第18回:ディーゼル――もうひとつの内燃機関
理想の熱機関を襲った環境問題と商業主義
2018.02.22
自動車ヒストリー
ガソリンエンジンを上回る、優れた効率が特徴のディーゼルエンジン。厳しい排出ガス規制をクリアすべく進化を続けてきた“もうひとつの内燃機関”を危機に追い込んだ、本当の脅威とは? 100年を超えるその歴史と、今日の現状を紹介する。
“ペットボトル会見”のインパクト
2012年に発売された「マツダCX-5」は、この年の日本カー・オブ・ザ・イヤーに選出された。スタイリングや衝突安全性能が評価されたのはもちろんだが、最も大きな要因となったのはパワーユニットだろう。2.2リッターのディーゼルエンジンである。低燃費と高トルクを両立させるとともに、ポスト新長期規制に適合するクリーンな排気を実現していたのだ。ガソリンエンジン仕様もあったが、当時は販売数の約8割をディーゼルエンジン車が占めたという。
日本では、長らくディーゼル乗用車が販売されていなかった。環境問題が前景化する中、ディーゼルエンジンの排ガスが大きな問題となっていたからである。窒素酸化物(NOx)と粒子状物質(PM)が健康被害を引き起こす元凶と指摘され、これらの排出量を削減すべく、排ガス規制が強化された。基準をクリアできないモデルは退場を余儀なくされる。
ディーゼルエンジンの悪玉イメージを決定づけたのが、1999年に石原慎太郎東京都知事(当時)が行った記者会見である。黒い粉末の詰まったペットボトルを掲げ、「東京では1日に12万本分のススがばらまかれている」と訴えた。強烈なビジュアルインパクトを残したパフォーマンスは世論を動かす。「ディーゼル車NO作戦」がスタートし、都条例の整備が進められていくことになった。
ディーゼル規制に大義があったのは確かである。当時は明らかに整備不良とわかるクルマが、黒煙を吐き出しながら堂々と道を走っていた。エンジンをかけたまま停車しているトラックやダンプカーは周囲に悪臭をまき散らす。傍若無人な行動をとる一部の大型車のマナーに、多くの人が反発を覚えていたのは当然だろう。
ペットボトル会見の衝撃もあり、ディーゼル追放の運動は市民からの支持を集めた。2000年には環境確保条例が制定され、PM排出基準をクリアできないディーゼル車は、新車登録から7年が経過すると走行が禁止されることになった。
影響を受けたのは、トラックやバスなどの商用車だけではない。既存のディーゼルエンジンを搭載していたSUVも、東京とその近県では走行できなくなった。PM除去装置をつけて規制から逃れることも可能だったが、高額な改造費用がかかる。多くの人が、諦めて愛車を手放すことになった。
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日本初のディーゼル乗用車はクラウン
2006年に日本で販売されていたディーゼル乗用車は、「トヨタ・ランドクルーザー」など一部のSUVだけである。同年のヨーロッパでは乗用車のディーゼル比率が50%を超えており、あまりにも対照的な状況だった。ただ、以前から日本でディーゼル乗用車が受け入れられなかったわけではない。多くのメーカーがディーゼルエンジン搭載車を販売していた時期もあった。
日本初のディーゼル乗用車は、1959年に登場している。「トヨペット・クラウン」に、1.5リッター4気筒のC型ディーゼルエンジン搭載車が加わったのだ。当時としては世界最小排気量となる意欲的な製品で、ボッシュ式燃料噴射ポンプと空気式ガバナーを使って40馬力を得ていた。販売は少数にとどまり、トヨタが再びディーゼル乗用車を発売するのは1977年となる。
1962年にいすゞが発売した「ベレル」には、ガソリンエンジンとディーゼルエンジンの両方が用意されていた。いすゞは戦前のヂーゼル自動車工業がルーツであり、ディーゼルエンジン技術の蓄積があった。ベレルは成功しなかったが、「フローリアン」「117クーペ」「ジェミニ」などに次々とディーゼル仕様車をラインナップしていった。
1964年には日産が「セドリック」に2リッターディーゼルエンジン車を追加。その後「ブルーバード」「サニー」「スカイライン」などにも設定を広げ、ディーゼルエンジン車を充実させていく。1980年代に入ると、三菱とマツダもディーゼル乗用車市場に参入。1983年にはダイハツが世界最小の1リッター3気筒ディーゼルエンジンを採用した「シャレード」を発売した。ディーゼル乗用車はごく当たり前の存在となり、市場における販売比率は5%を超える。順調に販売を伸ばすかに見えたが、日本では次第にディーゼル乗用車への逆風が強くなっていった。
1989年に自動車税制改正があり、ディーゼルエンジン搭載車もガソリン車と同じように税金が排気量別になった。1996年に特定石油製品輸入暫定措置法が廃止になってガソリン価格が低下し、軽油との価格差が縮小する。経済性を売り物にしていたディーゼル乗用車は、存在意義を問われることになった。
さらに2000年には、尼崎公害訴訟で排ガス中のPMによる健康被害が認定され、汚染物質の排出差し止めが求められた。この判決は道路行政の見直しを迫るもので、政府は大型車の通行規制を進めることを約束する。2002年には自動車NOx・PM法の車種規制対象が閣議決定され、都条例規制も始まった。こうした流れの中で、ディーゼル乗用車の多くは日本の道から姿を消していった。
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思考実験から生まれた熱機関
ディーゼルエンジンの理論的基礎を築いたのは、1824年にニコラ・レオナール・サディ・カルノーが発表した「火の動力およびこの動力を発生させるに適した機関についての考察」という論文であり、そこではカルノーサイクルと呼ばれる熱機関の仕組みが提案されていた。温度差を利用して動力を取り出す思考実験である。実際に作動するものではなかったが、熱は熱素という物質によってもたらされるとの考えが主流だった時代としては、画期的なものだった。
カルノーの理論をベースにして、新たな動力機関を作り出そうとする試みが始まる。ミュンヘン工科大学で熱力学を学んだルドルフ・ディーゼルも、カルノーサイクルの研究を志した。最初は石炭の微粉末を用いてエンジンを作動させようとしたが、失敗を重ねる。圧縮着火の方法を思いついたのは、マレーシアで使われている発火ピストンを恩師のリンデ教授に見せられた時だといわれている。木製の筒にもぐさを入れ、押し棒を使って発熱させるもので、これを熱機関に利用できると考えたのだ。
ディーゼルは1893年に「既知の蒸気機関と内燃機関を置換する合理的熱機関の理論と構築」という論文を発表して特許を取得する。爆発事故に遭うなどの困難を乗り越え、1897年にミュンヘン工科大学で公式性能テストを行い、初めて動力を取り出すことに成功した。ボア×ストロークは220×400mmで、出力は20馬力だったという。新たな動力装置として大きな反響を呼び、改良を重ねて発電などに利用されるようになる。しかし自動車に搭載するのは簡単ではなかった。ディーゼル自身も自動車の開発に取り組むが、光明を見いだせないまま1913年に謎の死を遂げてしまう。
ディーゼル自動車の研究はその後も続けられ、1922年にプジョーがパリからボルドーへのテスト走行に成功した。ルドルフ・ディーゼルとは別の方法でディーゼルエンジンの原理にたどり着いていたユンカースは、1926年にトラックを製作した。初の量産型乗用車が完成したのは、1936年だった。「メルセデス・ベンツ260D」である。45馬力の2.6リッター4気筒エンジンを搭載し、最高速度は95km/hだった。
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きれいな燃焼を実現したコモンレール式噴射装置
ディーゼルエンジンはガソリンエンジンと異なり、発火装置を持たない。混合気ではなく空気だけを吸入し、圧縮して高熱になったところに燃料を噴射して燃焼させる。したがって、高い圧縮比に耐えられるようエンジンブロックを頑丈に作る必要があり、どうしても大型化してしまうという欠点があった。また燃焼のコントロールが難しく、NOxやPMの発生を抑えるために工夫を凝らさなければならない。アイドリング時の燃焼騒音が大きくなりがちで、大きな振動も課題だった。
一方、燃費面ではガソリンエンジンよりも有利だ。ネガティブな要素を消していけば、もうひとつの内燃機関として展望が開ける。鍵となったのは、燃料噴射装置だった。きれいな燃焼を得るには、繊細な制御が求められる。1995年にデンソーが商品化し、日野のトラックに搭載されたコモンレール式燃料噴射装置は画期的な機構だった。蓄圧式にすることで高い圧力を実現し、効率のよい燃焼を実現する。アイデア自体は20世紀初頭からあったが、電子制御を用いることで細やかなコントロールが可能になった。
ヨーロッパではボッシュが1997年からコモンレールシステムの供給を始め、これが乗用車のディーゼル化を急激に後押しすることになった。厳しい規制をクリアした新世代のクリーンディーゼルエンジンは、黒煙を吐くことなどなく、アイドリングも穏やかだ。ガソリンエンジンとは異なるトルク感で加速性能に優れ、高速道路での長距離移動の多い交通事情から低燃費が歓迎された。
日本でもディーゼルエンジンへの偏見は次第に薄れ、2012年には石原氏が会見で「私は必然的にディーゼルで走るクルマが増えざるを得ないと思うし、けっこうなことだと思う」と述べた。マツダは、「アテンザ」「アクセラ」「デミオ」といったセダンやコンパクトカーにもディーゼルエンジン搭載車をラインナップしていく。メルセデス・ベンツ、BMW、プジョーなどの輸入車にもディーゼルモデルが増えていった。
ディーゼル乗用車が完全に市民権を得たと思われたところに冷水を浴びせかけたのが、2015年に発覚したフォルクスワーゲンの不正問題である。特定の条件下だけで排ガスがクリーンになるソフトウエアを使い、検査をクリアしていたのだ。実際の走行時には大量のNOxをまき散らし、燃費も悪化していた。ヨーロッパではディーゼルの人気が急降下する。これと呼応して打ち出されるようになったのが、電動車への転換である。各国のモーターショーで電動パワートレインを積んだコンセプトカーが発表されるかたわらで、ディーゼルに対する風向きは完全に変わってしまった。
ディーゼルエンジンの歴史は熱力学の純粋な思考実験から始まった。理想を追求するエンジニアが情熱を傾けた技術的達成は、行き過ぎた商業主義によって危機にひんしている。
(文=webCG/イラスト=日野浦 剛)
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鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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