第13回:戦場を駆け抜けたジープ
軍用車からSUVへの華麗なる転身
2017.12.14
自動車ヒストリー
SUVの元祖であり、今なおその代名詞として世界中のファンから支持されているジープ。兵士たちの頼れる相棒として誕生し、平和の訪れとともに山野を駆けるレジャーカーへと転身を果たしたこのクルマの歴史を紹介する。
わずか1カ月半で作られた試作車
「ジープ」という名前が四輪駆動車を指す普通名詞だと思っている人は意外に多い。「パジェロ」を三菱のジープ、「メルセデス・ベンツ」の「Gクラス」をベンツのジープなどと表現する人が結構いる。うま味調味料のことを味の素、ステープラーをホッチキス、ガーゼ付きばんそうこうをバンドエイドと呼ぶのと同じだ。ジープは1941年にアメリカ陸軍の要請で生産が始まった軍用車であり、「1/4-TON 4x4 TRUCK(WILLYS-OVERLAND MODEL MB and FORD MODEL GPW)」が軍の命名規則に基づく“制式名称”である。
前年の1940年7月、アメリカ陸軍は小型偵察車開発委員会を設立し、自動車メーカー135社に開発要請書と入札規則書を送付した。要望の中身は、車両重量585kg、ホイールベース2030mm、トレッド1190mmをそれぞれ下回るサイズで、重機関銃を搭載することが可能な四輪駆動車の開発だった。ヨーロッパ戦線ではドイツ軍の機械化部隊が「キューベルワーゲン」を使った電撃侵攻作戦を成功させており、対抗し得る車両を持つことが急務となっていた。
要請に応じたのは、わずか3社だった。アメリカン・バンタム、ウィリス・オーバーランド、そしてフォードである。要求性能があまりにも厳しく、実際にプロトタイプを提供したのはアメリカン・バンタムのみ。わずか1カ月半で試作車を仕上げるという早ワザだった。ただし、車両重量はさすがに基準をクリアすることができず、1t近い重さになっていた。
ひと月にわたって実戦的なテストが繰り返され、オフロード走破の性能と耐久性が証明された。陸軍はウィリスとフォードにも同様な作りのプロトタイプを作るように要請する。各モデルの長所を生かした統一規格車が生産されることになった。
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兵士も元帥も評価した悪路走破性能
原型を製作したのはアメリカン・バンタムだったが、本格的な大量生産を行うには会社の規模が小さ過ぎた。実際に1941年7月から量産を始めたのは、ウィリスとフォードである。「ウィリスMB」と「フォードGPW」という名前で生産された。仕様は同一で、同じ部品を使って修理することができる。第2次大戦が終了するまでに、ウィリスMBが約36万台、フォードGPWが27万台近く生産されている。
アメリカ陸軍参謀総長のジョージ・マーシャル元帥は、「われわれに勝利のパワーを与えてくれた武器、資材類はたくさんあるが、何といってもありがたかったのは、JEEPとDUKWの存在だった」と話している。戦闘機や戦車を差し置いて、真っ先にジープへの感謝の意を表したのだ。
兵士から歓迎されたのは、まず何よりもその頑丈さと悪路走破性能だった。はしご型フレームに前後リーフリジッドのサスペンションは、オフロードで無類の強さを発揮する。フレーム自体が変形してショックを吸収し、接地性に優れて耐久性が高い。乗り心地は悪いが、戦地では快適性の優先度が低いのは当然だ。
2.2リッター直列4気筒のサイドバルブエンジンは最高出力こそ54馬力と控えめだが、2000回転で最大トルク14.5kgmを発生する。砂漠から積雪地帯までカバーし、最大31度の斜面を登る能力がある。ジープは頼りになる相棒だったのだ。
ジープという名称はウィリス・オーバーランドによって商標登録されるが、語源についてははっきりしていない。General Purpose(多目的、万能)の略称GPからきたという話もあれば、『ポパイ』に登場した“ユージン・ザ・ジープ”という怪物からとられたという説もある。1930年代後半からアメリカ陸軍では軍用トラック全般をジープと呼んでいたともいわれていて、定説はない。ウィリス・オーバーランドは戦後カイザーに買収され、何度かの転変を経て現在はクライスラーが商標を所持している。
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日本では三菱がライセンス生産
戦争が終わり、日本にもジープがやってきた。40万人以上のアメリカ兵が進駐軍として上陸し、移動手段としてジープを使ったのだ。数千台のジープが全国を走りまわっていたと考えられる。ビジュアルイメージとして、ジープは進駐軍そのものだったのだ。特に子供たちには人気で、当時小学生だったモータージャーナリストの故徳大寺有恒氏も、最初のあこがれのクルマはジープだったと語っている。
注目したのは子供たちだけではない。有用性は政府も認識していた。1950年に設置された警察予備隊は、自動車メーカーに小型トラックの製造を要請する。この時入札に応じたのはトヨタ、日産、三菱で、ジープのライセンス生産が決まっていた三菱が選定された。その後改組して発足した自衛隊にもジープを納入し、1998年まで生産が続けられた。
ウィリスMBとフォードGPWは、朝鮮戦争にも送り込まれている。同時に後継車となる「ウィリスM38」も配備されていて、次第に世代交代が進んでいった。ベトナム戦争では、ケネディジープと呼ばれた「フォードM151」が主力となった。モノコックボディーに四輪独立懸架のサスペンションを組み合わせたもので、初代モデルとはまったく異なる設計思想のもとに作られている。
さらなる高性能な軍用車を開発するため、1970年頃から大型で高速な偵察車の構想が持ち上がった。それが「High Mobility Multipurpose Wheeled Vehicle(HMMWV)」で、ハンヴィーと発音する。生産を担当したのは、商用車のメーカーだったAMゼネラルである。1985年に正式に採用され、1989年のパナマ侵攻で初めて実戦投入された。
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高い走破性を生かして高級SUVに
このクルマのタフな性能に引かれたのが、俳優のアーノルド・シュワルツェネッガーだった。彼は街乗り仕様のハンヴィーを製作するよう依頼し、それに応えて作られたのが「ハマー」である。1992年から市販され、巨大なサイズで高価だったにもかかわらず大人気となった。日本にも輸入され、一時は東京都心でもよく見かけることができたものである。その後、小型化された「H2」「H3」といったモデルも作られたが、いずれも現在では生産されていない。極端に低い燃費性能は現代では受け入れがたいものだった。
一方、ジープは今も高いブランド性を持ったモデルであり続けている。軍用車として培われた高い走破能力は、SUVにとっても大切な要素となる。実際に悪路に足を踏み入れることは少ないが、ポテンシャルを秘めていることがステータスとなる。ラインナップは拡充されて、小型から大型までサイズがそろえられている。
頑丈さが優先された軍用車と違い、一般向けのSUVとなったモデルは快適性や豪華装備も求められる。最も正統な後継車といえる「ラングラー」でも、運転席に座れば乗用車とさして変わらぬ感覚だ。「グランドチェロキー」に至ってはラグジュアリーな高級SUVで、ヨーロッパのメルセデス・ベンツやBMW、アウディなどのモデルに対抗する位置にある。その中でジープのアドバンテージになるのが、出自からくる性能への信頼と歴史の持つ重みだろう。
戦争では性能の差が生死を左右するので、軍用車の開発では技術が惜しみなくつぎ込まれる。それによって得られた果実が、平和な世の中では乗用車に魅力を加えることになるわけだ。ジープは第2次大戦が生み出したが、魅力的なSUVとなった現在のほうがクルマにとっても幸せであるはずだ。
(webCG)
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鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。