第200回:国産ショーファードリブンカー50年史(後編)
2013.09.17 エディターから一言ニッポンのショーファードリブンカーをめぐる長編エッセイ。前編に続き、トヨタ、日産、三菱の3社が紡いできたその歴史を振り返る。
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ふたたび優位に立つも
(前編からの続き)
販売台数で引き離され、「トヨタ・センチュリー」の背中が遠ざかりつつあった1990年、「日産プレジデント」は25年ぶりに世代交代を果たす。2代目は専用設計ではなく、前年にデビューした、まったく新しい高級車である「インフィニティQ45」をベースとしていた。そのホイールベースを150mm延ばし、グリルレスが特徴だったQ45に対して、フロントグリルを与えることによって落ち着いた雰囲気にアレンジ。4.5リッターのV8エンジンや、量産車としては世界初となる油圧アクティブサスペンションといったメカニズムはQ45と同じだったが、装備は一段と豪華になっていた。
ベースとなったインフィニティQ45が高級車としては冒険したモデルだっただけに、2代目プレジデントも「ショーファードリブンカーしての威厳に欠ける」という声もあった。それでも最新の設計であることは強みで、対センチュリーのセールスは再び逆転する。
93年には全長を約50cmストレッチしたオーテックジャパン製のリムジンも追加されるが、97年にセンチュリーが世代交代すると、たちまち形勢は不利に。後継車がないまま、2002年には生産終了してしまった。
ライバル対決に決着
それから1年余の空白を経た2003年、北米では3代目「インフィニティQ45」として売られていた4代目「シーマ」をベースとする3代目「プレジデント」が登場する。
カルロス・ゴーンの下で経営再建中だった状況ではホイールベースの延長も許されず、ボディーはシーマと共通。フロントグリルの変更などによって、いくぶん押し出しの強いデザインとしていた。ストレッチができないならばと、センターコンソールを車体中央より右側に配置した後席2名乗車の4人乗りを設定。前方格納タイプの助手席とあわせて、後席は左側に限ってはクラストップレベルの座席幅と足元スペースを確保していた。
しかし、2010年にはベース車のシーマとともに生産終了。プレジデントの歴史は誕生から45年で幕を閉じた。
いっぽうセンチュリーは、誕生からちょうど30年となる1997年に満を持してフルモデルチェンジ。スタイリングは伝統を受け継ぐと同時に、社用車などで初代と併用するユーザーが違和感を覚えないよう、一見したところでは新旧の見分けがつかないほどのキープコンセプト。しかし、ホイールベースを165mm延ばして全長を当時国産最長の5270mmとしたボディーの中身は、30年分のアップデートが一気に敢行されていた。国産乗用車初にして、今後も唯一の存在であり続けるだろうV12の5リッターエンジンをはじめ、すべてが専用設計。一般量産車とは次元の異なるクオリティーコントロールの下、改良を加えながら現在も生産継続中である。
なお、老朽化した日産「プリンス・ロイヤル」の代替として、これをベースとした御料車の「センチュリー・ロイヤル」が製作され、2006年から宮内庁に納入されている。
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受難のフラッグシップ
三菱グループ御用達のショーファードリブンカーである「デボネア」は、1986年に22年ぶりにフルモデルチェンジを受け、「デボネアV」を名乗った。ボディーは5ナンバーサイズに収まったままだが、メカニズムは一新されFF化。エアロパーツを装着したAMG仕様も設定されるなど、初代とは異なりオーナーカー市場も狙っていたが、90年にはホイールベースを150mm延長した特装車扱いの「ロイヤル150」が追加設定された。
6年余という初代に比べると大幅に短いインターバルで92年に登場した3代目は、ようやくフラッグシップの座にふさわしい3ナンバーサイズのボディーを獲得。93年には先代と同じくストレッチ版も加えられた。
2000年には、デボネアに代わる新たなフラッグシップの「プラウディア」と、そのストレッチ版の「ディグニティ」が登場する。
ディグニティはホイールベース3080mm、全長5335mm、全幅1870mmという、長さではセンチュリーを上回るボディーに、4.5リッターのV8エンジンを搭載。名実ともにプレジデントやセンチュリーに対抗できるモデルの出現に三菱グループの役員が喜んだのもつかの間、リコール隠し問題に端を発する急激な経営状態の悪化によって、翌2001年にはプラウディアともども生産中止の憂き目に遭う。
ディグニティの生産台数はわずか59台と言われ、残存車両は相当に希少な存在である。
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撤退と復活、そして今後は?
トヨタは2005年から日本国内でもレクサスブランドの展開を始めたが、2007年にはフラッグシップである「LS」に5リッターV8エンジン+モーターのハイブリッドシステムを積んだ「LS600h」を追加。そのLWB版である「LS600hL」のホイールベースはセンチュリーをも凌(しの)ぐ3090mmで、高級車とはいえドライバーズカー主体だったレクサスとしては、初めてショーファードリブンを打ち出したモデルだった。ハイブリッドの環境コンシャスなイメージもあって、内閣総理大臣の公用車として採用されたのをはじめ、評判は上々。センチュリーより高価格であるにもかかわらず、セールスでも上回っている。2008年には同じボディーに4.6リッターV8を積んだ「LS460L」も加えられている。
2010年に3代目「プレジデント」を生産終了して以来、ショーファードリブンにふさわしいモデルがなかった日産。2012年になって、3.5リッターV6ハイブリッドを積んだフラッグシップセダンである「フーガ ハイブリッド」をストレッチし、内外装をより高級に仕立てたモデルを、3代目プレジデントと同時に消滅していた「シーマ」の名で登場させた。ホイールベースはフーガより150mm長い3050mmで、これは日産製乗用車としては過去最長だった2代目プレジデントの3030mmを上回る。
シーマを名乗るとはいえ、先代までの歴代シーマは高級ドライバーズセダンであり、復活した新型は事実上プレジデントの後継モデルと言える。なおこの新型は三菱にOEM供給され、前述した、誕生からたった1年で消え去った「ディグニティ」の名で販売されている(同時に登場したフーガの三菱版は「プラウディア」)。
以上、国産ショーファードリブンカーの歴史を、大まかに振り返ってみた。需要が限られているゆえ種類は少なく、一部の例外を除いてモデルの寿命も長いが、それでも歴史が半世紀を超えるとなれば、これだけの変遷があるというわけだ。近年では大型セダンではなく、大型ミニバンをショーファードリブンカーに使うケースも見受けられるが、果たして今後は市場にどんな展開が見られるのだろうか。
(文=沼田 亨)
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沼田 亨
1958年、東京生まれ。大学卒業後勤め人になるも10年ほどで辞め、食いっぱぐれていたときに知人の紹介で自動車専門誌に寄稿するようになり、以後ライターを名乗って業界の片隅に寄生。ただし新車関係の仕事はほとんどなく、もっぱら旧車イベントのリポートなどを担当。