2020年シーズンのグリッドに姿も ミナルディにベネトン、ザウバー――懐かしのF1チームの“いま”
2020.03.09 デイリーコラム度々起きる、F1チームの名称変更
「私たち、2020年からスクーデリア・アルファタウリになります」と昨年(2019年)突如発表したのは、ホンダが捲土重来の橋頭堡として2018年にパートナーシップを組んだトロロッソだ。
目にも耳にもまだ慣れないこの名前、オーナーであるエナジードリンクメーカーのレッドブルが2016年に立ち上げたファッションブランドに由来するもので、要はプロモーション活動の一環ということなのだが、F1ではこうしたチームの名称変更が度々起きるものである。
今季参戦する10チームのうち、名前の変更と無縁だったのは最古参のフェラーリ、マクラーレン、ウィリアムズそして今年5年目とまだ歴史の浅いハースの4チームのみ。いや正確を期せば、フランク・ウィリアムズを創設者とするウィリアムズも、資金難からカナダの石油王ウォルター・ウルフに会社の経営権を奪われ、ウルフ・ウィリアムズ(1976年)を名乗ったことがあった。設立当時の名前やオーナーシップを維持し、いまに残るチームがいかにまれかが分かるだろう。
今回は、現在もF1を戦いながら、かつては別の名前だったチームを取り上げ、その変遷を追ってみたい。
イタリアの愛すべき弱小チーム
【チームの変遷】
ミナルディ(1985年~2005年)→トロロッソ(2006年~2019年)→アルファタウリ(2020年~)
まずは冒頭で紹介した、F1で一番新しいチームとなるアルファタウリ。トロロッソとしての14年間の前は、ミナルディと呼ばれていた。そう、長くF1を見てきたファンなら思い出すであろう、あの白黒黄色のカラーリング。万年下位をウロチョロしながらもしぶとく戦い続けた、イタリアの弱小チームが起源である。
ジャンカルロ・ミナルディが自身の名を冠したチームを立ち上げ、故郷ファエンツァの小さなファクトリーからF1に打って出たのは1985年のこと。デビュー当時からスポンサーに恵まれず、常に台所事情は厳しかったものの、同じイタリアのプライベートチームであるスクーデリア・イタリアとの合併(1994年)や、航空会社を所有するオーストラリア人、ポール・ストッダートへのオーナーシップ移譲(2001年)などを経ながら、2005年まで参戦していた。
並みいる強豪の間でもまれながら、実に20年間という長期にわたりチームが生き残れたことは奇跡的だったといっていい。例えば1989年のエントリーリストには、アロウズ、ブラバム、オニックス、レイトンハウス・マーチ、リアル、リジェ、AGS、ローラと多くのチーム名を見つけられるが、これらはその後程なくして消滅していった。1990年代後半からF1を取り巻く環境が大きく変化し、自動車メーカーがプライベートチームを食っていくような激動の時代に突入していく中にあっても、ミナルディは堅忍不抜の精神にあふれたチームとして奮闘を続けていたのだ。
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ミナルディから旅立ったドライバー
レッドブルの資本が入りトロロッソになってからは、1勝(2008年の雨のイタリアGP、セバスチャン・ベッテルがポールから初優勝)に加え2度の表彰台(いずれも2019年)を記録するまでの力をつけてきたが、ミナルディ時代にはポディウムはなし。テールエンダーとしてのイメージが強いものの、実は1990年代前半にはフェラーリやランボルギーニのV12エンジンを武器に好成績を出したこともあり、レース最高位は4位(1991年)、予選ではアイルトン・セナの駆るマクラーレン・ホンダと並ぶフロントローにつけたこともある(1990年)。
いつつぶれてもおかしくないようなチームであっても、ミナルディは不思議とファンやF1関係者に愛されていた。その理由のひとつには、規模が小さかったがゆえにメンバーの連帯やレースへの心意気を尊ぶ良き文化があったこと。そしてもうひとつ、F1に新たな才能を輩出することにたけたチームだったということがある。
後にルノーで2度のチャンピオンとなるフェルナンド・アロンソは2001年、同じくレッドブルに移籍して9勝を記録することになるマーク・ウェバーは2002年にミナルディからGPデビュー。さらに2000年代のフェラーリ黄金期をテスターとして支えたルカ・バドエル(1995年在籍)をはじめ、ジャンカルロ・フィジケラ(同1996年)、ヤルノ・トゥルーリ(1997年)、アンソニー・デビッドソン(2002年)といった才気ある若手を起用。ここで見いだされた才能は、やがてそれぞれの道でステップアップしていった。
F1きっての目利きだったジャンカルロ・ミナルディが果たした役割は、レッドブルのアドバイザー、ヘルムート・マルコや、名マネジャーとしてトロロッソ/アルファタウリを切り盛りするフランツ・トスト代表らに引き継がれ、マックス・フェルスタッペンやカルロス・サインツJr.といった逸材が世に出ることになった。才気あふれる新人を見いだし、育て、そしてスターを誕生させる。ミナルディの頃から培ってきた、F1の新陳代謝を活発にさせるというこのチームの役割は、いまも昔も変わっていない。
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転身に次ぐ転身 F1界の“流浪の集団”はいま
【チームの変遷】
トールマン(1981年~1985年)→ベネトン(1986年~2001年)→ルノー(2002年~2010年)→ロータス(2011年~2015年)→ルノー(2016年~)
これほどまでに多くの転身、そして栄光と凋落(ちょうらく)を経験したチームも珍しいだろう。
はじまりは1981年にエントリーをはじめたイギリスのトールマン。欧州F2選手権を制してF1に乗り込んできたまではよかったが、当初は予選落ちを喫するなど低迷していた。その名がクローズアップされたのが、アイルトン・セナが鮮烈なデビューを飾った1984年シーズン。この年の雨のモナコGP、マクラーレンでレースをリードしていたアラン・プロストを、非力なトールマンを操るセナが鬼気迫る勢いで追い立て、優勝目前でレース中止となり2位となった出来事は、いまでも“セナ伝説”の語り草となっている。
1985年になると、セナを名門ロータスに引き抜かれてしまうも、新たにビッグスポンサー、ベネトンを迎え入れることに成功。このイタリアンファッションブランドがチームを買収したことで、1986年よりベネトンとしてGPを戦うことになる。極彩色が際立ったベネトンのマシンは、この年のメキシコGPで初優勝。ステアリングを握っていたのは、若きゲルハルト・ベルガーだった。
ベネトン社のオーナー、ルチアーノ・ベネトンのビジネス上のパートナーであったフラビオ・ブリアトーレがマネジャーとしてチームに参画すると、組織力もアップ。1989年の日本GP、セナとプロストの接触とセナ失格のおかげてポディウムの頂点に立ったのは、フォードV8エンジンを載せたベネトンのアレッサンドロ・ナニーニだった。そのナニーニは、1年後の日本GP直前にヘリコプター事故で右腕切断という痛ましい事故に遭うも、鈴鹿では残されたチームメイトのネルソン・ピケと、ナニーニの代役ロベルト・モレノがチーム初の1-2フィニッシュを達成。トップチームにカウンターパンチを食らわせる、キラリと光るチームへと変貌を遂げる。
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シューマッハーやアロンソとの黄金期 そして……
そして1991年、シーズン途中にミハエル・シューマッハーをジョーダンから引き抜くと、このチームはいよいよチャンピオンへの階段をのぼりはじめ、セナ亡き後の1994年最終戦にシューマッハーが初の栄冠を獲得。翌年には2連覇と黄金期を迎える。だが1996年に要のシューマッハーがフェラーリに移籍すると、トールマン時代からデザイナーを任されていたロリー・バーンや、敏腕テクニカルディレクターとして活躍したロス・ブラウンなど、優秀な人材も相次いでマラネロに活躍の場を移し、ベネトンは競争力を落としていった。
2000年、かつてターボエンジンで一世を風靡(ふうび)したルノーがベネトン・チームを買収。2002年から正式にルノーF1としてエントリーすることになる。3つ目の名前を与えられたこのチームは再び強豪チームとして勝利を重ねることとなり、フェルナンド・アロンソがマイルドセブンのブルーに彩られたマシンを操り、2005年、2006年とタイトルを連取した。
しかし、この2度目の絶頂期も長くは続かず、下降線をたどることに。シンガポールGPでネルソン・ピケJr.に故意にクラッシュするように命じ、アロンソを勝たせた“クラッシュゲート事件”の発覚は2009年。チーム首脳のブリアトーレとパット・シモンズは追放処分を受け、この影響もありルノーはF1撤退という決断を下した。
チームはルクセンブルクに本拠を置く投資会社ジェニー・キャピタルの手に渡り、2011年にはロータス・ルノー、翌年にはロータスF1と改称。かのコーリン・チャップマンが興したチーム・ロータスとは無縁の“名ばかりロータス”も、資金繰りが苦しくなったことで2015年で終了。2016年にはまたルノーを名乗り、再出発して現在に至るというわけである。
時代とともに名前を変えてきたF1界の“流浪(るろう)の集団”は、イギリスにある本拠地の名を取って“チーム・エンストン”と呼ばれることもある。どんな名で呼ばれようとも、競争力を落としても、運営資金が枯渇しても、エンストンのスタッフはその度に奮起し、勝てるマシンと組織を作り上げてきた。そのたくましさはグリッド随一だ。
来る2020年シーズン、ルノーはし烈な中団グループから抜け出し、メルセデス、フェラーリ、レッドブルの3強に勝負を挑めるのだろうか。チーム・エンストンの戦いは、これからも続く。
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ザウバーから学ぶ プライベートチームの生き残り方
【チームの変遷】
ザウバー(1993年~2005年)→BMWザウバー(2006年~2009年)→ザウバー(2010年~2018年)→アルファ・ロメオ(2019年~)
ここまで読んでいただいた方ならお察しの通り、そもそも現代のF1のチーム名などは、企業マーケティングに根ざした“こじつけ”に近いものがあり、実態と名前になんら関係がなくても問題なし。ハイブリッド時代を謳歌(おうか)する常勝メルセデスだって、2008年まではホンダだったのだから、何でもアリといえばアリなのだ。
だから昨年(2019年)、スイスをベースとする唯一のチームであるザウバーが、イタリアを代表するアルファ・ロメオに改名した際にも、そんな理解で受け流すこともできた。ここ数年資金難にあえいでいたザウバーと、影響力拡大をもくろむフェラーリ(アルファ・ロメオ)が手を組み、パワーユニット供給のみならず技術的、商業的、あるいは若手ドライバー育成のスキームとして協力していこう──いわゆる“ウィン・ウィン”の関係を築くということも、それはそれでアリな話だった。
ただ、F1デビュー時、ザウバーのパートナーといえばメルセデス・ベンツ以外にありえなかったということを思い出すに、このスイス系チームの数奇な運命に複雑な気持ちにもなるのだった。
1993年にGP参戦をスタートさせたザウバー。その最初のF1マシンは「C12」と呼ばれた。中途半端な番号からはじまっているのは、「C11」というマシンの後につくられたから。ただしそれはF1カーではなく、1990年の世界スポーツ・プロトタイプカー選手権(WSPC)用にザウバーが手がけた、メルセデス・ベンツのグループCカーだった。
スイスでは、1955年のルマン24時間レースで起きた史上最悪の死傷事故を受けて、長くモータースポーツが禁止されていた。そんな国に住む自動車セールスマンだったペーター・ザウバーは、モータースポーツ活動に傾倒していく中で、先のルマンの事故を機にモータースポーツから手を引いていたメルセデス・ベンツとの関係を深めていく。
メルセデスの公式なモータースポーツ活動再開は1988年に発表され、ザウバー・メルセデスとしてWSPCにエントリー。シルバーアローのワークスチームは、ルマン優勝(1989年)や世界スポーツカーチャンピオン獲得(1989年、1990年)と輝かしい成功を収めた。
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メルセデスがまさかの“くら替え”
次にメルセデスが照準を合わせたのが、1955年以来遠ざかっていたF1活動の再開だった。マシンやチーム運営はザウバーに任せ、まずザウバーの名前で1993年に参戦スタート。ザウバーC12は銀ではなく黒に塗られ、「コンセプト・バイ・メルセデス・ベンツ」と意味深なロゴをつけて登場し、さらにメルセデスのスポーツカー活動で頭角を現していた若手ドライバーのうち、カール・ベンドリンガーを乗せるなど、メルセデス色の強い性格を有していた。
1994年、いよいよメルセデスがエンジンサプライヤーとしてF1にカムバック。前年まで「イルモア」のバッジを付けていたエンジンにはスリーポインテッドスターが輝き、F1にザウバー・メルセデスが誕生する。しかし翌年になると、頼みの綱であったメルセデスが強豪マクラーレンにくら替えしてしまい、ザウバーはいきなりはしごを外されてしまう。
新たにフォードエンジンを載せ2年間戦い、その後はフェラーリの型落ちエンジンを受けるかたちでマラネロに擦り寄り、ザウバーは何とか中堅チームの座に踏みとどまった。
やがて2000年代に入ると、新たなビッグメーカーがザウバーに声を掛ける。BMWだ。
BMWのF1プロジェクトは、2000年にウィリアムズと組みスタート。だが成績が振るわなくなると、バイエルンのエンジンメーカーはマシン開発にも口を出したくなる。一方のウィリアムズは独立した立場をかたくなに譲らず、両社は反目し合う関係に。そこでBMWはザウバーを買収することとし、2006年からBMWザウバーがグリッドに並ぶことになった。
しかしそのBMWも、2009年を最後にF1から撤退。仕方なくペーター・ザウバーがチームを買い戻すかたちで“ザウバー再登場”となる。小林可夢偉、ニコ・ヒュルケンベルグといったドライバーや、メキシカン・マネーを呼び込むためにセルジオ・ペレスやエステバン・グティエレスらメキシコ人を起用するも、徐々に財政が悪化し戦闘力も低下。そんな弱体化したチームに手を差し伸べたのがフェラーリであり、その後の顛末は先に記した通りである。
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プライベートチームがF1で生き残ることの難しさ
ザウバーの歴史は、自動車メーカーに翻弄(ほんろう)された歴史である。アルファ・ロメオとは名ばかり、実際のマシン開発やレース運営はザウバーが引き続き担当しており、これはこれでハッピーな関係ともいえるが、同時にプライベートチームがF1で生き残るには、ビッグチームや自動車メーカーと良好な関係を築いていく以外に方法はないという、少し寂しい側面があるのも否定できない。
対照的に、何としてもその名前と独立性を維持したいと悪戦苦闘しているのがウィリアムズだ。BMWをめぐり、この2社が正反対の決断を下したのは興味深いところだが、直近の2019年シーズンを振り返れば、アルファ・ロメオは57点を獲得しコンストラクターズランキング8位、ウィリアムズは1点のみで最下位と、明暗が分かれているのも事実である。
懐かしのF1チームの“いま”は、すなわちF1の“いま”である。
たかがチーム名、されどチーム名。その名前の変遷の中に、さまざまなドラマがあるということを頭の片隅におけば、また違ったF1の楽しみ方を見つけることができるだろう。
(文=柄谷悠人)
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柄谷 悠人
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