その価値は“良品廉価”のみならず! スズキの軽四輪販売2500万台到達への歩み
2021.05.26 デイリーコラム65年7カ月での快挙達成
スズキは、2021年4月末時点で軽四輪車の国内累計販売台数2500万台を達成したと発表した。1955年10月に日本初の量産軽四輪車である「スズライトSFシリーズ」を発売して以来、独創的かつ市場で求められる製品を提供し続け、65年7カ月での快挙達成だという。
スズキいわく、軽自動車は「通勤・通学や買い物など家庭で毎日使用する『生活に欠かせない実用車』として、また、個人商店や町工場、農家などで人や荷物を運ぶ『仕事に役立つクルマ』としてご利用いただいている。さらに、公共交通機関が利用しにくい地方ではバスや電車などに代わる交通手段として欠かせない存在となるなど、日本の地域の足、生活の足として重要な役割を果たしている」とのことだが、この主張に異論の余地はないだろう。
私事になるが、10年ほど前に、東北地方の日常生活にクルマが欠かせない環境に住む、当時50代の従兄弟(いとこ)に久々に会ったとき、何気なく愛車は何かと尋ねたところ「ジムニー」という。自宅の前を走る県道を挟んだ向かいにバイク屋から始まったスズキのサブディーラーがあるのが一番の選択理由だそうだが、同様に奥さんは「アルト」に、息子は「ワゴンR」に乗っているとのことだった。この従兄弟一家など、先にスズキの挙げた軽ユーザーの典型的な例だろう。
そうした生活密着型のリーズナブルな実用車としての需要が大きいことはもちろんだが、それだけというわけではない。いっぽうで走りを楽しむ、あるいはレジャーユースに向けた軽自動車も数多く送り出し、いうなれば全方位を網羅してきたのがスズキというメーカーなのである。
国産初の量産FF車
最初に紹介したように、スズキは「独創的かつ市場で求められる製品を提供してきた」と自負しているが、これが事実であることは歴史が証明している。
そもそもスズキ初の市販四輪車として1955年に登場したスズライトSFシリーズは、日本初の量産軽四輪車であると同時に、日本初の量産FF車でもあるという、初めて尽くしのモデルだったのだ。研究車両だったドイツの小型車「ロイトLP400」を手本にFFを採用したのだが、実用化にあたってはドライブシャフトをはじめとしたポイントに難題のあるFFによくぞ挑んだものだと思う。市場に求められる製品、という意味においては疑問もなくはないが、そもそも軽四輪車市場が形成される前なのだから、致し方ないだろう。
SFシリーズは1959年にフルモデルチェンジされ「スズライトTL」が登場。商用登録のライトバンながら、積載性を最優先した四角い箱ではなく、テールにわずかなノッチがつけられた乗用車ムードの荷客兼用車だった。乗用車など庶民には雲の上の存在で、「平日はビジネスに、休日はレジャーに」というライトバンが大きな選択肢だった市場のニーズをとらえた製品であると同時に、ちょうど20年後に発売された初代「アルト」の姿が重なって見える。いわば軽ボンバンのルーツといえるモデルだった。
そのTLを乗用車化した「スズライト・フロンテ」を経て、1967年に「スズキ・フロンテ360」をリリースするのだが、これが世間を驚かせた。国産FFのパイオニアとして10年以上にわたって技術を熟成してきたにもかかわらず、小型車の潮流がFFに移ろうという時期になってリアエンジンへとドラスティックな転換を果たしたからである。表面的には時代に逆行するとしか思えなかったが、いざ発売されたフロンテ360は軽快な走りが受けて、スズキの乗用車としては初のヒット作となった。RRというレイアウト自体はさておき、この時期に導入したスズキの判断は実にユニークだったといえよう。
ジウジアーロの軽トラ
1955年デビューのスズライトSFシリーズにピックアップはあったものの、スズキ初の本格的な軽トラックは1961年に登場した「スズライト・キャリイ」である。駆動方式はさすがにFFではなく、座席下(ほぼ車体中央)にあるエンジンで後輪を駆動。ボディーはセミキャブオーバータイプだったが、当時の軽トラのなかで最大の荷台面積をうたっていた。
キャリイは1966年に世代交代した3代目からキャブオーバータイプとなり、名称も「スズキ・キャリイ」に改められるが、注目すべきは1969年に登場した4代目。なんとカロッツェリア・ギアから独立してイタルデザインを立ち上げたジウジアーロがエクステリアデザインを手がけたのだ。カロッツェリア・ヴィニャーレが手がけたライトバンから始まり、後にセダンなどが加わる「ダイハツ・コンパーノ」という前例はあったが、純粋な商用車としてはスズキのみならず国産初となるイタリアンデザインの導入。こうした大胆な決断もまた、スズキというメーカーの側面なのである。
スズキの独自性が存分に発揮されたモデルといえるのが、1970年に発売された軽初となる本格的な量産オフロード4WDのジムニーだろう。デビュー以来、コンパクトな車体による取り回しのよさと抜群の悪路走破性を武器に、山岳地帯や積雪地での生活用、林業や建設業などでの業務用、そしてレジャー用からオフロード競技車両に至るまで、代替品のない唯一無二の存在としてブランドを確立している。そう、ジムニーは現代においては数少ない、代役の利かないモデルなのである。
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新しいジャンルを創出
1979年、RRからFFに回帰した5代目フロンテと同時にデビューした初代アルト。FFハッチバックというレイアウト自体は小型車では珍しくはなくなっていたが、実は軽ではこのフロンテ/アルトが初めて。それだけでなく、アルトはコンセプトから販売方法までが独創的かつ画期的だった。
1、2人で乗ることが多い足グルマとしての需要が主体と見込んで、後席が簡素な商用車登録とすることで乗用車に課せられていた物品税を回避し、同時に助手席側ドアの鍵穴まで省略するなど徹底したコストダウンを実施。そうして乗用車登録のフロンテの廉価グレードより10万円近く安い47万円という驚異的な低価格を実現したのである。しかも自動車業界初となる全国統一価格としたことで、テレビCMでの価格の訴求が可能となった。
発売と同時に大ヒットしたアルトの後を追って他社も商用車登録のモデルをリリース。「軽ボンバン(ボンネットバン)」のブームによって、1973年の軽への車検制度の導入(それまで軽には車検がなかった)以降、沈滞していた軽市場に活気が戻ったのだった。
それから14年を経た1993年に誕生した初代ワゴンRも、市場構造を変えてしまったモデルだ。はやり始めていたミニバンのコンセプトを軽規格に落とし込み、シンプルだが機能美あふれるスタイリングと合理的なパッケージングで大ヒット。「軽トールワゴン」という、ボンバンに代わって軽市場の主流となるカテゴリーを創出したのだった。
だが、スズキはその後に登場して、近年では売れ筋の中心となっている軽スーパーハイトワゴンでは他社に先行されてしまうことになる。しかし2014年にデビューした「ハスラー」では、軽トールワゴンの居住性とSUVの走破性を兼ね備えたクロスオーバーという新たな方向性を示し、潜在していたニーズを掘り起こした。
それにしても、もしアルトとワゴンRがなかったら、軽市場は現在とは違ったかたちになっていた可能性が大である。そうなっていたら、スズキの累計販売2500万台の達成時期も異なっていたかもしれない。
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走りの楽しさも忘れない
走りを追求したスポーツ系モデルでも、スズキは独創的な製品を数多くリリースしてきた。二輪では1960年からロードレース世界選手権に、加えて65年からモトクロス世界選手権とモータースポーツの最高峰に参戦して、2ストロークエンジンの技術を磨いたスズキ。それを生かした初の四輪スポーツモデルが、1968年にデビューした2ストローク3気筒エンジン搭載の「フロンテSS 360」。1971年には軽初の2座スポーツとなる「フロンテクーペ」も登場して高性能軽ブームをけん引した。
初代アルトによって軽市場が再び活発になり、世間がバブル景気の到来を目前に上り調子だった1987年には、2代目アルトに高性能車の最新トレンドだったツインカムターボ+フルタイム4WDを軽としては初導入した「アルトワークス」を投入。この流れに他社も追随して1970年前後のようなハイパー軽バトルが再燃したのだった。
歴代アルトワークスやその後を受けて2000年に登場した「Keiスポーツ/ワークス」は、ワンメイクレースや全日本ラリー選手権などのモータースポーツでも活躍。いっぽうでは1991年にスズキ初にしてこれまでのところ唯一となる軽オープンスポーツの「カプチーノ」もデビュー。駆動方式にスズキの乗用車としては唯一となるFRを採用したことが、意外といえば意外だった。
2009年にKeiワークスが生産終了して以降はスポーツ系モデルがしばらく途絶えていたが、2015年には現行アルトに「ターボRS」が登場、続いてアルトとしては15年ぶりにワークスが復活。以来、現行軽では唯一となる「ハコ」のスポーツモデルとして気を吐いている。
というわけで、その主張のとおり独創的かつ市場で求められる軽自動車をつくり続けて国内累計販売2500万台を達成したスズキ。6月の株主総会をもって相談役に就く鈴木 修会長の勇退に花を添える、見事な記録といえるだろう。
(文=沼田 亨/写真=スズキ、沼田 亨/編集=藤沢 勝)
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沼田 亨
1958年、東京生まれ。大学卒業後勤め人になるも10年ほどで辞め、食いっぱぐれていたときに知人の紹介で自動車専門誌に寄稿するようになり、以後ライターを名乗って業界の片隅に寄生。ただし新車関係の仕事はほとんどなく、もっぱら旧車イベントのリポートなどを担当。
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