新車はなぜ安くならないか?
2025.02.18 あの多田哲哉のクルマQ&A一説によると、新車の平均価格は過去50年間で5倍に、物価の上昇を含めても1.5倍~1.6倍になっているそうです。高くなる要因は何でしょうか? 一部、海外生産のリーズナブルな車種も出回っているようですが、かつてのような価格やコスパを維持することはできないものでしょうか。
クルマの価格上昇については、「過去数十年を俯瞰(ふかん)して上がってきている」という話と、「コロナ禍のあたりからグンと上がった」という2つの要素が合わさっていると思いますので、それぞれ分けて話します。
まず、長いスパンでどんどん上がっているということに関しては、さまざまな要因があるものの、その最たるものは「クルマに付加価値がつけられた」ということです。
シンプルに走るだけだった製品に、オーディオが付き、インフォテインメントシステムが進化し、安全装備が搭載され、さらに予防安全で「ぶつからないための技術」もどんどん開発されている。カメラが何基も搭載されて、安全性や運転のしやすさを高めるなど、付加価値をのせては価格を上げるという取り組みにはキリがありません。
それはもちろん自動車会社の戦略なわけですが、現実に、なにか+αの価値を上乗せして買っていただかないと自動車産業が成り立たないという面がある。そこで法規制やユーザーニーズの高まりにかこつけては値段を上げるというのが、自動車業界の歴史なのです。
その点では家電業界なども同じですが、その取り組みはだいたい行きすぎてしまい、使いもしない機能がたくさん付いて、お客さまに「そんなの要らない」と言われてしまう事態になる。クルマもまた、そういうフェイズにきていると思います。要らないものをいっぱい付けて、重くなって……結果、「こんなのは欲しくない」。実際に市場で「もっとシンプルにしてほしい」という声が聞かれるのは、まさにそういう疑問が湧いている証拠です。
自動車会社もそこには気がついていて、対応策を考えてはいる。つまり、家電と同様、極力シンプルなものと、あれもこれも機能満載のもの、両方を用意しようというわけです。新興国向けのクルマをベースに使いやすいクルマを持ってくるというのもその手段のひとつで、お値打ちな海外生産車が注目されているというのが今の状況ですね。
で、車両価格の上昇理由で大事なのはもうひとつのほう。コロナ禍をきっかけとした値上げの現象です。コロナでクルマがなかなか生産できなくなって納期が長期化。それが日本人にとって当たり前になってしまいました(関連記事)。
それまでは、新車を購入する際、買う側の勝負所(であり楽しみのひとつ)として、ディーラーの店頭で値引き交渉が熱心に行われていたわけですが、ディーラーにしてみれば、これほど時間と労力のかかることはない。しかも値引けば稼ぎが減りますから、薄利でも台数を売ってなんとか収益をあげるしか道がなくなる。
それがコロナで「クルマがメーカーから送られてこない」という事態になり、ディーラーも当初は「このままでは商売にならない!」と憤っていたものの、結果的に「値引きなんかしなくていいから少しでも早く納車してほしい」というお客さんが続出し、ディーラーも(少なく売ってもしっかりもうかるという)ハッピーな状況になりました。今でも店頭では、価格について「なかなかクルマがつくられなくて」「材料費の高騰で仕方ないのです」などと言い訳をするでしょうが、どのブランドの販売店だって、もう以前のやり方には戻りたくないに決まっています。
一方メーカーはどうかといえば、それまでは「お客さまを待たせるなんてとんでもない」というのが常識で、オーダー数の増減に対しては工場および生産ラインの流用で即対応していた。さらに言えばそのための基本要件、設計レベルでの(どの工場でもつくれるようにしなければならないという)しばりがあり、設計者には大変な不満があったわけです。
それがコロナ化をきっかけに「お客さまに待ってもらえる」となると、生産工場を限定することがまかり通り、さまざま複雑な設計をして性能を上げることができるようになる。つまり、つくる側も買う側も結果的にうれしい状況になる。そして、台数は少なくなってもトータルの利益は変わらない、あるいはむしろ大きいという判断が営業のほうからも出てきて……というのが現状でしょう。
どのメーカーも、本気で増産しようと思ったら、できないわけはないと思います。しかし、これまで述べてきた“状況のよさ”を知ってしまった今、どのメーカーも価格を上げることに抵抗がなくなっています。もはや、安くする意味がない。さらに言えば、どのメーカーも、次世代を担う(そして膨大な費用を要する)SDV(ソフトウエア・デファインド・ビークル)開発のために、今はとにかく稼いでおきたいというマインドもあるはずです。
クルマは当分、安くならないでしょう。ただ、マニアックなクルマや高性能車だけでなく、広く普及させるべき普通のクルマまで高くなってしまっているのは問題です。このままでは、普通の実用車を新車で買おうという、ごく普通のお客さんに見限られてしまうのではないか。クルマが突然、まったく売れなくなるという状況に陥るのではないかと、私は懸念しています。
→連載記事リスト「あの多田哲哉のクルマQ&A」

多田 哲哉
1957年生まれの自動車エンジニア。大学卒業後、コンピューターシステム開発のベンチャー企業を立ち上げた後、トヨタ自動車に入社(1987年)。ABSやWRカーのシャシー制御システム開発を経て、「bB」「パッソ」「ラクティス」の初代モデルなどを開発した。2011年には製品企画本部ZRチーフエンジニアに就任。富士重工業(現スバル)との共同開発でFRスポーツカー「86」を、BMWとの共同開発で「GRスープラ」を世に送り出した。トヨタ社内で最高ランクの運転資格を持つなど、ドライビングの腕前でも知られる。2021年1月に退職。