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新型がデビューする今だからこそ知っておきたい!
ジープCJ&ラングラーの歴史を振り返る

2018.10.22 デイリーコラム 堀田 剛資

“あなたのジープ”が“私のジープ”とは限らない

11年ぶりの新型となる「JL」の日本導入が、いよいよ秒読みとなった「ジープ・ラングラー」。このクルマを、「世界で最も歴史のあるクロスカントリー車」と表しても、文句を言う人はいないでしょう。なにせ、ご祖先にあたる「ウィリスMB」の登場は1941年。民生仕様の「CJ」にしたって1945年である。それと比べれば、「スズキ・ジムニー」(1970年)も「メルセデス・ベンツGクラス」(1979年)も、まだまだヒヨっこだ。

しかし、歴史の長いクルマだからこそ、人によってジープに抱くイメージはずいぶん違うのではないか? ミリタリー好きの皆さまならウィリスMBや「M-38A1(MD)」だろうし、アメ車に憧れたことがある人なら、ボンネットにワシが描かれた「CJ-7」あたりが“ザ・ジープ”だろう。近年のユーザーにとってはもちろんラングラーだが、そもそも「ジープっつったら三菱だろう!」というマニアな方もおられるかもしれない。

丸目2灯にセブンスロットグリル、あれこれ外せるオープンボディーと、基本デザインは踏襲しつつも時代に即して少しずつ進化し、さまざまな印象をファンに植え付けてきたCJ/ラングラー。人によっては細切れになっているかもしれないその歴史を、今回は俯瞰(ふかん)して見てみたいと思う。

先述の通り、元祖ジープこと「ウィリスMB/フォードGPW」が生まれたのは、第2次大戦真っただ中の1941年のこと。戦場での偵察や連絡、運搬などの任務を担う小型四輪駆動車として誕生した……のだが、そのあたりについては『自動車ヒストリー』に詳しいので今回は割愛。とにかく、同車の生産を担っていたウィリス・オーバーランドが、1944年に民生仕様のCJ(Civilian Jeep)の開発に着手したのがすべての始まりだ。戦争が終われば軍需の縮小は間違いないし、どこでも走れる丈夫で軽便な4WD車は、民間でも需要があると踏んだのだ。

“元祖ジープ”こと「ウィリスMB」。写真は1943年型。
“元祖ジープ”こと「ウィリスMB」。写真は1943年型。拡大
1952年に登場した軍用の「M-38A1」(写真は1955年型)。長いホイールベースとやわらかい乗り心地、パワフルなエンジンなどが特徴で、丸みを帯びたデザインは「CJ-5」のベースとなった。
1952年に登場した軍用の「M-38A1」(写真は1955年型)。長いホイールベースとやわらかい乗り心地、パワフルなエンジンなどが特徴で、丸みを帯びたデザインは「CJ-5」のベースとなった。拡大
1979年型「CJ-7ゴールデンイーグル」。「三菱ジープ」とは一線を画す堂々としたボディーサイズと、ボンネットにデカデカと描かれた黄金のワシのイラストがいかにもアメリカンである。
1979年型「CJ-7ゴールデンイーグル」。「三菱ジープ」とは一線を画す堂々としたボディーサイズと、ボンネットにデカデカと描かれた黄金のワシのイラストがいかにもアメリカンである。拡大
1946年当時のジープの広告。このころのジープは、あくまで業務用の車両として考えられていた。
1946年当時のジープの広告。このころのジープは、あくまで業務用の車両として考えられていた。拡大
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いろいろな意味で契機となった1953年

そんなわけで、いくつかのプロトタイプを経て1945年に登場したのが「CJ-2A」である。ウィリスMBとの大きな違いは、大型2灯のヘッドランプやテールゲートの採用、ボディーサイドに掛けられたスペアタイヤなどで、今日に受け継がれる「セブンスロットグリル」もすでに見て取れる(ウィリスMBは9本です、数えてみよう)。

その後、1枚もののウインドスクリーンを採用する等の小変更がなされた「CJ-3A」(1949-1953)を挟み、1953年に初の大幅改良を受けた「CJ-3B」が登場する。最大の特徴はより高出力、大トルクなFヘッドの新エンジン「ハリケーン」の採用で、これに伴いフロントマスクもやや“縦長”となった。モデルライフは1968年までの15年にわたり、15万5494台の車両が生産された。

ちなみに、ライセンス契約のもと1953年に生産が始まった「三菱ジープ」の“元ネタ”は、この頃のCJだ(CJ-3A/CJ-3B)。その後、たびたび大幅なモデルチェンジが行われた本家に対し、三菱版はボディーバリエーションの追加や自社製エンジンの搭載などはなされたものの、基本的なデザインはそのまま踏襲。三菱版が生産終了を迎える1998年には、両車はすっかり別モノとなっていた。

さらに1953年のトピックをもうひとつ。ジープの製造元であるウィリス・オーバーランドは、この年カイザーに6000万ドルで買収されている。民生ジープが誕生してからわずか8年後のことで、ウィリス→カイザー→AMC→クライスラー→ダイムラー・クライスラー→FCAと続く、ジープブランドの流浪の始まりだった。

最初の“民生ジープ”として登場した「CJ-2A」。大きなヘッドランプや7本スロットのグリルなど、各所に「ウィリスMB」との違いが見て取れる。(写真は1945年型)
最初の“民生ジープ”として登場した「CJ-2A」。大きなヘッドランプや7本スロットのグリルなど、各所に「ウィリスMB」との違いが見て取れる。(写真は1945年型)拡大
1953年型「CJ-3B」。エンジンの変更によって高さを増したボンネットなどが、それまでのCJとの違いとなっている。
1953年型「CJ-3B」。エンジンの変更によって高さを増したボンネットなどが、それまでのCJとの違いとなっている。拡大
1953年に日本で生産された「三菱ジープ」。フロントグリルに、三菱の“スリーダイヤモンド”と「WILLYS」のロゴが並んで描かれている。
1953年に日本で生産された「三菱ジープ」。フロントグリルに、三菱の“スリーダイヤモンド”と「WILLYS」のロゴが並んで描かれている。拡大
1998年に販売された、「三菱ジープ」の「最終生産記念車」。
1998年に販売された、「三菱ジープ」の「最終生産記念車」。拡大

より快適なクルマへと進化

ジープを手に入れたカイザーは、早速プロダクトを強化すべくさまざまな研究開発をスタート。それを受けて1955年に登場したのが「CJ-5」である。ホイールベース=81インチというCJ-3Bより大きなボディーと、軍用車M-38A1ゆずりの丸みを帯びたデザインが特徴で、エンジンやアクスル、トランスミッションなどに加え、シートの快適性も大幅に改善されていた。販売はCJ-3Bと並行して行われ、1983年までの約30年で実に60万台以上が生産されたという。……なんて書くと、「いやいや、割り算したらたかだか年間2万台でしょ」という人もおられるだろうが、当時は今のようにSUV市場なんてものが存在せず、CJ自体「業務用も兼ねた小型四駆」という特殊なクルマであったことをお忘れなきよう。

なにはともあれ、これだけ歴史が長いとユニークなラインナップが生まれるもので、1972年には5リッターV8エンジンを積んだ「CJ-5レネゲード」が設定されている。今日び「ジープ・レネゲード」といえばユニークなデザインが魅力のコンパクトSUVだが、その元祖は、今とは似ても似つかない荒野のマッスルカーだったのだ。

CJの大型化&快適化はさらに進み、1976年にはホイールベースが93.5インチの「CJ-7」が登場。このホイールベースはCJ初のオートマチックトランスミッションを搭載するためのもので、またこれまでにないオプションとして、プラスチック製のハードトップやスチールドアも用意された。快適となったCJ-7の販売は好調で、ジープは1983年にCJ-5を廃止してCJシリーズを同モデル(とロングホイールベース版の「CJ-8スクランブラー」)に集約。1986年に生産終了となったCJ-7は、CJの名を冠する最後のジープとなった。

これと入れ替わる形で登場したのが、今日に続くジープ・ラングラーの直系の祖、初代ラングラー(YJ)である。

「CJ-5」は、およそ30年にわたって販売されるロングセラーモデルとなった。(写真は1955年型)
「CJ-5」は、およそ30年にわたって販売されるロングセラーモデルとなった。(写真は1955年型)拡大
1964年のオハイオ州トレド工場の様子。当時はまだ、ジープが今日のような巨大ブランドになるとは、誰も予想していなかった。
1964年のオハイオ州トレド工場の様子。当時はまだ、ジープが今日のような巨大ブランドになるとは、誰も予想していなかった。拡大
1980年型「CJ-5レネゲード」。5リッターV8エンジンを搭載したパワフルなモデルだった。
1980年型「CJ-5レネゲード」。5リッターV8エンジンを搭載したパワフルなモデルだった。拡大
「CJ-7」は、ATやハードトップ、スチールドアを採用するなど、快適性を高めたモデルだった。写真は1977年型「CJ-7レネゲード」。
「CJ-7」は、ATやハードトップ、スチールドアを採用するなど、快適性を高めたモデルだった。写真は1977年型「CJ-7レネゲード」。拡大

カタチと走りに宿るラングラーの魂

YJは小型四駆にさらなる快適性を求めるユーザーの声に応えたもので、そのメカニズムは既存のCJシリーズよりむしろ「チェロキー(XJ)」に近いものだったという。この方向性は見事に時代とマッチし、1996年までに63万台のYJが生産された。とはいえ、YJのすべてが好意的に受け入れられたわけではないようで、シカクいヘッドランプについてはCJ時代、ラングラー時代通じて、このモデルが最初で最後となった。ちなみに、ジープがクライスラーの傘下となった(=AMCをクライスラーが買収した)のは、YJの生産が始まってから約1年後の、1987年8月5日のことである。

同車のデビュー後、ジープ・ラングラーはほぼ10年周期でモデルチェンジを繰り返し、その都度大きな進化を遂げてきた。1997年に登場した「TJ」はCJ時代に先祖返りしたようなデザインと、「グランドチェロキー」ゆずりの4リンク・コイルサスペンションの採用(それまではリーフスプリングだった)で話題を呼んだ。オフロードに特化した「ルビコン」やロングホイールベース版の「アンリミテッド」など、今日に続くモデルが登場したのもこの代だ。次いで登場した「JK」ではアンリミテッドが4ドアモデルとなり、これがラングラーの世界的な拡販に大いに貢献した。間もなく日本にも導入される「JL」も、CJ/ラングラー初となる2リッター直噴ガソリンターボエンジンやフルタイム4WDの採用など、そのトピックは挙げればきりがない。

歴代CJ/ラングラーのこうした変化は、すべてが最初からファンに受け入れられてきたわけではない。それでも、このクルマがジープというブランドの精神的支柱であり続けているのは、初代からの伝統であるそのデザインと、なんだかんだいっても“オフロード原理主義”の姿勢を守り続けているからだろう。その点、新しいJLもデザインについては文句ナシだ。あとは走りだが、これに関しては近日公開の試乗記に注目してほしい。新型ラングラーの日本正式発表は、2018年10月25日である。

(webCG ほった)

1987年型「ラングラー(YJ)」。四角いヘッドランプは不人気だったようで、次の「TJ」からは丸目2灯に戻された。
1987年型「ラングラー(YJ)」。四角いヘッドランプは不人気だったようで、次の「TJ」からは丸目2灯に戻された。拡大
「ウィリスMB」(左)と「ジープ・ラングラー(TJ)」。「TJ」には「ジープCJ/ラングラー」として初めて、サスペンションにコイルスプリングが用いられた。
「ウィリスMB」(左)と「ジープ・ラングラー(TJ)」。「TJ」には「ジープCJ/ラングラー」として初めて、サスペンションにコイルスプリングが用いられた。拡大
ともに2007年型「ジープ・ラングラー(JK)」。左が「ラングラー アンリミテッド ルビコン」で、右が「ラングラー ルビコン」。
ともに2007年型「ジープ・ラングラー(JK)」。左が「ラングラー アンリミテッド ルビコン」で、右が「ラングラー ルビコン」。拡大
2017年のロサンゼルスショーで発表された新型「ジープ・ラングラー(JL)」。間もなく日本でも正式に発表される。
2017年のロサンゼルスショーで発表された新型「ジープ・ラングラー(JL)」。間もなく日本でも正式に発表される。拡大
堀田 剛資

堀田 剛資

猫とバイクと文庫本、そして東京多摩地区をこよなく愛するwebCG編集者。好きな言葉は反骨、嫌いな言葉は権威主義。今日もダッジとトライアンフで、奥多摩かいわいをお散歩する。

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