もはや絶滅不可避!? リアエンジン実用車クロニクル
2024.02.14 デイリーコラム戦前にはRRのメルセデス・ベンツも
先日、「ルノー・トゥインゴ」の日本市場向け最終仕様となる限定モデル「インテンスEDCエディションフィナル」の発売が告知された。本国でのトゥインゴはすでに電気自動車(BEV)のみだし、そのトゥインゴと共同開発されたスマートは、とっくにすべてBEVとなっている。
何が言いたいかといえば、パワーユニットとして電気モーターをリアに搭載するBEVはトゥインゴやスマートのほかにも存在するし、今後も登場するだろう。しかし、内燃機関をリアに積む、すなわちリアエンジン・リアドライブ(RR)の実用車はおそらく二度と現れないだろう、ということである。スポーツカーまで範囲を広げても、将来的に「ポルシェ911」が終焉(しゅうえん)を迎えたらジ・エンドとなるだろうと思うが、今回は実用的なモデルに絞ってリアエンジン車の歴史を振り返ってみたい。
リアエンジン実用車の先駆けといえば、誰もが思い浮かべるのが通称ビートルことフォルクスワーゲン(VW)の「タイプ1」だろう。だが、VWがその名のとおり国民車として本格的な量産に入ったのは第2次世界大戦後のこと。それ以前、1930年代にもリアエンジンの実用車が存在したのだ。
1934年に登場した「メルセデス・ベンツ130H」。車名の“H”はドイツ語でリアエンジンを意味するHeck Motorの略で、車体後端に1.3リッター直4サイドバルブユニットを積んでいた。シャシーのレイアウトもビートルに似ていたが、それには理由がある。ビートルの開発者であるフェルディナント・ポルシェ博士は1923年から1928年までダイムラー・ベンツに在籍していたが、130Hの開発は彼のアイデアをべースに1927年に始められたというのだ。
130Hはその後「150H」「170H」へと発展していった。しかし、1936年に170Hと同じ1.7リッターエンジンをフロントに積んだFRの「170V」(VはVorn Motor=フロントエンジン)が登場すると需要はそちらに流れ、Hシリーズはフェードアウトしてしまった。
もう1台、初期のリアエンジン車といえばチェコのタトラ。1934年に登場した「77」は、フェルディナント・ポルシェとも親交があったというハンス・レドヴィンカが設計した、当時世界で最も進歩的な設計の大型高級サルーンだった。市販車としては世界初となる本格的な流線形を導入した全長5.2mに達する4ドアセダンボディーの後端に、一般的なSOHCともOHVとも異なり、Vバンク間に配置された1本のカムシャフトからロッカーアームを介して吸排気バルブを駆動し、しかも空冷でドライサンプという特異な設計の3リッターV8エンジンを搭載していた。
それ以降、第2次世界大戦後の共産化、そして東西冷戦の終結とチェコを取り巻く状況は激変するが、タトラのフラッグシップは空冷V8リアエンジンというコンセプトを1999年まで一貫して維持した。変えようにも変えられなかったというのが実情ではあるが。
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ルノーとフィアットもRRを導入
第2次世界大戦後のヨーロッパでは、リアエンジンの小型実用車が続々と登場した。先陣を切ったのは1946年のパリサロンでデビューした「ルノー4CV」。全長3.7m未満と小さいながらも4枚のドアを備えた車体の後端に760ccの直4 OHVエンジンを搭載していた。
かつてはドイツの敗戦後にナチスの協力者としてフランスに幽閉されていたフェルディナント・ポルシェが4CVを設計させられたという説が出回っていたが、これは誤り。現在では開発中の4CVについて助言を求められたポルシェが、細部について言及した程度というのが定説となっている。
4CVは大成功し、国営化され公団となったルノーをフランスのトップメーカーに押し上げる原動力となった。続いてルノーは1956年にひとまわり大きい「ドーフィン」、1962年にアップデートされた角張ったボディーを持つ1リッター級の「8」、1966年にはトランクスペースを拡大すべく8のノーズを延長し1.1/1.3リッターエンジンを積んだ「10」とリアエンジン車をリリースし、主力に据えていた。
だが、そのいっぽうで1961年にはFFハッチバックの嚆矢(こうし)ともいえる「4」、1965年にはやはりFFハッチバックの「16」、1969年にはFFセダンの「12」を発売し、RRとFFの二本立てとしていた。そして1973年、8の生産終了をもってルノーのリアエンジン車はいったん消えることになる。
イタリアの巨人であるフィアットも、1955年にはダンテ・ジアコーザの設計によるリアエンジン車の「600」を発表した。ビートルの影響がうかがえる2ドアセダンボディーの後端に633ccの直4 OHVエンジンを積んだモデルで、戦前生まれの通称トッポリーノことFRの「500C」に代わって主力車種となった。
続いて1957年には、600よりさらに小さいボディーの後端に479ccの空冷直2 OHVエンジンを積んだ「ヌオーバ500」を発表。それまで庶民の足だったスクーターやバブルカーの類いに代わる存在として600を上回るヒット作となった。
1964年には600の上級発展型となる「850」をリリース。これもクーペやスパイダーなどの派生モデルを含めて成功した。1972年にはヌオーバ500の基本構造を受け継ぎながらボディーをはじめ各部をモダナイズした後継モデルとなる「126」が登場。これがフィアットとしては最後のリアエンジン車となるが、1980年の本国での生産終了後もポーランド工場では2000年までつくられた。
なお、ご存じかもしれないが、こうしたルノーやフィアットのリアエンジン車は、アルピーヌやアバルトといった小型スポーツカーのベースとなったことを付記しておく。
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欧州全域に拡大するRR車
フィアット600の上級発展型が850というのは前述したとおりだが、実はダンテ・ジアコーザ率いる開発チームは、600の発展型としてもうひとつのプロジェクトを進めていた。それはフィアットでは製品化されなかったが、1961年に「シムカ1000」として世に出た。シムカは戦前にフィアットのライセンス生産から始まったフランスのメーカーで、1960年代初頭の時点ではフィアットが資本の50%を握っており、強い影響力を持っていたのである。
かつては小型車でも4ドアが必須だったフランスの流儀に沿ったスクエアな4ドアセダンボディーの後端に1リッター直4 OHVエンジンを積んだシムカ1000は、ルノーとシトロエンの牙城だった1リッター以下の大衆車市場に食い込む成功作となる。1967年にはやはりジアコーザ設計の、3/5ドアハッチバックボディーにいわゆるジアコーザ式のエンジン横置きFFを採用した新世代の小型車である「シムカ1100」が登場するが、RRの1000も1978年までつくられた。
話がいったん戻るが、戦後のヨーロッパでは俗にバブルカーとかマイクロカーなどと呼ばれる多種多様な超小型車が一世を風靡(ふうび)した。イタリア発祥だがBMWでもライセンス生産されたイセッタやドイツのメッサーシュミットなどが有名どころだが、これらのほとんどはミドシップやリアエンジン車だった。
いわばバブルカー大国だったドイツでは、1950年代半ばからそれらとVWビートルの中間サイズのモデルが登場する。代表的な存在が1959年に登場した「BMW 700」。イセッタの発展型である「BMW 600」をベースにしたシャシーにミケロッティの手になる2ドアセダンボディーを載せたもので、リアエンドに積まれたエンジンはBMWの二輪用を拡大した697ccの空冷OHVフラットツイン。クーペやコンバーチブルなどのバリエーションもつくられ、それまで四輪は少量生産の高級車しかなかったBMWの財政改善に貢献した。
かつては世界一の二輪メーカーであり、ロータリーエンジンの開発メーカーとしても知られるNSU。1969年にVWグループに吸収されアウディの傘下となるが、そのNSUはリアエンジン車で四輪車市場に進出した。1958年に登場した「プリンツI」は、全長3mちょっとの2ドアセダンボディーの後端に583ccの空冷直2 SOHCエンジンを搭載。コルベアルックの「プリンツIV」などを経て1964年には1リッター空冷直4 SOHCエンジンを横置きした「プリンツ1000」に発展。最終的には「1200」まで拡大され1972年までつくられた。
そのほか、こうした西欧での動向に影響を受け、現在はVWグループの一員であるチェコのシュコダの「1000MB」、旧ソ連のザポロジェッツなど、1960年代には旧共産圏からもリアエンジンの小型車が登場している。
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ビートルの猛威がGMを動かす
戦後のヨーロッパでは、こうしてリアエンジンの小型車が続々とリリースされたわけだが、本元ともいえるVWはどうしていたのか? 戦後10年以上、乗用車に関しては改良を加えながらビートルことタイプ1(およびそれベースのカルマンギア)のみを生産していたが、1961年に2ドアノッチバックセダンの「1500」(タイプ3)が登場した。
タイプ3は3ドアワゴンの「ヴァリアント」やファストバックの「TL」などを加えつつ、タイプ1とともに改良が続けられていく。そして1968年に、ファストバックの2/4ドアセダンまたは3ドアワゴンボディーの後端に1.7リッターフラット4を積んだ、リアエンジンVWの最終発展型となる「411」(タイプ4)が登場する。411は1972年にマイナーチェンジを受けて「412」となるが、水冷エンジンによるFFの新世代モデル「パサート」の誕生を受けて1974年、タイプ3はひと足早く1973年に生産終了となった。
ドイツ本国では再びタイプ1のみとなったが、それも1978年(改良型の「1303カブリオレ」のみ1980年)で生産終了となり、リアエンジンVWは終焉を迎えた。ただし国外ではその後も生産を継続。最終的にタイプ1はメキシコで2003年までつくられ、累計生産台数は約2153万台に達した。
VWビートルは世界中で成功した。海を渡ったアメリカでも国産大型車へのアンチテーゼとして一部の知識階級に受け入れられたのを皮切りに支持層は徐々に拡大。やがてその状況をビッグスリーも無視できなくなり、ついにはアメリカそして世界一の自動車メーカーだったゼネラルモーターズ(GM)からビートルの影響を感じさせる「シボレー・コルベア」が1959年に登場した。
コルベア・ルックと呼ばれ世界中で模倣されたデザインを持つ、米車としてはコンパクトな全長4.6m弱の4ドアセダン、2ドアクーペ、および5ドアワゴンボディーの後端に、2.3リッターの空冷OHVフラット6ユニットを搭載したコルベア。アメリカ製リアエンジン車は、1947年から51台のみがつくられた意欲作の「タッカー」を除けばほとんど唯一であり、また量産実用車としては世界最大のリアエンジン車だった。コルベアは1964年に2代目となるが、操縦安定性について社会運動家の著書で糾弾されたことからセールスが急降下し、1969年に生産終了となった。
欧州に話を戻すと、主だった自動車生産国ながら量産リアエンジン車がなかったイギリスから、1963年になって登場したのが「ヒルマン・インプ」。コルベア・ルックの2ドアセダンボディーの後端に875ccの直4 SOHCエンジンを搭載していたが、その仮想敵は1959年に誕生した「Mini」の一族。エンジン横置きFFを採用した革命的な小型車に対抗するには当初から周回遅れの感が拭えなかったが、メーカーであるルーツグループの持つサンビーム、シンガーなどのブランドを冠した兄弟車を含めて1976年までつくられた。
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国産RRの始まりは日野ルノー
リアエンジン車は、もちろん日本にも存在した。最も有名なのは1958年に誕生した「スバル360」だろう。ビートル(かぶと虫)に対して“てんとう虫”の愛称で呼ばれた卵形ボディーの後端に空冷2ストローク2気筒356ccエンジンを搭載。小さいながらも4人乗りの実用車として通用することを証明し、軽自動車というカテゴリーを確立した傑作である。1969年にはリアエンジンの2代目を意味する「R-2」、1972年には「レックス」へと発展。リアエンジンの基本レイアウトは乗用車では1981年まで生き延びた。
マツダが1960年にリリースした初の乗用車である「R360クーペ」は、2ドアボディー後端に356ccの空冷VツインOHVエンジンを積んだ軽乗用車だった。続いて1962年に登場したやはり軽の「キャロル」も、総アルミ製でクロスフロー、ヘミヘッドの356cc水冷直4 OHVという高級な設計のエンジンをリアに搭載していた。
1960年に登場した三菱初のオリジナル乗用車だった「三菱500」。軽よりひとまわり大きい2ドアセダンボディーのリアエンドに493ccの空冷直2 OHVエンジンを搭載。1962年には「コルト(600)」に発展し、1965年までつくられた。
1955年に登場した量産軽のパイオニアである「スズライト」以来、FFを採用してきたスズキ。世の小型車の趨勢(すうせい)がRRからFFに移ろうかという1967年になって、空冷2ストローク3気筒エンジンをリアに積んだ「フロンテ」をリリース。スズキが5代目フロンテとその兄弟車の初代「アルト」でFFに回帰したのは1979年のことだった。
自社開発モデルではないが、国産量産リアエンジン車の嚆矢は1953年に登場した「日野ルノー」である。2ページで紹介したルノー4CVを日野がライセンス生産したもので、国情に合わせて独自の改良を加えながら本国より長く1963年までつくられた。
ルノー4CVの国産化から得たノウハウをベースに独自開発された日野初のオリジナル乗用車が1961年にデビューした「コンテッサ」。4CVよりひとまわり大きい、モダナイズされたボディーの後端に893cc直4 OHVエンジンを搭載していた。
そのコンテッサの後継として1964年にリリースされた「コンテッサ1300」。ミケロッティがデザインした、1.3リッター級としてはやや大きめの4ドアセダンボディー(後に2ドアクーペも追加)のリアエンドに、1.3リッター直4 OHVクロスフローユニットを積んだ国産最大のリアエンジン乗用車だった。だが1966年に日野がトヨタと業務提携を締結し、中・大型車専門メーカーとなることが決定したため翌1967年にコンテッサ1300は生産終了。日野は乗用車市場から撤退し、日本では軽を除きリアエンジン乗用車は消滅したのだった。
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復活を果たしたものの
さて、駆け足で古今東西のリアエンジン乗用車を紹介してきたわけだが、その全盛期は1950~1960年代だったことがお分かりいただけただろう。なぜこれだけの隆盛を見せたかといえば、ルノーやフィアットがリアエンジンを採用した当時は「パワートレインが1カ所にまとめられ、プロペラシャフトも不要なリアエンジンが最もスペース効率が高く小型車に適している」といわれていたのである。
だが、1959年に革新的なエンジン横置きFFを採用した「オースチン・セブン/モーリス・ミニ マイナー」(Mini)が登場すると、その定説が揺らぎ始める。そして等速ジョイントの進化などによりFFの弱点が解消されていくにしたがって、よりスペース効率に優れたFFへの転換が進んでいった。その結果、1980年前後にはVWやフィアット126などの本国以外での海外生産車や旧共産圏のモデルを除いては、リアエンジンの実用車は消滅したのである。
そんなリアエンジンの量産実用車が復活したのは1990年代のこと。スイスの時計メーカーであるスウォッチとダイムラー・ベンツの合弁会社であるMCC(マイクロ・カー・コーポレーション)が、かつてのバブルカーのような2人乗りの超小型車「スウォッチカー」の企画をブチ上げ、実際に1997年に「スマート・シティークーペ」(後の「フォーツー」)として市販化したのである。
スマート・シティークーペは、全長2.5mの3ドアボディーの後端に599ccの直3 SOHCターボユニットを搭載。2人乗りのコミューターと割り切ったため、スペース効率よりも、ステアリングの切れ角が大きくとれ、より小回りが利くことがリアエンジンを採用した理由のひとつなのでは? と推察する。
スマートには、2004年に「三菱コルト」と基本設計を共有する5ドアのFFハッチバックの「フォーフォー」が追加されたものの2006年に生産終了。いっぽうフォーツーは2007年に2代目に進化するがリアエンジンを踏襲した。そして2014年に登場した3代目はルノーとの共同開発となり、フォーフォーも同じくリアエンジンで復活。これの兄弟車が3代目ルノー・トゥインゴとなったわけである。これらはターボ付きの897ccまたは自然吸気999ccの直3 DOHCユニットを積んでいたが、2020年からはBEV仕様のみとなってしまった。
おっと、もう1台忘れていた。2009年のデビュー時に「世界一安いクルマ」として話題になったインドの「タタ・ナノ」。これもモノフォルムの5ドアボディーの後端に623ccの直2 SOHCユニットを積んだリアエンジン車だったのだ。2015年には2代目となったものの、2018年には販売終了している。
といった具合で、冒頭に記したようにもはや絶滅が確定していると言っても過言ではないであろうリアエンジン実用車。となれば、トゥインゴの最終モデルインテンスEDCエディションフィナルは貴重な自動車遺産になりうるか? がぜん気になってくるのだが……。
(文=沼田 亨/写真=ルノー、フォルクスワーゲン、メルセデス・ベンツ、タトラ、ステランティス、BMW、アウディ、ゼネラルモーターズ、日野自動車、スバル、マツダ、三菱自動車、スズキ、タタ・モーターズ、TNアーカイブ/編集=藤沢 勝)
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沼田 亨
1958年、東京生まれ。大学卒業後勤め人になるも10年ほどで辞め、食いっぱぐれていたときに知人の紹介で自動車専門誌に寄稿するようになり、以後ライターを名乗って業界の片隅に寄生。ただし新車関係の仕事はほとんどなく、もっぱら旧車イベントのリポートなどを担当。
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