第578回:キーワードは“コンパティビリティー”
軽自動車の安全性を高めるホンダの取り組み
2019.07.19
エディターから一言
![]() |
軽くてコンパクトな軽自動車でも、登録車(軽自動車以外の車両)と変わらぬ安全性を確保したい。相手と自分の被害を同時に低減する“コンパティビリティー”という考え方のもと、ホンダが長年にわたり取り組んできた衝突安全技術の開発を、衝突実験の現場からリポートする。
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
物理の法則には逆らえない
「最近の軽自動車って広いし、乗り心地も良くなっているよ」と筆者が妻に説明すると決まって返ってくる返事はこうだ。「でも、軽自動車って危ないんでしょ。前に知り合いのおじいちゃんが、軽自動車で事故を起こして大けがしていたもの――」
現在でも、軽自動車は登録車に比べて危ないのではないかという疑問を持つ読者は多いかもしれない。そしてその懸念はある意味事実といえる。それは物理的な法則から明らかだ。
話を単純にするために、同じ1kgの金属製の球を左右から転がしてぶつけたとしよう。この場合、2つの球はぶつかった場所で停止する。しかし、片方の球がもう片方の球の半分の重さだったらどうなるか。右から1kgの球を、左から500gの球を、それぞれ同じ6km/hの速度で転がしてぶつけた場合、運動量保存の法則により、どちらの球も衝突後、同じ左の方向に同じ2km/hで転がり始める。
この衝突は、1kgの球から見ると6km/hから2km/hへと4km/h減速したことになり、衝突したときに受ける衝撃は4km/hで固い壁に衝突させたときと同じだ。一方、500gの球から見ると、右方向に6km/hで転がっていたのが反対の左方向に2km/hで転がり始めるのだから、変化した時速は8km/hであり、衝突で受ける衝撃は8km/hで固い壁に衝突したときと同じとなる。このように、重さが2倍違う物体が衝突したときに生じる衝撃は、軽い方が重い方の2倍に、重さが3倍違う物体が衝突したら、軽い方が受ける衝撃は3倍になる。
これは、車両重量が800kgの軽自動車と、1.6tの乗用車が衝突したら受ける衝撃は軽自動車のほうが乗用車の2倍になることを意味する。この物理的な事実が「軽自動車は危ない」ということの根拠になる。
自分より重いクルマとの衝突でも安全性を確保
軽いクルマは衝突で不利――。この厳然たる事実に挑んでいるのがホンダである。
ホンダは軽自動車の車体設計に、自己保護性能の向上と相手車両への攻撃性の低減を両立する「コンパティビリティー」という考え方を大々的に取り入れている。筆者が思い出すのは、軽自動車規格が現在の排気量660cc、全長×全幅=3.4×1.48mに変更された1998年に発売された「ライフ」(1971年発売のモデルを初代として3代目)である。
同モデルは、軽自動車として初めて64km/hでの40%オフセット衝突試験(車両前面の40%がバリアーに衝突する衝突形態)に対応した車体構造を採用し、同じ軽規格改定のタイミングで新型車を発表した他社を驚かせた。というのも、当時の法規で定められていた衝突試験の方法は、オフセット衝突よりも車体への負担が小さいフルラップ衝突で、しかも衝突速度は50km/hだったからだ。当時、別の自動車メーカーのエンジニアに、ホンダの新型車が64km/hでのオフセット衝突に対応していることを伝えたら「本当ですか?」と心底驚いた表情をしていたのを記憶している。
そして、その5年後に発売した4代目ライフで、ホンダはこの衝撃吸収ボディーをさらに進化させた。このときに取り入れた新たなコンセプトが、コンパティビリティー対応ボディーである。従来の衝撃吸収ボディーでは、エンジンの左右を走るサイドメンバーで主に衝撃を吸収していたのだが、自分の車両と相手の車両のサイドメンバー同士がうまく衝突すれば効率的に衝撃を吸収できるものの、もしフレーム同士がすれ違ってしまうと衝撃が吸収できないばかりか、最悪の場合サイドフレームが相手車両に突き刺さってしまい、被害を大きくしてしまう。
そこでホンダのコンパティビリティー対応ボディーでは、相手車両と自車両でフレームのすれ違いが起きにくいよう、エンジンルームまわりのいくつかのフレームで衝撃を分散・吸収すると同時に、それぞれのフレーム同士を結合するメンバーを配置した。この構造だと、たとえサイドメンバーの位置がずれても他のメンバーに当たり、すれ違いが起きにくくなる。この結果、重量が2tクラスまでの乗用車と正面衝突した場合で、エンジンルーム部分での衝突エネルギーの吸収量を約50%増加させたことに加え、相手車両にも分散して荷重を伝えることで、加害性も低減させたのだ。
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
衝突後でもドアが開く
ホンダは2019年7月18日の新型「N-WGN」発表に合わせ、報道関係車を栃木県の本田技術研究所オートモービルセンターに招き、軽自動車と登録車の衝突実験を公開した。残念ながら衝突させる車種はN-WGNではなかったのだが、新型N-WGNと同じプラットフォームを使う現行型「N-BOX」と、最新のハイブリッド車「インサイト」が用いられた。2つの車両の間には約1.5倍の重量差がある。
実験の舞台は、ホンダが2000年4月に完成させた屋内型全方位衝突実験施設だ。衝突の条件は、N-BOXとインサイトをそれぞれ50km/hで走らせ、50%オフセット衝突させるというもの。広い衝突実験施設の左からN-BOXが、右からインサイトが走ってきて正面衝突する。見学席はかなり離れていたにもかかわらず、その瞬間には「バスン」というかなり大きい音が伝わってきて、衝突の激しさを実感させた。
衝突した2台の車両に近づく。先ほどの金属球の例で説明したように、重量差のある物体が衝突した場合、重い方は速度を落として前進し、軽い方は後退する。インサイトはその理屈どおり、衝突地点からやや前進した位置に止まっていた。これに対してN-BOXは、今回の衝突形態が50%オフセット衝突だったこともあり、単に後退するだけでなく、車体を回転させる力も加わったため、横向きの位置で停止していた。
衝突した右側のエンジンルームは跡形もなくつぶれているが、キャビンの形態はよく保たれ、フロントドアも、やや引っかかりはあったものの人間の手で開けることができた。説明してくれた担当者によると、足元スペースも確保されているという。筆者は意地悪く「登録車の『フィット』と比べても安全性は遜色ないんですか?」としつこく聞いてしまったのだが、現場の担当者は「大丈夫です」と胸を張って答えていた。
ホンダはこのほかにも、1998年に世界で初めての歩行者ダミー「POLAR」を開発し、現在では3代目の「POLAR III」に進化させている。車両に衝突したときに歩行者がどのような衝撃を受けるかを精緻に評価するのが目的だ。コンパティビリティーをうたう車体構造を採用する軽自動車は現在のところホンダだけが商品化しているが、この歩行者ダミーもまたホンダ独自の技術である。こうしたところにも、事故の実態をなるべく忠実に再現し、実験室だけでなく実際の事故での被害を防ごうとするホンダの姿勢が表れていると言っていいだろう。
(文=鶴原吉郎<オートインサイト>/写真=本田技研工業/編集=堀田剛資)
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |

鶴原 吉郎
オートインサイト代表/技術ジャーナリスト・編集者。自動車メーカーへの就職を目指して某私立大学工学部機械学科に入学したものの、尊敬する担当教授の「自動車メーカーなんかやめとけ」の一言であっさり方向を転換し、技術系出版社に入社。30年近く技術専門誌の記者として経験を積んで独立。現在はフリーの技術ジャーナリストとして活動している。クルマのミライに思いをはせつつも、好きなのは「フィアット126」「フィアット・パンダ(初代)」「メッサーシュミットKR200」「BMWイセッタ」「スバル360」「マツダR360クーペ」など、もっぱら古い小さなクルマ。