第15回:「システム・パナール」という発明
自動車の進化を加速させた駆動方式革命
2018.01.12
自動車ヒストリー
前にエンジンを置き、その後ろに人が乗るスペースを設ける。今日でも自動車の主流となっているこの構造を、最初に発明したのはフランス人のエミール・ルヴァソールだった。“システム・パナール”と呼ばれるフロントエンジンレイアウト誕生の経緯を紹介する。
リアにエンジンを置いた初期の自動車
自動車にとって、駆動方式はその性能を左右する大きな要素だ。最大の重量物であるエンジンの搭載位置は、運動性能に決定的な影響を与える。大きく分けて駆動方式は5つ。現代のクルマで最も多く採用されているFF(フロントエンジン・フロントドライブ)は、車体の前方にエンジンを置き、前輪を駆動する方式だ。主要な機構がボディー前部のスペースに収まるので、室内スペースを広くとれるメリットがある。
以前は主流だったFR(フロントエンジン・リアドライブ)は、エンジンは前方にあるものの駆動輪は後輪で、間をプロペラシャフトでつなぐ。駆動輪と操舵輪が分かれることでハンドリングがよく、今も高級車やスポーツカーに多く採用されている。大きなトラクションを得られるRR(リアエンジン・リアドライブ)は、かつてよく見られた方式である。現在では少なくなったが、「ポルシェ911」はこの方式を守り続けている。
MR(ミドシップエンジン・リアドライブ)は重量物を中心に持ってくるために高い運動性能を得ることができ、レーシングカーや高性能スポーツカーに採用されている。ただ、どうしても室内のスペースが犠牲にされることになる。4WD(四輪駆動)は、前輪と後輪のすべてを駆動する方式だ。以前はオフロードカーによく用いられた方式だが、最近では乗用車でも多く採用されている。
自動車が誕生した時から、技術者にとってエンジンの搭載位置は悩みの種だった。1886年にカール・ベンツが世界初の特許を得た三輪自動車の「パテント・モートルヴァーゲン」は、車両重量自体はわずか263kgである。しかし、その3分の1以上にあたる96kgがエンジンの重さだった。ベンツは座席の後ろに単気筒エンジンを置き、ベルトやローラーチェーンを介して後輪に動力を伝達した。
垂直を水平に展開する画期的なアイデア
ゴットリープ・ダイムラーが初の四輪自動車を製作した時、ボディーは馬車会社に発注した。自動車は馬車に代わるものとして発想されており、当時としては自然な方法だったはずだ。彼は馬車の後席の下部に穴を開け、エンジンの置き場所を作った。方法に多少の違いはあったが、初期の自動車はどれもMRかRRの駆動方式を採用していたのである。
1889年、ダイムラーはパリ万博にV型2気筒エンジンを搭載した「シュトールラートヴァーゲン」を出品する。それを機に、フランスでも自動車事業を起こそうという機運が芽生える。ルネ・パナールとエミール・ルヴァソールが設立したパナール・エ・ルヴァソールもその一つだ。
当時ダイムラーの製造権を取得していたエデュアール・サラザンから委託されてエンジンを製造することになったが、サラザンが急死してしまう。製造権を継承した妻のルイーズはエミール・ルヴァソールと結婚し、パナール・エ・ルヴァソールがダイムラーのライセンシーとなった。
後発のメーカーは、まずはベンツやダイムラーを模倣して自動車を造った。成功したモデルをお手本にするのは当然だが、安定性に問題があることが知られるようになる。巨大なエンジンの上に座席を置くので、重心が高くなってしまうのだ。
パナール・エ・ルヴァソールの第1号車は、前後背中合わせに座席を配した“ドザド”と呼ばれる形式だった。エンジンは座席の間、ホイールベースのほぼ中央に置かれていた。乗員全員の背中のすぐ下にエンジンがあるわけで、当然のことながら騒音や振動に悩まされた。それを不満に思ったルヴァソールは、画期的なアイデアを思いつく。エンジンと座席を垂直に積み上げていたのを、水平方向に展開するのだ。
優位性を証明したモータースポーツでの活躍
ルヴァソールは、エンジンを乗員の前方に搭載した。前輪に荷重をかけることによって操向性を向上させることが目的だったといわれる。副次的な効果として、エンジンの上に人が乗らなくてすむようになった。エンジンの後ろにクラッチ、ギアが並び、一直線に伝えられた駆動力が後輪に達する。ギアはむき出しでディファレンシャルはまだなかったが、現代のFR車と原理的には変わらないシステムが誕生したのだ。1891年のことである。1886年のベンツの発明から5年後、自動車の根幹をなすメカニズムはフランス人の着想によって作り出された。
これがシステム・パナールと呼ばれているわけだが、パナールは経営面の指揮をとっていた人物で、前述のとおり開発したのはルヴァソールである。彼の柔軟な思考から生まれた発明が、自動車の歴史を大きく進めることになった。
ルヴァソールは、システム・パナールの優位性を証明するために、レースに挑んだ。フランス人は早くから自動車で競争することに興味を抱き、1894年に世界初のモータースポーツイベントであるパリ-ルーアン・トライアルが開催された。レースではなく、“優秀性を競う催し”という位置づけである。この頃はまだガソリン自動車の優位が確定していたわけではなく、蒸気自動車や電気自動車もエントリーしていた。
実際にスタートラインに並んだのはガソリン車14台と蒸気車6台で、126km先のゴールにパナール・エ・ルヴァソールは4番目に到達した。1着はド・ディオン・ブートンの蒸気車だったが、窯たき要員を乗せる必要のないガソリン車の簡便さが評価されて総合順位が入れ替わる。結果的にパナール・エ・ルヴァソールとプジョーが1位とされ、システム・パナールの優秀さを広く示すことになった。翌年行われたパリとボルドーを往復するレースでは、エミール・ルヴァソール自身のドライブで見事1着になっている。
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自動車の車両設計の本流に
システム・パナールは、ついに本家であるダイムラーも採用するところとなった。1897年の「フェニックス」は、直列2気筒エンジンをフロントに積み、4段ギアボックスを介して後輪を駆動した。さらに、1901年にはダイムラーから「メルセデス」が登場する。はしご型フレームの前方に35馬力の強力な直列4気筒エンジンを積み、4段ギアボックスを備えていた。電気式の点火を採用し、ハニカム状のラジエーターも付いた。操舵は斜めに据えられたステアリングホイールで行うようになっていて、一見して近代的な成り立ちの自動車である。メルセデスはレースでも大きな成功を収め、その設計思想は広く受け入れられていった。
エミール・ルヴァソールはレースでクラッシュしたことが原因となり、54歳の若さで亡くなってしまう。その後のパナール・エ・ルヴァソールは、高級車メーカーとして発展していった。1920年代から30年代にかけては速度記録に挑戦し、いくつかのレコードを樹立している。大きく方針を変えたのは、第2次世界大戦後である。自動車は大衆の移動手段として広まっており、パナール・エ・ルヴァソールもその波に乗ることを選んだ。
1946年に発表された「ディナ」は、アルミニウム合金製のモノコックボディーに空冷水平対向2気筒エンジンを備えたFF車だった。軽量なボディーで凝ったメカニズムを持つディナは、先進的なクルマとして高い評価を受けた。しかし、それは同時に価格が高くなってしまうことを意味する。安価な「ルノー4CV」などと比べると、大衆車としては競争力に欠けていた。
1955年、パナール・エ・ルヴァソールはシトロエンと業務提携を結ぶ。その後も「PL17」「CD」などの意欲的なモデルを発表するが、1965年に完全にシトロエンに吸収されてしまった。その後は軍用車両ブランドとして残ったものの、乗用車の生産は終了する。現在では、パナール・エ・ルヴァソールの新車に乗ることはかなわない。それでも、生産されているすべてのクルマには、システム・パナールという発明の恩恵を受けた機構が今も備わっているのだ。
(文=webCG/イラスト=日野浦 剛)
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鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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