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スペックは言ったもん勝ち!? 昭和元禄に起きた360cc軽のパワーウォーズ

2023.09.13 デイリーコラム 沼田 亨

軽乗用車の革命児

1958年に登場した「スバル360」は、軽自動車が4人乗りの乗用車として通用することを世に知らしめた傑作だった。スバルの成功を見て、他社からも続々と軽乗用車がリリースされた。1960年にはマツダから初の乗用車でもあった「R360クーペ」がデビュー。1962年になると、同じくマツダからぜいたくな設計の「キャロル」、三菱から軽商用車をベースにした「ミニカ」、そして軽ではスバルより先輩だったが、しばらく商用車に専念していたスズキからも商用バンを乗用車にアレンジした「スズライト・フロンテ」が登場したのである。

新たな選択肢の登場によって、それまでスバルが独占していた市場はにわかに活性化した。1966年には、軽商用車では「ミゼット」「ハイゼット」などのヒット作を持つダイハツから遅ればせながら初の軽乗用車となる「フェロー」がデビュー、市場には役者がそろったかに見えた。

この当時、軽乗用車はもっぱらつつましやかなファミリーカーとして世に存在していた。オーナーのなかにはスバル360やキャロルをチューンして走り回る若者もいないことはなかったが、あくまで少数派。大半は生活を切り詰め、夢にまで見たマイカーのある暮らしをようやく実現させた善良な市民だったのだ。

1967年3月、そうした状況を打破する革命児が現れた。さかのぼること4年、1963年に日本初のDOHCエンジンを積んだ軽トラック「T360」で四輪車市場に参入したホンダ初の軽乗用車「N360」である。四輪では最後発メーカーとはいえ、二輪では生産台数世界一に加えて、すでにロードレースの最高峰である世界選手権を制覇。しかも四輪参入より前の1962年に日本初の全面舗装された本格的なレーシングコースである鈴鹿サーキットを建設し、四輪参入直後の1964年には四輪モータースポーツの頂点であるF1に参戦を始め、2シーズン目には早くも優勝を果たしていた。そうした常識破りの発想で突き進み、結果を残してきたホンダならではの、ホンダにしかつくれないモデルがN360だったのだ。

1958年に誕生した「スバル360」。1950年代生まれの日本車のなかで、動力性能、居住性、乗り心地などすべてにおいて国際水準に達し、部分的には超えていた唯一のモデルであり、日本が世界に誇れる名車。
1958年に誕生した「スバル360」。1950年代生まれの日本車のなかで、動力性能、居住性、乗り心地などすべてにおいて国際水準に達し、部分的には超えていた唯一のモデルであり、日本が世界に誇れる名車。拡大
「マツダ・キャロル」。総アルミ製の水冷4ストローク直列4気筒OHVヘミヘッドという高度な設計のエンジンをリアに積んだ高級軽乗用車。1962年に2ドアのみでデビュー、翌1963年には1960年代の軽では唯一となる4ドア(写真)も追加され、一時はスバルに次ぐセールスを記録した。
「マツダ・キャロル」。総アルミ製の水冷4ストローク直列4気筒OHVヘミヘッドという高度な設計のエンジンをリアに積んだ高級軽乗用車。1962年に2ドアのみでデビュー、翌1963年には1960年代の軽では唯一となる4ドア(写真)も追加され、一時はスバルに次ぐセールスを記録した。拡大
1962年「スズライト・フロンテTLA」。商用バンのリアエンドに短いノッチを持つトランクルームを設けて乗用車化。空冷2ストローク並列2気筒エンジンで前輪を駆動するFF車の先駆けだった。
1962年「スズライト・フロンテTLA」。商用バンのリアエンドに短いノッチを持つトランクルームを設けて乗用車化。空冷2ストローク並列2気筒エンジンで前輪を駆動するFF車の先駆けだった。拡大
1966年「ダイハツ・フェロー」。日本初採用となる角形ヘッドライトを備えた、“プリズムカット”と称するスクエアなスリーボックスボディーに水冷2ストローク直列2気筒エンジンを搭載し、後輪を駆動する。水冷エンジンによるヒーターの効きのよさも特徴だった。
1966年「ダイハツ・フェロー」。日本初採用となる角形ヘッドライトを備えた、“プリズムカット”と称するスクエアなスリーボックスボディーに水冷2ストローク直列2気筒エンジンを搭載し、後輪を駆動する。水冷エンジンによるヒーターの効きのよさも特徴だった。拡大
デビュー当初は“世界をめざす国民車”とうたっていた1967年「ホンダN360」。31万3000円という低価格(狭山工場渡し)ながらヒーター、ウィンドウウオッシャー(手動)などを標準装備したモノグレードだった。
デビュー当初は“世界をめざす国民車”とうたっていた1967年「ホンダN360」。31万3000円という低価格(狭山工場渡し)ながらヒーター、ウィンドウウオッシャー(手動)などを標準装備したモノグレードだった。拡大

「速い」「広い」「安い」でベストセラーに

小型車の革命と言われた「Mini」にも通じる、タイヤを四隅に踏ん張った2ボックスボディーを採用したN360。その前端に積まれるパワーユニットは、世界を制したホンダモーターサイクル用に強制冷却用のファンを付けただけのような354ccの4ストローク空冷並列2気筒SOHC。31PS(グロス値。以下同じ)という最高出力は、それまで軽最強だったフェローの23PSに比べてはるかに強力だった。やはりバイクと同じコンスタントメッシュ(常時かみ合い式)の4段MTを介して前輪を駆動してのパフォーマンスは、公称データによれば最高速が115km/h、0-400m加速が22秒。既存の軽はみなマキシマム100km/h以下だったから、これまたダントツ。それどころか倍以上の排気量(800cc)を持つ登録車の初代「トヨタ・パブリカ」に近かった。

軽ではスズライトという先達があったが、ホンダ独自のMM(マンマキシマム・メカミニマム)思想もあって採用された、日本ではまだ珍しかったFF方式によりスペース効率は高く、居住性も軽随一。しかも発売当初はモノグレードで31万3000円(狭山工場渡し)という価格は、「スバル360スタンダード」の33万8000円より安かった。最も安価だったのはデビューから7年を経たマツダR360クーペの31万円だったが、まったくの新車でそれとほとんど変わらないN360の低価格は驚異的だったのだ。

「速い」「広い」に加えて「安い」と三拍子そろったN360が売れないはずはなかった。発売と同時に注文が殺到。量産体制が整った3カ月後にはデビューから10年近くにわたって軽のベストセラーを独占していたスバル360からその座を奪い、以後長らくキープした。

しかもただ売れただけではない。それまでの軽と違って、N360は若者から圧倒的な支持を受けたのだ。世界のサーキットで活躍し、旧来のしがらみとは無縁な戦後生まれのブランドだったホンダ製の、既存の軽にありがちだった登録車を縮小したような背伸び感や所帯臭さが皆無の、スポーティーで愛らしいミニカー。若者の鋭敏な感覚は、N360が初めて出会った等身大のクルマであることを本能的に嗅ぎ分けたのである。

俗に“N I(エヌワン)”と呼ばれる、1967年3月に発売された初期型「N360」。当初の純正色は写真の「ライトスカーレット」と「アイボリーホワイト」という赤白2色だったが、赤を大々的に使ったのは軽では初めてだった。
俗に“N I(エヌワン)”と呼ばれる、1967年3月に発売された初期型「N360」。当初の純正色は写真の「ライトスカーレット」と「アイボリーホワイト」という赤白2色だったが、赤を大々的に使ったのは軽では初めてだった。拡大
モーターサイクル用そのままと言っても過言ではない「N360」の354cc空冷4ストローク並列2気筒SOHCエンジン。最高出力31PS/8500rpm、最大トルク3.0kgf・m/5500rpmを発生した。
モーターサイクル用そのままと言っても過言ではない「N360」の354cc空冷4ストローク並列2気筒SOHCエンジン。最高出力31PS/8500rpm、最大トルク3.0kgf・m/5500rpmを発生した。拡大
スペース効率の高さをアピールした広告。FF方式によるフラットフロア、曲面ガラスの採用によるショルダールームのゆとりといった居住空間に加え、広いトランクルームや豊富な物入れなども特徴だった。
スペース効率の高さをアピールした広告。FF方式によるフラットフロア、曲面ガラスの採用によるショルダールームのゆとりといった居住空間に加え、広いトランクルームや豊富な物入れなども特徴だった。拡大

本格的なスポーツタイプの登場

街に放たれた“Nッコロ”(N360に付けられた愛称)は、早速若いオーナーたちによって思い思いのスポーティーなアレンジを施され始めた。いち早くそれをビジネスにしたのは、初期の国内レースで活躍した式場壮吉氏や後に自動車評論家となる徳大寺有恒氏(いずれも故人)らが設立して間もなかったカーアクセサリー会社のレーシングメイト。N360の発売から約半年後にはドレスアップパーツ一式をそろえ、デモカーを仕立てて売り出したのだから、目の付けどころの鋭さと仕事の速さには恐れ入る。

となれば、メーカーも黙っているはずがない。ホンダは1967年秋の東京モーターショーに6種のドレスアップバージョンを参考出品したが、そのうちのスポーティータイプを翌1968年1月に「Sタイプ」として発売した。スポーツミラーや専用ホイールキャップ、タコメーターや革巻きステアリングホイールなどで内外装をスポーティーに仕立てていたが、エンジンをはじめとした中身は手つかずだった。

1968年6月にはダイハツから「フェローSS」が発売される。これも前年のモーターショーに参考出品されたモデルを市販化したもので、オーソドックスなFRの堅実な軽だったフェローの内外装をスポーティーにアレンジ。足まわりを固めたシャシーに載る水冷2ストローク直列2気筒エンジンは、ツインキャブや高圧縮比などでN360を1PSだけ上回る32PSまでチューンされ、最高速はN360と同じ115km/hだが、0-400m加速は0.8秒短縮した21.2秒をうたった。軽自動車史上、このフェローSSが初めてエンジンにまで手が入れられたスポーツタイプだったわけだが、ここに“サブロク”こと360cc軽のパワーウォーズが火ぶたを切ったのだった。

返す刀でホンダは、1968年10月、ツインキャブなどでリッターあたり100PSとなる36PSまでチューンを高めた「T(ツーリング)」シリーズをN360に追加した。TシリーズはSタイプのみならず、素のN360から豪華版の「Gタイプ」までの全タイプに用意されるところがホンダらしかったが、その性能は最高速120km/h、0-400m加速20.05秒に向上。これにより、フェローSSの“軽最強、最速”のタイトルはわずか4カ月でN360に奪還されてしまったのだった。

1967年秋の発行とおぼしき、「N360」用ドレスアップパーツとそれらをフル装備したデモカーを紹介するレーシングメイトのパンフレット。ブラックアウトしたフロントグリルはメーカーに先行していた。
1967年秋の発行とおぼしき、「N360」用ドレスアップパーツとそれらをフル装備したデモカーを紹介するレーシングメイトのパンフレット。ブラックアウトしたフロントグリルはメーカーに先行していた。拡大
1968年1月に発売された「ホンダN360 Sタイプ」。外装はスポーツミラー、フォグランプ、エアアウトレットカバー、黒タイヤ+専用ホイールキャップ(写真のものは市販車とは若干異なる)などでドレスアップ。
1968年1月に発売された「ホンダN360 Sタイプ」。外装はスポーツミラー、フォグランプ、エアアウトレットカバー、黒タイヤ+専用ホイールキャップ(写真のものは市販車とは若干異なる)などでドレスアップ。拡大
1968年6月に発売された「ダイハツ・フェローSS」。黒基調にアクセントで赤を差したフロントグリルやホイールなどで外装を差別化。ボディーサイドとルーフの派手な“SS”のレタリング/ストライプはデモカー(メディア向け試乗車)用の特別仕様。
1968年6月に発売された「ダイハツ・フェローSS」。黒基調にアクセントで赤を差したフロントグリルやホイールなどで外装を差別化。ボディーサイドとルーフの派手な“SS”のレタリング/ストライプはデモカー(メディア向け試乗車)用の特別仕様。拡大
「N360」をツインキャブなどで36PSにチューンした「T(ツーリング)シリーズ」は1968年10月に追加されたが、これは翌1969年1月にマイナーチェンジされた通称“N II(エヌツー)”の「N360 Tデラックス」。Tシリーズのフロントグリルは黒塗りのメッシュとなった。
「N360」をツインキャブなどで36PSにチューンした「T(ツーリング)シリーズ」は1968年10月に追加されたが、これは翌1969年1月にマイナーチェンジされた通称“N II(エヌツー)”の「N360 Tデラックス」。Tシリーズのフロントグリルは黒塗りのメッシュとなった。拡大

スズキが続き、老舗のスバルも動く

時を少し巻き戻して、N360のデビューから3カ月後の1967年6月のこと。スズキはスズライト・フロンテをフルモデルチェンジした。スズライトは国産FF車のパイオニアだったにもかかわらず、時代に逆行するようにRRに転換し、車名も「スズキ・フロンテ360」に改めていた。

“ダルマ”の愛称で呼ばれた曲線基調となったボディーの後端に積まれたエンジンは、空冷2ストローク並列3気筒。広告で4ストローク6気筒に匹敵するとうたわれたスムーズネスが特徴で、軽量ボディーとの組み合わせによって標準モデルでも活発な走りを見せ、発売から間もなく市場ではN360に次ぐ人気車種にのし上がっていた。

1968年11月、そのフロンテシリーズに加えられたのが「フロンテSS360」。スポーツモデルのお約束だった砲弾型ミラーや黒塗りのダミーグリルなどで装ったボディー、低く固められたサスペンション、そしてエンジンは標準の25PSから36PSにまで高められ、最高速は125km/h。0-400m加速は19.95秒で、広告で「20秒の壁を破ったビートマシン」と訴えた。

フロンテSSの発売に際して、スズキは大々的なキャンペーンを実施した。イタリアにデビュー前のフロンテSSを送り込み、“無冠の帝王”と呼ばれた往年の名ドライバーであるスターリング・モスにステアリングを託して“太陽の道”(アウトストラーダ・デルソーレ)をデモラン。ミラノ~ローマ~ナポリ間の746.9kmを6時間6分、平均速度122.44km/hで走破したとブチ上げたのだ。

こうして急激な高まりを見せる軽スポーツのパワーウォーズに乗り遅れてはならじと、同月には老舗のスバルも参戦した。堂々と“ポルシェタイプ”(?)と称したヘッドライトカバーやストライプなどで装った、その名も「ヤングS」と「ヤングSS」を追加したのだ。空冷2ストローク並列2気筒エンジンは、前者は2カ月前に増強され25PSとなった標準のままだったが、後者はN360 TシリーズやフロンテSSと同じ36PSまでハイチューン化。最高速は120km/hだが、0-400m加速はフロンテSSを上回る19.8秒を豪語した。スバルに限らず、どこの公称データも今なら「ホントかよ?」と突っ込まれるところだろうが、当時はおおらかというか、ほぼ「言ったもん勝ち」だったのだ。

1968年11月に発売された「スズキ・フロンテSS」。リアに積んだ空冷2ストローク3気筒エンジンと軽快なハンドリングがもたらす走りによって軽スポーツのなかでも人気が高く、ジムカーナなどでも活躍した。サイドストライプはオプション。
1968年11月に発売された「スズキ・フロンテSS」。リアに積んだ空冷2ストローク3気筒エンジンと軽快なハンドリングがもたらす走りによって軽スポーツのなかでも人気が高く、ジムカーナなどでも活躍した。サイドストライプはオプション。拡大
浜松のスズキ本社に近接するミュージアムであるスズキ歴史館に展示されている、スターリング・モスが駆った「フロンテSS360」。ちなみにイエローのフロンテSSも伴走し、そちらはマン島TTで勝った唯一の日本人であるスズキのワークスライダーの伊藤光夫がドライブした。
浜松のスズキ本社に近接するミュージアムであるスズキ歴史館に展示されている、スターリング・モスが駆った「フロンテSS360」。ちなみにイエローのフロンテSSも伴走し、そちらはマン島TTで勝った唯一の日本人であるスズキのワークスライダーの伊藤光夫がドライブした。拡大
1968年11月に登場した「スバル・ヤングSS」。ボディーは車高が下げられ、黒塗りのルーフ、パイプ製バンパー、ボンネットのストライプと“SS”レタリング、そしてヘッドライトカバーなどでスポーティーに装っている。
1968年11月に登場した「スバル・ヤングSS」。ボディーは車高が下げられ、黒塗りのルーフ、パイプ製バンパー、ボンネットのストライプと“SS”レタリング、そしてヘッドライトカバーなどでスポーティーに装っている。拡大
「ヤングS/ヤングSS」のカタログより。右写真の背景の建物は高級マンションのはしりだった原宿・表参道のコープ・オリンピア。1960~1970年代のカタログや広告撮影のロケ地として、表参道や神宮外苑(がいえん)のいちょう並木は定番だった。
「ヤングS/ヤングSS」のカタログより。右写真の背景の建物は高級マンションのはしりだった原宿・表参道のコープ・オリンピア。1960~1970年代のカタログや広告撮影のロケ地として、表参道や神宮外苑(がいえん)のいちょう並木は定番だった。拡大

後出しの利

こうしたスポーティー化、ハイパワー化に引っ張られるように軽市場全体が「つつましやかなファミリーカー」から「若者のクルマ」へと軸足を移していった。思えば高度経済成長を背景に昭和元禄(げんろく)といわれた1960年代は若者の時代だった。音楽、アート、ファッションなどに若者独自の価値観を反映したいわゆる若者文化が生まれたが、N360の出現をきっかけにクルマもそのうちのひとつとなった。最もリーズナブルなクルマである軽自動車がその中心に据えられたのは、時代の流れからいって必然だったのだ。

1969年8月には、スバル360の後継(360も継続販売されたが)となる11年ぶりの新作が、リアエンジンの2代目を意味する「スバルR-2」の名を冠してデビュー。車名のとおり内容的にはスバル360の正常進化型だったが、ヤングSSに代わるスポーツモデルは当初は設定されず、翌1970年4月になって「R-2 SS」が加えられた。

R-2よりひと足早く、7月には三菱ミニカも初のフルモデルチェンジを迎え、1970年代に向けたモデルということで「ミニカ'70(セブンゼロ)」を名乗った。駆動方式こそ旧来と同じオーソドックスなFRだったが、まったく先代の面影がない直線的でクリーンなデザインのボディーはテールゲート付きの2ドア、すなわち軽初となる3ドアハッチバックとなった。広告も若者にターゲットを絞ったものとなり、旧来の“中高年向けのおとなしい軽”というイメージからの脱却を図ったのである。

そして同年12月には、ミニカ'70にもシリーズ初のスポーツモデルとなる「GSS」と「SS」が加えられた。GSSにラジアルタイヤが標準となるなど装備が充実するほかは2台は同じで、ボディーはノーマルの角形2灯に対して内側にフォグランプを埋め込んだ丸形4灯風のヘッドライト、砲弾型ミラー、ポルシェアロイ風に塗り分けされたホイールなどで差別化。水冷2ストローク直列2気筒エンジンはリッターあたり106PSとなる最高出力38PSまでハイチューンされ、パフォーマンスは最高速130km/h、0-400m加速19.8秒を標榜(ひょうぼう)。後出しの有利さを最大限に生かして、少なくとも数字上は軽最強・最速の座に躍り出た。

ミニカGSS/SSの登場により、ホンダN360デビュー前の1966年10月にキャロルにマイナーチェンジを施して以降、上級モデルに忙しく軽を放置していたマツダを除いた軽参入メーカー5社がパワーウォーズに参戦したことになったのだった。

1969年8月に登場した「スバルR-2デラックス」。基本レイアウトは「360」から踏襲するが設計は一新された。「フィアット600」にも通じる愛らしいスタイリングを持つが、若者指向の時流に合わせてキャッチフレーズはいささか不似合いな「ハードミニ」だった。
1969年8月に登場した「スバルR-2デラックス」。基本レイアウトは「360」から踏襲するが設計は一新された。「フィアット600」にも通じる愛らしいスタイリングを持つが、若者指向の時流に合わせてキャッチフレーズはいささか不似合いな「ハードミニ」だった。拡大
1970年4月に加えられた「スバルR-2 SS」。砲弾型ミラー、専用ホイールキャップ、フォグランプ、ノーズフィンなどで装ったボディー、標準でラジアルタイヤを履く固められたシャシーに旧「ヤングSS」と同じく36PSにチューンされた空冷2ストローク並列2気筒エンジンを積む。
1970年4月に加えられた「スバルR-2 SS」。砲弾型ミラー、専用ホイールキャップ、フォグランプ、ノーズフィンなどで装ったボディー、標準でラジアルタイヤを履く固められたシャシーに旧「ヤングSS」と同じく36PSにチューンされた空冷2ストローク並列2気筒エンジンを積む。拡大
1969年7月にフルモデルチェンジされ、テールゲートを備えた軽初のハッチバックとなった「三菱ミニカ'70」。エンジンは従来どおり2ストローク直列2気筒で、下級~中級グレードには空冷(26PS)、上級グレードには水冷(28PS)ユニットが積まれた。
1969年7月にフルモデルチェンジされ、テールゲートを備えた軽初のハッチバックとなった「三菱ミニカ'70」。エンジンは従来どおり2ストローク直列2気筒で、下級~中級グレードには空冷(26PS)、上級グレードには水冷(28PS)ユニットが積まれた。拡大
1969年12月に追加された「ミニカ'70 GSS」。駆動方式はFRだが、いわゆるホットハッチの先駆けともいえるモデル。どこかで見覚えのある赤で縁取りされたフロントグリルも、元祖ホットハッチと言われる初代「フォルクスワーゲン・ゴルフGTI」よりこちらのほうが先だったのである。
1969年12月に追加された「ミニカ'70 GSS」。駆動方式はFRだが、いわゆるホットハッチの先駆けともいえるモデル。どこかで見覚えのある赤で縁取りされたフロントグリルも、元祖ホットハッチと言われる初代「フォルクスワーゲン・ゴルフGTI」よりこちらのほうが先だったのである。拡大

軽パワーウォーズの勝者は?

開けて1970年、「人類の進歩と調和」をテーマに掲げたEXPO'70こと大阪万博開幕から間もない4月に、ダイハツ・フェローが初のフルモデルチェンジを迎えた。軽のマキシマムを目指して「MAX(マックス)」のサブネームを加えた「フェローMAX」は、ボディーをホンダN360のような2ボックスに変更、駆動方式もFRからこれまたN360と同じFFに転換。パワーユニットは基本的に先代と同じ水冷2ストローク直列2気筒だが、標準仕様でも先代のSSを上回る33PSまでパワーアップしていた。

そして同年7月、フェローMAXに「SS」が追加される。「イザという時モノをいうシークレットパワー」というキャッチフレーズを掲げた最高出力は、MAXの名にふさわしい軽史上最強の40PS! 最高速120km/h、0-400m加速19.8秒という数字にすでに驚きはなかったが、ついに大台に乗った感がある40PSの衝撃は小さくなかった。10月には「40馬力のド根性」とうたった、SSの装備を簡素化した「S」も加えられた。

自動車専門誌のインプレッションで、「パワフルだが特性は恐ろしくピーキーで、4000rpm以下ではいうべきトルクを持たず、5000rpmを超えてようやく本領を発揮する」と評されたMAX SS/S。低回転域のトルクが薄く、活発に走らせるには高回転域を保つ必要があるのは軽スポーツに共通する傾向だったが、MAX SS/Sのハイチューンぶりがいかにずぬけていたかは、同時代の二輪ロードスポーツ用の、ほぼ同排気量の同じ2ストローク並列2気筒エンジン(MAXは水冷で二輪は空冷だが)と比べるとよく分かる。

車名:総排気量(cc)/最高出力(PS/rpm)/最大トルク(kgf・m/rpm)/リッターあたり出力

  • フェローMAX SS/S:356cc/40PS/7200rpm/4.1kgf・m/6500rpm/112.4PS
  • ヤマハRX350:347cc/36PS/7000rpm/3.8kgf・m/6500rpm/103.7PS
  • スズキT350:315cc/33.5PS/8000rpm/3.13kgf・m/7500rpm/106.3PS
  • カワサキA7S:338cc/42PS/8000rpm/4.0kgf・m/7000rpm/124.2PS

MAX SS/Sと同様にパワーがウリだったカワサキには負けるが、ヤマハとスズキにはリッターあたり出力で勝っている。そんなパワー特性のエンジンで、車重150~160kgの二輪に対して約3倍、465kgのMAX SSを走らせようとすれば、回さざるを得なかったのだ。

というわけで、以後もさすがに40PSを超えようというチャレンジャーは現れず、フェローMAX SS/Sがサブロク軽パワーウォーズの最終勝者となったのだった。ただし、若者をターゲットとした軽のバトルはフィールドを変えて継続された。1970年10月に、ホンダからN360(N III360)をベースにした軽初のスペシャルティーカーとなる「ホンダZ」がデビュー。戦いはその分野に移されたのである。それについては、また機会をあらためて紹介したい。

(文=沼田 亨/写真=スバル、マツダ、スズキ、ダイハツ工業、三菱自動車、ヤマハ発動機、沼田 亨/編集=藤沢 勝)

1970年7月に発売された「フェローMAX SS」。砲弾型ミラー、ホイールに専用ホイールキャップ、エアアウトレットカバー、サイドストライプといったおなじみのアイテムで外装をドレスアップし、室内にはタコメーターや3本スポークのステアリングホイールなどを備える。
1970年7月に発売された「フェローMAX SS」。砲弾型ミラー、ホイールに専用ホイールキャップ、エアアウトレットカバー、サイドストライプといったおなじみのアイテムで外装をドレスアップし、室内にはタコメーターや3本スポークのステアリングホイールなどを備える。拡大
ツインキャブ、11.0の高圧縮比などでサブロク軽最強の40PSを発生する「フェローMAX SS/S」用の356cc水冷2ストローク直列2気筒エンジン。ハイチューンユニットらしくタコメーターは3000rpm以下がイエローゾーンだったが、これはMAX SSに限ったことではなかった。
ツインキャブ、11.0の高圧縮比などでサブロク軽最強の40PSを発生する「フェローMAX SS/S」用の356cc水冷2ストローク直列2気筒エンジン。ハイチューンユニットらしくタコメーターは3000rpm以下がイエローゾーンだったが、これはMAX SSに限ったことではなかった。拡大
1971年3月にマイナーチェンジを受けた「フェローMAX SS」。ストライプ、ホイールキャップなど、より派手なデザインとなった。
1971年3月にマイナーチェンジを受けた「フェローMAX SS」。ストライプ、ホイールキャップなど、より派手なデザインとなった。拡大
1970年「ヤマハ・スポーツRX350」。世界グランプリやデイトナ200マイルでも活躍した市販ロードレーサー「TR3」のベースにもなったマシン。優れたハンドリングと動力性能、美しいカラーリングで人気を博した。
1970年「ヤマハ・スポーツRX350」。世界グランプリやデイトナ200マイルでも活躍した市販ロードレーサー「TR3」のベースにもなったマシン。優れたハンドリングと動力性能、美しいカラーリングで人気を博した。拡大
1970年10月に登場した、「N360」をベースとするスペシャルティーカーの「ホンダZ」。翌1971年1月に加えられたトップグレードの「GS」は軽初となる5段MTや前輪ディスクブレーキを備えており、軽のバトルが新たなステージに突入していった。
1970年10月に登場した、「N360」をベースとするスペシャルティーカーの「ホンダZ」。翌1971年1月に加えられたトップグレードの「GS」は軽初となる5段MTや前輪ディスクブレーキを備えており、軽のバトルが新たなステージに突入していった。拡大
沼田 亨

沼田 亨

1958年、東京生まれ。大学卒業後勤め人になるも10年ほどで辞め、食いっぱぐれていたときに知人の紹介で自動車専門誌に寄稿するようになり、以後ライターを名乗って業界の片隅に寄生。ただし新車関係の仕事はほとんどなく、もっぱら旧車イベントのリポートなどを担当。

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