ロビーの頭上には、モダンなネオンが設置されたのが分かる。
玄関ロビーの頭上には、モダンなネオンが設置されたのが分かる。拡大
「ストリートフードあり」を示すのぼり。
「ストリートフードあり」を示すのぼり。拡大

あえて古いビル?

ところで、以前にこの話題を取り上げた際は、自動車会社の手で価値ある建築物を守ってほしいと説いた。今回は、企業が古い建物を持つ価値を説きたい。

近代的な高層ビルが鬱(うつ)などの心理的悪影響を与えることは、各国で指摘されている。国際的研究機関である「都市デザインおよび精神衛生センター」の調査によると、都市住民は郊外の住民と比較して鬱のリスクが40%上がり、統合失調症になる危険性が2倍だという。それを引用した2017年3月の『ザ・ガーディアン電子版』は、近代的な高層ビルに囲まれた空間が人々の精神的健康を害していると指摘している。

幸いイタリアには1919年以前、すなわち第1次世界大戦以前に建てられた建築物が215万軒もある。それは1971~1990年代に建てられた198万件を上回り、すべての建築物中で最も多い(データ出典:CRESME 2017年)。すなわち、築100年以上の建物がマジョリティーなのである。

フィアット旧本社も1923年にこけら落としが行われているから、2023年でちょうど100年になる。

もちろん古いビルは、メンテナンスや冷暖房効率、情報漏えい対策などのうえで、近代的なビルとは異なる苦労を伴う。加えて、それが史跡となっている場合、イタリアでは外部の改装が極端に制限される。実際、リプライ社が取得したあと今日でも、四方に刻まれた「FIAT」の4文字や玄関脇にある同じく社名を記したモザイクはそのまま残されている。

現在、世界の自動車会社は、電動化・自動運転化など未曾有(みぞう)の課題に取り組んでいる。それに伴い、社員にかかる心理的プレッシャーも増加しているに違いない。実は古い街区の古いビルのほうが、従業員のマインドをリフレッシュでき、ひいては斬新な発想を生む原動力になるのではなかろうか。

冒頭のトヨタ東京ビルにそれが当てはまるかどうかは、そこで働いたことがない筆者には分からない。だがフィアットの旧本社に関して言えば、あえて手に入れた新興IT企業のほうが一枚上手だったかもしれない。

(文と写真=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/編集=藤沢 勝)

モザイクによる「FIAT」の文字も維持されている。
モザイクによる「FIAT」の文字も維持されている。拡大
大矢 アキオ

大矢 アキオ

コラムニスト/イタリア文化コメンテーター。音大でヴァイオリンを専攻、大学院で芸術学を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナ在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストやデザイン誌等に執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、22年間にわたってリポーターを務めている。『イタリア発シアワセの秘密 ― 笑って! 愛して! トスカーナの平日』(二玄社)、『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。最新刊は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。

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