周囲の都合でキャラが二転三転 「トヨタ・カムリ」の数奇な半生
2023.04.05 デイリーコラム大変な時代になった
「トヨタ・カムリ」の国内販売が終了するそうだ。理由は言うまでもなく販売不振。2021年の年間販売台数がわずか8933台と聞けば、その判断もやむなしと思える。だが、となれば看板車種である「クラウン」が「クロスオーバー」のみとなり、「セダン」の追加(復活)が予定されてはいるものの時期が確定しない現状では、トヨタブランドのラージサイズセダンが一時的にせよ国内市場から消滅してしまうのか? との思いが頭をよぎる。セダン不況は今に始まったことではないが、大変な時代になってしまったことを痛感せざるを得ない。
ちなみにアメリカにおけるカムリの2021年度の販売台数は31万3795台。全盛期の40万台超えより減ったとはいえ、まだまだ売れ筋(価格帯がほぼ同じSUVの「RAV4」の2021年度の販売台数は40万7739台)であることに変わりはないので、車種としては当面存続するであろう。
2017年に現行カムリがデビューした際のプレスリリースには、2002年から2016年までアメリカで15年連続乗用車販売台数No.1を獲得しており、世界100以上の国と地域で2016年までに累計1800万台超を販売していると記されていた。その後もアメリカでは、少なくともセダンタイプではベストセラーの座を維持しているのは間違いのないところなので、20年にわたって市場に君臨していることになる。
そんなカムリだが、初代から10代目となる現行モデルまでどんな経緯をたどってきたのか。あらためてここでその歩みを振り返ってみよう。
販売店の事情から
初代の誕生は1980年。正式名称は「セリカ カムリ」で、2ドアクーペ/3ドアハッチバッククーペボディーを持つスペシャルティーカーだった「セリカ」の4ドアセダン版という設定だった。だがその実体は、もともとセリカとプラットフォームを共有するセダンだった「カリーナ」の販売店違いの兄弟車。誕生の背景には、主な取り扱い車種が「カローラ」とセリカだったカローラ店の、カローラから上級移行する客を取り込みたいという意向があったと思われる。セリカを名乗る以上、カリーナよりややスポーティーで高級という性格づけがされており、遅れて加えられた上級グレードにはカリーナにはない4輪独立懸架を導入するなどして差別化を図っていた。
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合理的でルーミーなセダンへ
初代の誕生からわずか2年余りの1982年に登場した2代目は、車名からセリカが取れて単にカムリを名乗った。先代のオーソドックスなFRから、トヨタ初となるエンジン横置きのFFに転換。6ライトのサイドウィンドウを採用したボディーはグリーンハウスが大きく、FFの採用と相まって居住空間は開放的で、トヨタ車には珍しくヨーロッパ、とくにフランス車的な雰囲気を持っていた。
端的に言うならば、スポーツセダンから合理的でルーミーなセダンに路線変更したわけである。この2代目は同時に誕生した新車種である「ビスタ」の兄弟車だったのだが、4ドアセダンのみのカムリに対して、ビスタにはより欧州車的な5ドアハッチバックも用意されていた。世界戦略車として輸出も始まり、輸出仕様のカムリには5ドアも存在したのだが(ビスタは国内専売モデル)、国内向けのラインナップから見る限り主はビスタでカムリは従だった。
FFのマークII化
1986年に登場した3代目は、機構的には先代からのキャリーオーバー。スタイリングは先代より角が取れて当時の正調トヨタデザインとでもいうべきものになった。それによって先代が持っていた個性は薄まり、上に「マークII」3兄弟、下に「コロナ」とカリーナという量販モデルに挟まれた微妙なポジションを逆に印象づけた。世代交代により兄弟車のビスタは5ドアハッチバックが廃止されたが、代わりにマークII 3兄弟がけん引していたハイソカーブームに合わせた4ドアハードトップを投入。セダンのみだったカムリは引き続き「従」の立場だったといえる。
1987年にはそれまで1.8/2リッター直4のみだったエンジンラインナップに2リッターV6を加え、搭載車を「カムリ プロミネント」と命名した。これはなぜかビスタにはなくカムリだけだったが、さらに1988年にはプロミネントのみに4ドアハードトップを追加。上級志向が強まり、“FFのマークII”ともいうべきキャラクターが顕在化すると同時にビスタとカムリの主従関係が逆転したといえる。なお、プロミネントの4ドアハードトップは、1989年にアメリカでデビューした初代「レクサスES」のベースとなった。
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迷走と混乱の90年代
1990年に世代交代した4代目から、カムリは国内仕様と海外仕様が分かれ、以後は変遷が複雑化する。国内向けは従来どおり5ナンバーサイズの4ドアセダンと4ドアハードトップ(V6搭載のプロミネントのみ)だった。
先代のカムリ プロミネントが初代レクサスESのベースとなったのは前述したとおりだが、1991年に世代交代して3ナンバーサイズとなった2代目レクサスESを国内市場で「ウィンダム」の名で販売したところ、そこそこヒットした。それに気をよくしたのか、トヨタはその2代目レクサスESのベースとなった北米仕様のカムリを、1992年から「セプター」の名で国内市場にも導入したのだ。
1994年に登場した5代目カムリも先代に続いて国内専用車として5ナンバーサイズを堅持した。ハードトップボディーにV6を積んだプロミネントを廃して直4搭載のセダンのみとなり、3代目から続いていた上級志向に終止符を打った。だが、兄弟車のビスタにはセダンに加えてハードトップが存続していた。
5代目への世代交代に際してラインナップを整理したカムリだったが、そのままでは終わらなかった。2年後の1996年に、国内仕様より遅れてフルモデルチェンジした海外向けカムリと基本的に同じ3ナンバーサイズのボディーに2.2リッター直4または2.5リッターV6エンジンを積んだモデルが「カムリ グラシア」の名で登場したのだ。実質的に2年前のモデルチェンジでいったん消えたカムリ プロミネントおよびセプターの後継モデルで、4ドアセダンと国内向けカムリとしては初となる5ドアワゴンがラインナップされていた。
それ以降、5ナンバーの5代目カムリと3ナンバーのカムリ グラシアは併売されていたのだが、1998年に5ナンバーのカムリは生産終了。すると翌1999年のカムリ グラシアのマイナーチェンジの際に、セダンのみグラシアのサブネームが取れてカムリに改称された。公式にはこれが6代目カムリとカウントされているのだが、ワゴンは引き続きカムリ グラシアを名乗った。なぜこんなややこしいことをしたかといえば、グラシアのワゴンには「マークIIクオリス」という兄弟車が存在したため、格下のカムリを名乗らせてはマークIIの沽券(こけん)にかかわるとでも考えたのだろうか。なお兄弟車だったビスタは、5ナンバーのカムリが生産終了した1998年に袂を分かち、国内専用の5ナンバーサイズの実用的なセダン/ワゴンに生まれ変わっている。
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海外向けをお裾分け
2001年、7代目に進化した際に、年を追って複雑化していたカムリの系図は一気に単純化された。海外向けと基本的に同じ3ナンバーサイズのセダンボディーに、2.4リッター直4エンジンを積んだモデルのみとなり、V6エンジン搭載車やワゴンは廃止(海外向けもV6は存続するがワゴンは終了)されたのだ。V6が欲しければひと足先に3代目となったウィンダムをどうぞ、というわけである。しかし、全長4.8m超で全幅1.8m近いボディーに直4エンジンを積んだ実用的なセダンの需要が日本国内にどれだけあるのかは疑問で、市場では一段と地味な存在となっていった。
余談になるが、知人がカンパニーカー(勤務先から業務用として与えられたクルマ)としてこの7代目カムリに乗っていたことがある。「カムリなんて珍しいな」と思ったが、クルマ好きだが旧車しか興味のない彼によれば選択は会社まかせとのこと。そう聞いて、中堅企業の部長クラスが乗るカンパニーカーとして無味無臭で匿名性の高いカムリを選んだ担当者のセンスに感心したことを覚えている。そういうクルマだったのだ。
閑話休題。その7代目から2006年にバトンを受けた8代目はキープコンセプト。先代同様2.4リッター直4エンジンを積んだ4ドアセダンのみだが、レクサスブランドの国内展開開始に伴い販売を終了したウィンダムの市場を受け継ぐ役割もあって、質感の向上や装備の充実が図られた。
2011年にフルモデルチェンジした9代目。おそらくは低迷する需要への対応と国内では埋没しがちなキャラクターを引き立たせるという2つの理由から、2.5リッター直4エンジンとモーターを組み合わせたハイブリッド専用車となった。国内仕様はクロームを使ったフロントグリルなどで独自の顔つきを与えられていたが、2014年に実施されたマイナーチェンジでさらにアグレッシブなマスクに改められた。ラージサイズセダンならではの居住性、動力性能、経済性ともに満足すべきハイブリッドシステム、加えて洗練された乗り味と玄人筋からの評価は高かったが、セダン人気が低迷している国内市場では苦戦が続いた。
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最初で最後
2017年、10代目となる現行モデルが登場した。先代と同様に国内仕様はハイブリッドのみだが、広告では“BEAUTIFUL MONSTER”をうたい文句に掲げ、これまでとは打って変わって大胆なスタイリングとスポーティーな走りを訴えた。昔を知る者にはさかのぼること37年、1980年に“4ドアスポーツ”をうたって誕生した初代への先祖返り、原点回帰のようにも思えたが、10世代にわたるカムリの歴史を通じて、これほどキャラクターが明確で、華々しくデビューを飾った世代は、少なくとも国内向けには存在しなかったと思う。
その10代目カムリのデビューから数カ月後にはハイブリッド専用セダンの「SAI」が販売終了、約2年半後の2019年末には最盛期には月販3万台以上だったマークII 3兄弟の後継となる「マークX」が販売終了となった。トヨタがカムリにこれまでになく力を入れたのは、そうした上級セダンのラインナップを再編するためだったのだろう。
だが再編とはいうものの、カムリのほかはトヨタの看板車種であるクラウンだけ。1980~1990年代の国内市場を振り返れば、マークII(マークX)が消えてカムリが残るなど、いったい誰が予想しただろうか。いっぽうカムリにしてみれば、アメリカでは長年にわたって主役を張ってきたものの、国内では生まれてこのかた会社の都合であれこれ脇役をやらされてきたのに、いきなりフロントに立てと言われたようなものだったのではないだろうか。
だが、そんなカムリに課せられた「セダンの復権」という使命はあまりに重かった。街なかで個人タクシー仕様を見かける頻度などから、先代に比べればセールスは健闘しているように思えたのだが、実際は冒頭で紹介したような数字(2021年の年間販売台数8933台)しか上げられなかった。過去最大とおぼしきプロモーションを展開したのに、結果的に国内販売される最後の世代になってしまうとは皮肉な話である。
こうして10世代、40年以上に及ぶカムリの歴史を振り返ってみると、国内市場においてはヒット作と呼べる世代があったかどうか疑わしいことがわかる。取り扱い販売店の事情はさておき、トヨタ全体のラインナップから見て必要不可欠なモデルだったとは言いがたいのだ。とはいうものの、それでいながら40年以上を生き抜いたことは逆にすごいとも思える。海外と国内の実績の落差の激しさともども、そんなモデルはほかには見当たらないのだから。
(文=沼田 亨/写真=トヨタ自動車/編集=藤沢 勝)
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沼田 亨
1958年、東京生まれ。大学卒業後勤め人になるも10年ほどで辞め、食いっぱぐれていたときに知人の紹介で自動車専門誌に寄稿するようになり、以後ライターを名乗って業界の片隅に寄生。ただし新車関係の仕事はほとんどなく、もっぱら旧車イベントのリポートなどを担当。