3つの動力が併存した19世紀末

少年時代にトレビシックに会ってパフィング・デビル号を見たゴールズワージー・ガーニーは、長じて蒸気自動車の研究を始めた。彼は1825年に「普通の道や線路で、乗客と荷物を載せて馬の助けなしに十分な速度で前進する馬車」の特許を取得している。2年後には18人乗りの乗り合い乗用車を製作した。ビジネスが成功したとは言えないが、この蒸気自動車は馬車に劣らぬ速度で走ることができた。

ウォルター・ハンコックは1827年に新型ボイラーの特許を取得し、1829年に10人乗りの蒸気バスを製作。1831年には、ロンドンとストラットフォードの間で定期運行を開始している。1833年になると、ロンドンで世界初の都市バスの営業を始めた。ほかにも蒸気自動車に乗客を乗せて定期運行をする業者が現れる。19世紀中頃には、蒸気自動車は馬車に代わるものとして社会に受け入れられていった。

蒸気自動車にはいくつかの欠点があった。機関が大きくて重く、始動に時間がかかる。ボイラーの整備は難しく、一般ユーザーが簡単に扱えるものではない。これらの問題を克服するため、内燃機関の研究が進められていた。1860年にフランスのエティエンヌ・ルノワールがガスエンジンを、1877年にドイツでニコラウス・オットーが4ストロークエンジンを作り上げ、ともに特許を取得している。これが、1886年にカール・ベンツのガソリンエンジン三輪車「パテント・モートルヴァーゲン」に結実する。

内燃機関の前に、新たな動力源として現れていたのが電気モーターである。18世紀末から電池の開発が進んでおり、1830年過ぎには実用的なモーターが作られるようになった。電池とモーターを積めば、コンパクトで騒音の少ない自動車が作れると考えられたのだ。1859年に再充電可能な電池が発明されると、電気自動車の可能性は大きく広がった。19世紀末は、蒸気・電気・ガソリンの3つの動力が自動車の覇権を争っていた時代なのだ。

1894年にパリ‐ルーアン間で行われた世界最古の自動車競技イベントには、ガソリン車14台、蒸気車6台が参加した。トップでフィニッシュしたのはド・ディオン・ブートンの蒸気車で、2着はプジョー、3着はパナール・エ・ルヴァソールのガソリン車だった。

ゴールズワージー・ガーニーの蒸気自動車。ガーニーは1829年にも、蒸気トラクターで客車をけん引する乗り合いバスを製作している。


	ゴールズワージー・ガーニーの蒸気自動車。ガーニーは1829年にも、蒸気トラクターで客車をけん引する乗り合いバスを製作している。
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ウォルター・ハンコックが開発したエンタープライズ号。蒸気自動車の黎明期には世界をリードしたイギリスだが、赤旗法の影響もあり、その後の自動車開発ではドイツ、フランスに後れを取ることになる。


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ニコラウス・オットーがオイゲン・ランゲンと創立した内燃機関会社には、後にゴットリープ・ダイムラーやヴィルヘルム・マイバッハも合流。今日に続く4サイクルエンジンの基礎を完成させた。
ニコラウス・オットーがオイゲン・ランゲンと創立した内燃機関会社には、後にゴットリープ・ダイムラーやヴィルヘルム・マイバッハも合流。今日に続く4サイクルエンジンの基礎を完成させた。拡大
1894年にパリ‐ルーアン間で行われた自動車競技イベントは、スピードレースではなく信頼性、安全性、軽便性を競うトライアルとして行われた。1着でゴールしたのはド・ディオン・ブートンの蒸気自動車だが、走行に際してドライバーのほかにボイラーマンが必要だったため、最終順位は2位とされた。
1894年にパリ‐ルーアン間で行われた自動車競技イベントは、スピードレースではなく信頼性、安全性、軽便性を競うトライアルとして行われた。1着でゴールしたのはド・ディオン・ブートンの蒸気自動車だが、走行に際してドライバーのほかにボイラーマンが必要だったため、最終順位は2位とされた。拡大
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