第908回:ステランティスがまいた小ネズミ その恐るべき繁殖力
2025.05.01 マッキナ あらモーダ!ミラノの路上風景、変わる
2025年4月、デザインウイークのため1年ぶりにミラノを訪れた。路上風景を眺めて驚いた。「フィアット・トポリーノ」を見かける頻度が恐ろしく高かったのだ。
トポリーノは、欧州連合の車両規格で「ライト・クアドリサイクル(L6e)」というカテゴリーに属する軽便車で、パワーユニットはモーターの電気自動車(EV)である。仕様については第895回「新しい『トポリーノ』に見た『こうあってほしいフィアット』」に詳しく記したので、参照いただきたい。
L6e規格の普及について、ミラノのみを調査した数字は残念なが
まず、L6eとL7eを合計した2024年の登録台数は2万14
次に、電動L6eカテゴリーのなかで、姉妹車「シトロエン・アミ1
1位:アミ(5326台/48.5%/−37.1%)
2位:トポリーノ(4026台/36.6%/+36.6%)
これを見ると、同じステランティス・グループ内で、アミのシェア
イタリア語でtopolinoは小ネズミを意味する。恐るべき繁殖力だ。なぜトポリーノが増えたのか?
マーケットを一変させた大手の参入
まずは、今日の電動クアドリサイクル普及に至るまでを時系列で振り返ってみよう。
欧州連合が日本の道路運送車両法に相当する法律でクアドリサイクルを規定したのは、1992年のことである。だがそれ以前、すなわち第2次世界大戦後から、イタリアやフランスでは内燃機関を用いた軽便車が存在した。それらを製造していたのは小規模企業、ときには零細メーカーであった。彼らのつくるクアドリサイクルの大半は、汎用(はんよう)ディーゼルエンジンを動力としており、ユーザーはその振動と騒音に身を任せるしかなかった。どのような感覚かは、当連載第706回「先生は“無免許カー”でやってくる ある達観したイタリア人のクルマ選び」の動画でご覧いただこう。
そうした状況に変化をもたらしたのは大手自動車メーカー、業界用語でいうところのOEMの参入である。ゼロエミッション時代への対応という動機に加え、EVの電池性能が短距離移動に最適であることが背景にあった。
2012年にルノーが市場投入した電動クアドリサイクル「トゥイジー」は、欧州圏内の多くの国・地域で、原付免許で14歳から乗れるL6e版と、二輪免許で16歳から乗れるL7e版の2本立てであった。
続いて参入したのは旧グループPSA、現ステランティスだった。まず2020年にシトロエンがL6eのアミを導入。翌2021年には姉妹車「オペル・ロックスe」(現「オペル・ロックス エレクトリック」、以下ロックス)を投入した。そして2023年には、そのフィアット版であるトポリーノを発表した。
内燃機関版クアドリサイクルを製造していた中小企業のなかには、電動版を商品系列にそろえていたメーカーもあった。しかし、大手自動車メーカーの製品は、その資本力と開発力で技術的に洗練されていた。また小規模メーカーがつくるクアドリサイクルの多くが二輪車専門店を通じて販売されていたのに対し、大手の製品はいうまでもなく、従来の一般車ネットワークを通じての販売だ。大多数のユーザーにとって、より敷居が低い店で売られることによって、クアドリサイクルはより身近になった。
では、クアドリサイクルのなかでも、なぜトポリーノの人気が上昇したのか? こちらも時系列で考えてみたい。
従来小規模メーカーが手がけるクアドリサイクルは、そのときどきの大手メーカーのデザイン要素を採り入れ、アレンジしたものが大半だった。かつてパリモーターショーでそうしたメーカーのブースを筆者が訪れたときのこと。担当者に「最新型はルノー風にしてみました」と説明され、仰天したものだ。対して、大手ブランドがつくる電動クアドリサイクルのデザインは独自性に富み、完成度も高い。“なんちゃって感”からくるチープさが払拭(ふっしょく)され、従来クアドリサイクルを敬遠していた人々に訴求力を発揮したのである。
続いて、大手メーカーによる電動クアドリサイクルのさきがけとなったトゥイジーと、ステランティス系3車の違いから説いてみよう。
トゥイジーはタンデム2人乗り、かつガラス製サイドウィンドウがなかった。したがって市場ではモーターサイクルの延長として見られがちだった。
対してアミ/ロックス/トポリーノの3姉妹は並列2座(サイド・バイ・サイド)かつ、車体がワンボックス形状だ。従来の自動車を見慣れた目に、アレルギーがなかった。なかでもアミ/ロックスが前衛的な造形であるのに対し、最後に登場したトポリーノは1957年「フィアット500」、通称“ヌオーヴァ500”をほうふつとさせる愛嬌(あいきょう)ある造形でユーザーの注目を集めた。マーケティングとデザインの勝利だ。
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自動車ビジネスを面白くしている
最後に、なぜミラノでトポリーノが普及したかについて記そう。
ミラノで電動クアドリサイクルが人気の理由はロードプライシングだ。ミラノの中心部、バスティオーニ環状区と呼ばれる地域では、2008年から自動車の交通制限区域が導入されている。月曜日から金曜日は、朝から夕方まで通行は有料だ。それも、通れるのは一定以上の欧州排出ガス基準に適合した車両に限られている。
いっぽう、バッテリー式のEVであれば、いつでも無料で通行できる。それは四輪・二輪問わずで、クアドリサイクルも含まれる。参考までに、イタリアでクアドリサイクルの成長を主導しているのは電動版である。前述の統計によれば、2024年の電動版クアドリサイクルの登録台数は、前年比49.4%増という大幅な伸びを示した。いうまでもなく、同じEVでも小さなクアドリサイクルなら、路上駐車スペースの争奪合戦でも普通車より優位性は高い。
第2に挙げられるのは、ユーザーの意識および世代の変化である。第2次世界大戦後、長年にわたりイタリアやフランスでは、クアドリサイクルは運転免許が不要であった。そのため、経済的に登録車の所有が困難な高齢者、もしくは低廉な街乗り用オートマチック車が必要なハンディキャップのある人が主なユーザーであった。交通違反で免許停止になった人の乗り物、という印象も強かった。2000年代初頭、フランス・パリの販売店にクアドリサイクルのレンタルがあったので筆者が客層を聞いたところ、店主は「“免停”になった人が一定数いる」と証言した。
対して今日では、ユーザーの世代が大幅に刷新され、そうした既成概念は払拭されつつある。ついでにいえば、トポリーノという商品名が第2次大戦前後の大衆車にちなんだものであることを意識して、「あんなもんは本物のトポリーノじゃない」などと説教する世代も少数派だ。逆にトポリーノは、クールな移動アイテムと捉える世代が増えているのである。実際、新進クリエイターが数多く活動するトルトーナ、“ミラノのモンマルトル”と呼ばれる芸術家地区ブレラ、さらに再開発ビルが立ち並ぶポルタ・ガリバルディ一帯でも、若者が乗るトポリーノを頻繁に目撃した。
フィアットによるトポリーノの特色ある販促活動は加速している。2025年4月のミラノ・デザインウイークでは、カラフルな色づかいで知られる靴下ブランド、ガッロとコラボレーションを展開。期間中、ガッロの商品をイメージさせるトポリーノ4台を用意し、町中を走らせた。ガッロも「トポリーノ・コレクション」の靴下やビーチウエアの販売を開始した。
また2024年からはイタリアで各地の学校を巡回。14歳から乗れるメリットを生かし、トポリーノの実車をともなった安全運転教室「トップクラブ(Top Club)」を開催している。
フィアットの特設サイトによると、2025年4月現在、トポリーノの納車予定時期は2025年9月だ。人気がうかがえる。ステランティス流のささやかな多方位ラインナップ戦略が奏功している。
あとは、そうした斬新な視点を同社が継続できるかだろう。一台あたりの利益率は「マセラティ・グレカーレ」を1台売るのと比べて極めて少ないであろうから、それをどう克復するかも腕の見せどころだ。
ともあれ、専門家やクルマ好きからすればサブ的、もしくは無視されていたカテゴリーに参入し、成功を収めたのは痛快だ。自動車ビジネスは、アイデアとセンスさえあればまだまだ道がひらけることを、小さなトポリーノは示している。
(文=大矢アキオ ロレンツォ<Akio Lorenzo OYA>/写真=大矢麻里<Mari OYA>、Akio Lorenzo OYA、ステランティス/編集=堀田剛資)
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大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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