第941回:イタルデザインが米企業の傘下に! トリノ激動の一年を振り返る
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アウディは2025年12月10日、米国のAIデジタル技術企業であるUSTと戦略的な事業提携を締結し、同社がイタリアの自動車デザイン開発企業であるイタルデザインの、過半数の株式を取得することで合意した。
USTは、1999年にカリフォルニアに設立されたIT企業である。業務領域は人工知能(AI)、クラウド、データなど多岐にわたる。世界30の国・地域に3万人以上の従業員を擁する。CEOは2019年からクリシュナ・サディエンドラ氏が務めている。
今回の提携により、イタルデザインは、ジョルジェット・ジウジアーロ氏が株式の売却を開始した2010年より続いていたアウディの傘下から脱する。ただし、アウディグループの一員であるランボルギーニは引き続きイタルデザインの株式を保有する。
USTの参画により、イタルデザインは独米伊を拠点にデザイン開発、プロトタイプ製作、SDV(ソフトウエア定義車両)、AI技術の領域において、より高度で統合的なサービスを提供するとしている。加えて、USTの国際ネットワークを活用することで、事業領域の拡大と国際市場への展開強化が可能となる。
イタルデザインと同じく、トリノの自動車デザイン開発企業では、2015年にピニンファリーナがインドのマヒンドラ・グループによって買収されている。
有名企業の相次ぐ外資化
当連載第910回で記したとおり、アウディによるイタルデザインとの関係見直しは、2025年5月に明らかになっていた。今回のUSTによる株式取得は、その結果といえる。
アウディとランボルギーニは、イタルデザインとの関係を維持しつつ、主要な顧客の立場で大きな利益を得ることができる。USTは自社よりも約30年以上長い歴史をもち、業界で強い知名度を誇るイタルデザインを獲得できたことになる。イタルデザインも、前述のようにさまざまな恩恵を受ける。目下のところ、3社にとってウィン・ウィンの関係だ。しかし2025年のトリノでは、このイタルデザインのニュースと前後して、もう2件の海外資本への売却報道が人々を驚かせていた。
ひとつはイヴェコである。第901回に記したとおり、同社は1975年にフィアットの重商用車部門を中心として、欧州の同業メーカーが参加するかたちで形成された。筆頭株主はフィアットの創業家であるアニェッリ家の投資会社で、現在はエグゾールと称する。
2025年7月、エグゾールはイヴェコの民生向け部門をインドのタタ・モーターズに約38億ユーロで売却。これにより、半世紀続いたトリノを代表する商用車メーカーはアニェッリ一族の手を離れた。
次は“アニェッリ系”新聞
第2は地元の歴史ある新聞社、ラ・スタンパの売却である。2025年現在、同社を所有しているのはジェディというイタリアのメディアグループだ。実はこのジェディも、エグゾールが筆頭株主だった。
2025年12月10日のことである。エグゾールがジェディに関して、ギリシャ系企業への売却交渉を進めていることが明らかになった。交渉のなかで、ギリシャ企業側は他の新聞やラジオ局には関心を示すいっぽう、ラ・スタンパの取得には消極的であったという。そのことに危機感をもった同紙編集部は、業務を一時的に放棄。2025年12月10日号を臨時休刊としたほか、オンライン版の更新も11日まで停止した。
事態を重く見たイタリアの中道左派野党は、政府に対し、重要産業の外国資本による買収を政府が阻止できる法律、通称「ゴールデン・パワー」を適用すべきだと主張した。ただし、この伝家の宝刀ともいえる法律は、より案件が大きかったイヴェコ売却の際に適用が見送られた。したがって、ラ・スタンパを含むジェディに用いられるかは微妙である。
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かつてのデトロイトと同じ殺伐感
ある日、トリノで乗ったタクシーの運転手は筆者にぼやいた。「イタリアは中道左派と中道右派の間で政権が揺れ動く。でも俺の考えでは、今のような中道右派の時代はいいことはない。外資に買われることを許し、結果として従業員が解雇されるのを野放しにしてしまうからだ」。
筆者自身は、都市が膨張しすぎて文化的にもつかみどころがなくなってしまったミラノよりも、トリノのほうが好きだ。旧市街は、統一イタリア王国初の首都としての品格を、今も漂わせている。ピエモンテ人特有の、親しすぎず遠すぎない礼節をわきまえた人と人との距離感も、俗にいうイタリア的人間関係より個人的には心地よい。
ただし、トリノ市の人口は2009年の90万9538人から2024年の85万6745人へと、5万3000人近く減少している。出生率も下降線をたどっている。都市の衰退は足で歩くだけでも実感する。2025年初め、筆者はトリノで路線バスを乗り間違え、ミラフィオーリで途中下車を余儀なくされた。一帯には自動車工場の余剰施設を取り巻く、殺風景な壁がえんえんと続いていた。そこに漂う空気は、かつてデトロイトで何ブロックも歩いたときと同じ殺伐としたものだった。唯一違っていたのは、廃虚の中から突如リスが現れ、筆者の心を和ませてくれたことくらいである。前回、訃報を記した宮川秀之氏の著書を通じて、輝いていた時代のトリノに思いをはせる筆者としては、縁日のあとに境内を訪れてしまったような寂しさを感じる。
イタリアの有名企業において、一度外国資本になったものが買い戻されて成功した例は、筆者が知りうるかぎりパスタで有名なパルマのバリッラしかない。そうした事実も、トリノ企業の外資化に対する筆者の憂いを増す。
新型「500」はルネサンスをもたらすか?
そのような2025年のトリノだったが、明るいニュースもあった。11月25日に正式に量産が開始された新型「フィアット500ハイブリッド」だ。2007年からの従来型が約17年にわたってポーランドのティヒ工場製であったのに対し、今回はイタリアの「企業およびメイド・イン・イタリー省」からの強い圧力もあり、イタリアのミラフィオーリ工場製となった。ステランティスは政府に対し、すでに年産10万台の計画を提出している。工場従業員も400人を新規採用する予定だ。
500はハイブリッドのローンチエディションに「トリノ」という名称がつけられ、バッジには市内のランドマーク「モーレ・アントレリアーナ」のシルエットが記されている。
同じ11月25日、フィアットブランドを有するステランティスは、ミラフィオーリにあるフィアット本社屋の再開発計画工事を正式に開始した。建物は1939年に操業を開始した本社工場を象徴するビルだ。実務機能がミラフィオーリの別の一角であるプラーヴァ通りに移されたことから、過去数年は事実上空きビルとなっていた。
今回の改修は、全長200mの建屋の地上5階・地下2階、総面積6万1000m2におよぶ。この建物はかつて筆者が訪れるたび、イタリア合理主義建築特有の性格をもって迎えてくれた。詳しくいうなら、直線基調の近代的ファサードと、威圧的とさえいえる内部の重厚さである。改修にともない、後者の印象はやや変わるかもしれない。内部の明るさを確保するため、1670枚の新しい窓が設けられるからだ。さらに太陽光発電パネルと集中エネルギー管理システムを統合することで、年間エネルギー収支がプラスとなることを目指すという。
新型500ハイブリッドと本社屋の改修に関して、ステランティスのジョン・エルカン会長は、「ステランティスが自らのルーツに忠実であり続けながら革新する能力を祝うもの」と定義した。またアントニオ・フィローザCEOは「ミラフィオーリの再活性化と500ハイブリッドの生産は、ステランティスがイタリアとその卓越性に投資するという意志を示している」とコメントしている。
参考までに、1996年から2025年までゼネラルモーターズが本社機能を置いていたビルの始まりは、1970年代にデトロイトの復興と雇用創出を目的にした再開発計画で、名称は「ルネサンス・センター」であった。新型500ハイブリッドと本社のリノベーションがイタリアを代表する自動車都市トリノのルネサンスとなるか。2026年はさらに気が抜けない年となりそうだ。
(文=大矢アキオ ロレンツォ<Akio Lorenzo OYA>/写真=Akio Lorenzo OYA、UST、イタルデザイン、ステランティス/編集=堀田剛資)

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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