第926回:フィアット初の電動三輪多目的車 その客を大切にせよ
2025.09.04 マッキナ あらモーダ!「フィアット・トリス」
今回は、日本未導入の新しいフィアット車「Tris(トリス)」から、思いをめぐらせてみたい。
トリスとは、フィアットの小型商用車部門フィアット・プロフェッショナルが2025年5月21日に発表した、同社初の電動三輪多目的車だ。
荷台タイプは三方開きの「ピックアップ」、後方・側方の“あおり”がない「フラットベッド」、そして「バン」の3種を用意。物流におけるラストワンマイルや物販サービスなど、広い用途に用いられることを目指している。
デザインはトリノのフィアット・デザインセンターが担当。全長3.17mで、最小回転半径は3.05m、荷台面積は欧州圏のパレット共通規格、ユーロパレットを積載可能な約2.25m2、最大積載量は540kgである。車両総重量は1025kgだ。
三輪RWD対四輪FWDという違いはあるものの、電動システムは既発売のステランティス製小型マイクロモビリティー「フィアット・トポリーノ」「シトロエン・アミ100%エレクトリック」「オペル・ロックスe」のものをベースとしている。容量6.9kWhのリチウムイオンバッテリーと48Vの電気モーターの組み合わせで、最高出力9kW(約12PS)、最大トルク45N・mを発生。最高速度は45km/hだ。
内蔵のケーブル一体型ソケットで220V家庭用電源に直接接続できるのもトポリーノと同じだ。0%から80%までのチャージに要する時間は3時間半。満充電は4時間40分だ。満充電からの航続可能距離は90km(WMTCサイクル)である。
目下写真は公開されていないが、キャビンには5.7インチのデジタルインストゥルメントクラスターやUSB-Cおよび12Vのアウトレットが装備されている。自動点灯式ヘッドライト、後退ブザーも備わる。ほかにもフリート監視や車両追跡用コネクテッドサービスにも対応している。またオプショナルパーツ開発には、ステランティスのアクセサリー用ブランド、モパーも参画している。
モロッコ生産でアフリカ・中東へ
このトリス、生産はステランティスのモロッコ工場が担当し、当初はアフリカおよび中東市場に導入する。そうした地域における経済的自立と社会的包摂のためのツールを提供するのが目的とメーカーは説明する。
長期使用を想定し、車台とチューブラー構造部分は、乗用車水準の耐腐食処理を施しているという。電動ゆえ誰でも容易に運転できるのもセリングポイントだ。
フィアットCEO兼ステランティスのグローバルマーケティング最高責任者であるオリヴィエ・フランソワ氏は、フィアットがすべての人にとってアクセス可能なモビリティーに取り組んでいることの証しであることを強調。「都市が成長し、クリーンでアクセスしやすい輸送ソリューションが緊急に求められているなかで、私たちはごくシンプルかつ、きわめて有用なものを提供する機会を見いだしました」と開発の意図を説明する。トリスを通じて自営業者、中小企業、そして小さなコミュニティーに、成長のための手ごろな価格のゼロエミッションツールを提供できるとしている。
価格は発表から3カ月が経過した現在も公表されていない。だがリース・買い取りの両方を用意することで、起業家から小規模自営業の労働者まで幅広い需要に応える。
参考までに、フランソワ氏は「次の目的地はヨーロッパになるかもしれません」として、欧州での発売も匂わせている。実際に3点式シートベルトをはじめとした安全装備・保安装備を備えるなど、欧州の各種基準に準拠済みだ。
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イタリアにおける三輪トラック
メーカーは明らかにしていないが、フィアット・トリスの着想の源となったのは、誰が見ても「ピアッジオ・アペ」である。
イタリアにおける第2次大戦後の内燃機関三輪トラックの普及は、アペによってもたらされたと言っても過言ではない。1946年に同社が発売したスクーター「ベスパ」をもとに、荷台を追加して三輪に仕立て、1948年に発売したのがそのはじまりだった。
ピアッジオはフィアットと面白い縁がある。フィアット創業家3代目で数々の重役を歴任したウンベルト・アニェッリは、ピアッジオ創業家2代目のエンリコ・ピアッジオの養子アントネッラを最初の妻とした。そして彼らの長男ジョヴァンニ-アルベルト(1964-1997)はピアッジオの社長を務めている。ただし今日、フィアットとピアッジオの関係は資本を含め存在しない。
イタリア各地に残る中世以来の狭い街路で、アペの機動力は威力を発揮した。とくに50ccモデルの利点は大きかった。長年にわたり14歳になれば免許不要で運転が可能であったのだ(現在は原付免許が必要)。また、多くの地方自治体の交通管制において原付扱いとされてきた。そのため、運転者は四輪車の通行が制限された歴史的旧市街への進入や、二輪用駐車場の使用が許容されてきた。郊外や農村部の若者の間では、アペの50ccモデルを改造して楽しむカルチャーが生まれた。
また、かつての旅客輸送用をベースに、リゾート地のホテル送迎用を見込んでピアッジオが2007年に復活させた「アペ カレッシーノ」は一定の市場を見いだした。サードパーティーのカロッツェリアが架装する街頭販売用車両も、近年のレトロ潮流にのるかたちで業者の間で人気だ。
ピアッジオのインド工場でつくられたアペは主にアジア諸国に輸出され、オートリキシャ、トゥクトゥクといった旅客輸送用として活躍している。
実は過去に生産されたイタリアの三輪トラックはアペだけではない。北部ヴァレーゼで生産されていた「ブレマック」もその一例だ。航空機製造会社として知られるアエルマッキ社が開発した車両の製造権を1971年に継承した企業による。アペよりもひと回り大きかったことから、とくに土木建築業に好評をもって迎えられた。
余談だが、急ハンドルに起因する転倒のしやすさは、三輪トラックの性(さが)といえる。実際、筆者が知るシエナの食料品店主もそれを旧市街で起こしてしまい、しばらく家族の笑いの種になっていた。
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心して取り組め
フィアット・トリスの話に戻ろう。イタリアのインターネット上では、早くもさまざまな意見がみられる。
肯定的なものとしては「すごく欲しい。本当に素晴らしい。彼らはピアッジオがしなかったことをやり遂げた。もしトポリーノと(その姉妹車である)シトロエン・アミ100%エレクトリック程度の価格に抑えられるなら、大成功するだろう」「欧州でも発売してほしい」といったものだ。参考までに、トポリーノのイタリアにおける販売価格は税込み9890ユーロ(約170万円)である。
いっぽうで冷静な意見もみられる。投稿者はルノーグループの電動モビリティー部門が既に販売している「モビライズ・ベントー」と比較。「やはり側面にドアがあったほうが実用的だろう」とコメントしている。また、近年西ヨーロッパ以外の生産拠点に力を入れるステランティスを批判する意見もある。
フィアット・トリスは、たとえトポリーノの既存技術を活用しているとはいえ、商品としての利益率からしたら高級車には遠く及ばないだろう。しかし、ステランティスはこの三輪多目的車に真剣に取り組むべきである。アフターサービス体制もしかりだ。
なぜなら市場のひとつであるアフリカ地域は、成長が見込めるからである。日本貿易振興機構(ジェトロ)の2024年リポートが引用している世界経済フォーラムのデータによると、2021年時点でアフリカ全体の自動車市場規模は304億ドルだった。ただしアフリカ大陸自由貿易圏(AfCFTA)が本格運用され、域内貿易や工業化が発展した場合、2027年には約40%増の421億ドルまで成長すると予測している。
同じくジェトロの資料によると、モロッコの実質GDP成長率は2021年に8.2%を記録した。翌2022年には1.5%まで落ち込んだが、2023年には3.4%にまで回復している。
成長する国の人々は将来、可処分所得をより多く自動車に割り当てることができる。極端な仮説を立てるなら、職場のトリスで初めて自動車を運転した人物が事業で成功し、マセラティを何台もガレージに収める上顧客になるかもしれない、ということだ。トリスの信頼性やサービス体制への評価は、グループ内の他ブランドのそれにつながる。したがってステランティスは、この小さな電動三輪トラックに心して取り組んでほしいのである。
(文=大矢アキオ ロレンツォ<Akio Lorenzo OYA>/写真=大矢麻里<Mari OYA>、Akio Lorenzo OYA、ステランティス/編集=堀田剛資)

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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