第795回:「型式指定申請の不正」における一番の問題点は何か、元トヨタのチーフエンジニアが語る
2024.07.10 エディターから一言 拡大 |
複数のメーカーがかかわったとして、日本の自動車業界を大きく揺るがした「型式指定申請における不正問題」。その発生要因と、これを機会に正すべき“日本の自動車業界の根源的な問題”とは何か? 元トヨタのチーフエンジニア、多田哲哉さんが語る。
拡大 |
失敗は絶対に許されない
自動車の量産に必要な「型式指定」といえば、2023年のダイハツに続いて、トヨタ、ホンダ、スズキ、マツダ、ヤマハでも、その申請のための試験で不正があったことが、2024年6月、明らかにされた。
トヨタで「86」や「GRスープラ」の開発責任者=チーフエンジニア(CE)をつとめたことで知られる多田哲哉さん(現在は退社)は、今回の認証不正の報じられかたに危機感を抱いているという。
「認証不正の背景には、最近の日本の自動車産業の競争力低下、ひいては国力の低下といわれている根源的な問題があると、私は思っています。ですが、いろいろな報道を見ても、やれ自動車メーカーが悪い、あるいは逆に国交省のルールが変だ……といった議論に終始しているのが残念です。この問題は、日本の自動車産業に、国際競争力をより高める方向に舵を切らせる大きなチャンスになりえます」と多田さん。
ここでいう認証とは、市販車の安全性や環境性能にまつわる基準に対して、メーカーが独自に試験をして、その結果を国交省に提出して認めてもらう一連の作業のことだ。それによってある“型式指定”を取得すれば、メーカーは一台一台の検査を受けずとも、そのクルマを量産・販売できる。
多田さんは「私自身が所属していたのはトヨタの“Z”という組織です」と明かす。トヨタのZには、商品の開発責任者となるCEやその右腕として次世代のCEを目指す精鋭が属する。86の開発での多田さんの奮闘を描いたノンフィクション『どんがら』(清武英利著・講談社刊)によると、CEという役職は他社にもあるが、トヨタにおけるZはほかの部署やプロジェクトチームとは別格の頭脳のような存在であり、トヨタでは新車開発の総力をZに集中させているのだという。
「トヨタ以外では、認証はスペシャリストが担当する特殊な業務と位置づけられることが多いようです。トヨタにも認証作業専門の担当者はいますが、認証全体の進行管理は、CEのもっとも重要な仕事と位置づけられていました。認証というのは全貌が非常につかみにくく、なかなか要領を得にくいのですが、でもそこで失敗すると大変なことになる業務でした。配属当初には『認証はなによりも大切な仕事。絶対に失敗は許されない』と厳に申しつけられたくらいです」
却下の理由すらわからない
豊田章男会長が「(認証の)全体像を把握している人はひとりもいない」と発言して話題になった。ある報道によると、認証に必要とされる試験項目はクルマ一台につき172にものぼり、一つひとつの試験や条件も非常に複雑だ。
「たとえば、ルームミラーも、まず部品単体で『角の丸みが○R以上なければならない』という基準があり、さらにそれをクルマに取り付けた状態での(乗員の)頭とミラーの距離や衝突時の角度まで細かく決められています」
「認証項目はとにかくたくさんあるわけですから、ごくまれに認証が通らずに戻されることがあります。再認証には何週間、何カ月もかかるので、基本的には1項目でも認証が通らなかったら、クルマをスケジュールどおりに生産・発売することは不可能。そうなってしまうと、販売店まで巻き込んでのやり直しですから、それは自動車メーカーにとって大変なことで、認証での失敗は絶対に許されません」
「しかも、認証が通らなかった場合でも、どういう理由で認証されなかったのかを、国交省の担当者がはっきりと説明してくれないことも多いんです。こちらでよくよく調べてみたら、書類の“てにをは”がわかりにくいだけだった……なんてこともありました」
「役人には大きく事務系の文官と技術系の技官がいるのですが、自動車の認証を管轄する国交省は、伝統的に技官が少ない省庁なんです。ですから認証でも技術的にどうのこうの言われることは少なくて、われわれ技術者から見ると『そこは本質とは関係ないのでは?』としか思えない理由で落とされることも少なくないように感じてしまいます。『最初からなにをどう突っ込まれても通るようにしておけ!』と伝統的に申し伝えられていました。CE時代の私も、認証前の1~2週間は、デスクに積み上げられた膨大な書類を、とにかく一字一句、間違いがないかチェックし続ける毎日でした。はっきりいって、クルマの性能や商品力とは関係ない作業です」
「日本の認証というのはそういう世界なので、『基準値ギリギリだと落とされるのではないか?』という疑心暗鬼が生まれて、技術的にはいくらマージンを取ったつもりでも、認証が通るまでは安心できません」
拡大 |
「官」と「民」との反目こそが大問題
昨年のダイハツや先日のトヨタの報告で見られる「衝突試験でエアバッグをタイマーで作動させた」といった事例も、われわれ外部のいちクルマ好きからすれば思わず笑ってしまいそうになるが、こうした現場のプレッシャーを想像すると、やむにやまれぬ気持ちからだったのかもしれない。
もちろん、多田さんも、不正行為そのものは自動車メーカー側に非があるとしながらも、「個々の事例の是非はともかく、日本の認証制度最大の問題は、国交省側が強い立場から規制して、自動車メーカーはそれに頭が上がらない……と、両者が反目しあう関係になっていることです」と指摘する。
「自動車関連の役所と企業がそんな関係になっているのは、世界中で日本くらいではないでしょうか。自動車は国益に直結する産業なのですから、本来なら国と自動車メーカーは一体となって、自国の自動車産業を守って、発展させて、国際競争力を高めていく“共存関係”であるべきです。国内法規も自国の産業に有利になるように、しかも、それが国際的にも通用するように定めるのが、普通の国の姿勢だと思います」
多田さんはGRスープラのCEとして独BMWとの緊密な共同開発を経験したことで、ドイツの自動車産業の強さの秘密を間近で見ることができたという。
「ドイツの自動車産業は、役所と企業に、さらに大学などの教育機関も加わった“官民学”が一体になって、自国の自動車産業をいかに発展させるかについて頻繁に議論しています」
「フォルクスワーゲン、メルセデス、BMW、アウディ、ポルシェの技術者たちは『自動運転の次のステップはどうなるべきか? 今のような規制では他国メーカーがすぐ追いつくから、もっと厳しくすべきではないか?』といった話を、ビアホールに集まってしょっちゅう話しているんですね。しかも、そこには認証をつかさどる『TÜV(ドイツ技術検査協会)』の担当者や、ボッシュのようなメガサプライヤーの技術者なども同席しています」
「こうしたドイツの大手メーカーやサプライヤー、TÜVに就職するようなエリート技術者はたいがい、ミュンヘン工科大学やアーヘン工科大学の自動車工学科出身で、今働いている自動車会社よりも、出身大学への帰属意識・仲間意識のほうが強いんです」
国レベルでの存亡がかかる
「法規制や認証などというものは、すべての自動車メーカーが守らなければならないわけですから、各メーカーが独自にやるのは無駄です。それであれば、根幹の部分はたとえばボッシュのようなサプライヤーが一括開発して、それ以外の個性を出す部分のみを自動車メーカーがやればいいわけです」
「ところが日本では、トヨタとホンダと日産の技術者が集まって話し合うことはまずありませんし、自動車メーカーの技術者が国交省の役人と腹を割って議論するなどありえません。そして、日本の主要大学には、そもそも自動車工学の専門学科すらありません」
もっとも、ドイツの自動車産業のような横のつながりが、数年前のディーゼル排ガス不正につながったという負の側面もあるかもしれない。しかし、日本の自動車産業が世界で勝ち残っていくためには、ドイツのありかたは参考になるはずと多田さんは言う。
「これまでの日本では、同じ規制をクリアするための同じような技術開発を、トヨタ、ホンダ、日産がそれぞれバラバラにやっていても、なんとかなってきました。それはひとえに、日本の各自動車メーカーがメチャクチャ頑張ってきたからです。そして、日本の自動車メーカーには、国交省に理不尽にいじめられてもはね返す努力をすることで、国際競争力をつけてきたという自負があります。ですから、自動車メーカー側にも、国交省を『最新技術のこともわからないくせに、役人風を吹かして邪魔ばかりする』と、少し下に見る空気があったのも否定できません」
「メーカー側にも責任はあります。内心では日本の認証制度がおかしいと思っていても、建設的な改正を提案もせず、自分のところだけが国交省ににらまれないように、うまくやればいいという考えでした」
「ただ、もはやそんなことを言っていられる時代ではないと思います。欧米だけでなく、韓国、そして中国までが国をあげて急速にキャッチアップしてきている今となっては、今回の問題を機に、日本もまったく新しい枠組みをつくって対抗していく必要があるのではないでしょうか。メディアも含めて、そうした視点での議論が高まってほしいと思います」
(語り=多田哲哉/まとめ=佐野弘宗/写真=トヨタ自動車、山本佳吾、多田哲哉/編集=関 顕也)
拡大 |

多田 哲哉
1957年生まれの自動車エンジニア。大学卒業後、コンピューターシステム開発のベンチャー企業を立ち上げた後、トヨタ自動車に入社(1987年)。ABSやWRカーのシャシー制御システム開発を経て、「bB」「パッソ」「ラクティス」の初代モデルなどを開発した。2011年には製品企画本部ZRチーフエンジニアに就任。富士重工業(現スバル)との共同開発でFRスポーツカー「86」を、BMWとの共同開発で「GRスープラ」を世に送り出した。トヨタ社内で最高ランクの運転資格を持つなど、ドライビングの腕前でも知られる。2021年1月に退職。
-
第865回:ブリヂストンが新タイヤブランド「フィネッサ」を発表 どんなクルマに最適なのか? 2026.3.13 ブリヂストンが2026年1月に発表した「FINESSA(フィネッサ)」は、同社最新の商品設計基盤技術「ENLITEN(エンライトン)」を搭載する乗用車用の新タイヤブランドである。高いウエットグリップ性能と快適な車内空間の実現がうたわれるフィネッサの特徴や走行時の印象を報告する。
-
第864回:冬の北海道で「CR-V/ZR-V/ヴェゼル」にイッキ乗り! ホンダ製4WDの実力に迫る 2026.3.9 氷雪に覆われた冬の北海道で、新型「CR-V」をはじめとするホンダのSUV 3兄弟に試乗。かつては実力を疑われたこともあるというホンダ製4WDだが、今日における仕上がりはどれほどのものか? 厳しい環境のもとで、そのコントロール性を確かめた。
-
第863回:3モーター式4WDの実力やいかに!? 「ランボルギーニ・テメラリオ」で雪道を目指す 2026.3.3 電動化に向けて大きく舵を切ったランボルギーニは、「ウラカン」の後継たる「テメラリオ」をプラグインハイブリッド車としてリリースした。前に2基、リアに1基のモーターを積む4WDシステムの実力を試すべく、北の大地へと向かったのだが……。
-
第862回:北極圏の氷上コースでマクラーレンの走りを堪能 「Pure McLaren Arctic Experience」に参加して 2026.2.25 マクラーレンがフィンランド北部で「Pure McLaren Arctic Experience」を開催。ほかでは得られない、北極圏のドライビングエクスペリエンスならではの特別な体験とは? 氷上の広大な特設コースで、スーパースポーツ「アルトゥーラ」の秘めた実力に触れた。
-
第861回:冬道性能やいかに ミシュランのオールシーズンタイヤ「クロスクライメート3」を北の大地で試す 2026.2.18 2025年9月に日本ミシュランタイヤが発表した最新のオールシーズンタイヤ「クロスクライメート3」と「クロスクライメート3スポーツ」の冬道性能を確かめるために、北海道に飛んだ。ドライやウエット路面に続き、ウインターシーンでの印象を報告する。
-
NEW
「空力性能」を追求すると、最終的にどのクルマも同じ形になってしまうのか?
2026.3.24あの多田哲哉のクルマQ&Aスポーティーな車種に限らず、空力性能の向上は多くのクルマの重要課題。しかし、それを突き詰めれば、どれも同じような形になってしまうのではないか? 元トヨタのエンジニア、多田哲哉さんはこう考える。 -
NEW
日産セレナe-POWERハイウェイスターV(FF)【試乗記】
2026.3.24試乗記販売台数ではトヨタ勢に差をつけられながらも、日産の屋台骨として奮闘する「セレナ」。現行型の登場から3年、マイナーチェンジで磨きがかかった最新の「e-POWERハイウェイスターV」に試乗すると、人の感性に寄り添う開発陣のこだわりと良心が見えてきた。 -
NEW
走行16万kmでも電池の劣化なし! -20℃でもエアコンが効く! 新型「日産リーフ」のスゴイところを聞く
2026.3.23小沢コージの勢いまかせ!! リターンズ航続距離が伸びたり走りの質がよくなったりで話題の3代目「日産リーフ」だが、本当に見るべき点はそこにあらず。小沢コージが開発エンジニアを直撃し、ジミだけど大きな進化や、言われなかったら気づかないような改良点などを聞いてきました。 -
カッコインサイト! スタイリッシュになった新型「ホンダ・インサイト」は買いなのか?
2026.3.23デイリーコラム2026年3月19日、通算4代目となる新型「ホンダ・インサイト」の受注が始まった。トピックはフルEVになったことと、その見た目のカッコよさ。多くの人が乗りたくなる、本命EVの登場か? 買いか否か、清水草一はこう考える。 -
BMW iX M70 xDrive(4WD)【試乗記】
2026.3.23試乗記BMWが擁するSUVタイプの電気自動車「iX」。そのハイパフォーマンスモデルが「iX M70 xDrive」へと進化を遂げた。かつて、BMWの志向する次世代モビリティーの体現者として登場した一台は、今どのようなクルマとなっているのか? その実力に触れた。 -
トヨタGRヤリスRZ“ハイパフォーマンス” +エアロパフォーマンスパッケージ(前編)
2026.3.22ミスター・スバル 辰己英治の目利きスバル/STIでクルマの走りを鍛えてきた辰己英治氏が今回試乗するのは、トヨタの手になる4WDスポーツ「GRヤリス」だ。モータースポーツへの投入を目的に開発され、今も進化を続けるホットな一台を、ミスター・スバルがチェックする!



































