第98回:自動車を支えるタイヤの進化
黒くて丸い縁の下の力持ち
2021.04.14
自動車ヒストリー
自動車を構成する部品のなかで、唯一地面に接地し、走る・曲がる・止まるのすべての動きをつかさどる最重要部品のタイヤ。文字通りクルマの土台となるタイヤは、どのように誕生し、いかなる進化を遂げてきたのか? その歴史を振り返る。
“ゴムの輪”を装着していた初期の自動車
日本で初めてつくられた自動車は、1904年の「山羽式蒸気自動車」である。製作者の山羽虎夫は足踏み旋盤で削り出した部品を使い、見よう見まねで2気筒の蒸気エンジンをつくり上げた。木造のオープンボディーを持つ10人乗りのバスに仕立て、試運転では10km/h以上のスピードで走ったという。
エンジンは快調だったが、思わぬところに落とし穴があった。タイヤである。用意したのは鉄製のリムにゴムの輪をボルト留めしただけのもので、しばらく走ると接続部がふくれ上がってしまった。針金で応急措置をしたものの、デコボコに変形して走行不能に陥ったのである。
空気入りのタイヤをつくれる工場など、その頃の日本には存在していない。世界に目を転じても、当時はまだゴムだけでできたソリッドタイヤがほとんどだったのだ。自動車の性能は急激に向上していて、エンジンのパワーをしっかり受け止めるタイヤの開発が大きな課題になっていた。
カール・ベンツがつくった世界初のガソリン自動車「パテント・モトール・ヴァーゲン」は、ただの鉄輪で走った。2号車では改良され、ゴム製のソリッドタイヤとなる。ベンツに続いて登場した他のメーカーの自動車も、いずれも鉄輪かソリッドタイヤを採用していた。
ヨーロッパにゴムが伝えられたのは、15世紀の終わり頃。コロンブスがアメリカ大陸に到達した時、現地民が天然ゴムのボールで遊んでいるのを見て持ち帰ったといわれる。研究が進められると消しゴムとして利用されるようになり、防水布もつくられた。1839年には、アメリカのチャールズ・グッドイヤーが画期的なゴム製品の製法を発見している。硫黄を加えて加熱することで、生ゴムよりもはるかに安定した性質が得られることがわかったのだ。
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レースが証明した空気入りタイヤの優秀性
空気入りタイヤのアイデアは、自動車の発明に先立って1845年に生まれている。イギリスのロバート・ウィリアム・トムソンが空気入りタイヤの特許を取得した。ゴム引き布でチューブをつくり、外側に革をかぶせて鋲(びょう)で固定する仕組みである。空気を入れてふくらませ、木製のリムにボルトで固定。馬車や自転車に装着すると、乗り心地のよさと静かさに驚きが広がったという。ただ、製品として空気入りタイヤが普及するのはさらに後のことだった。
1888年、アイルランドの獣医師であるジョン・ボイド・ダンロップが、息子のために三輪自転車用の空気入りタイヤを製作する。直径40cmほどの木製円盤にゴムチューブをはめ、さらにゴム引きしたキャンバスでくるんだもので、古着や哺乳ビンなどを使って仕立てていたらしい。
ダンロップは同年末に、このアイデアで特許を取得。1889年には彼の空気入りタイヤを付けた自転車がレースに出場し、ソリッドタイヤの自転車を圧倒する走りで優勝してみせた。この年、彼は後にダンロップとなるタイヤ会社を設立している。
自動車に空気入りタイヤが装着されたのは、1895年が初めてとされている。パリ−ボルドー−パリのレースに、ミシュラン兄弟が空気入りタイヤを装着したプジョーで出場したのだ。しかし、約1200kmの行程では幾度となくパンクが発生し、修理のために22本ものチューブを使ってしまう。結局、100時間の制限時間内にゴールすることはできなかったが、途中では優勝車の2倍のスピードで走る場面もあったという。敗れたとはいえ空気入りタイヤの優秀性が実証され、翌年行われたレースでは多くのクルマに装着されるようになった。
1908年に発売された「T型フォード」では、空気入りタイヤが標準装備となっている。とはいえ、その性能はまだ十分なものとはいえず、特に耐久性に問題があった。ゴム引きしたキャンバスはタイヤがたわむと糸がこすれてすり切れてしまい、2000~3000kmで交換しなければならなかったのだ。この問題を解決したのは、縦糸と横糸の間に薄いゴム層をはさんだ“すだれ織り”の構造である。さらに合成繊維の開発も進み、タイヤの耐久性は向上していった。
カーボンブラックでゴムを強化
素材としてのゴム自体の改良も進んだ。ゴムにカーボンブラックを混ぜることで飛躍的に強度が高まることがわかり、1910年代には広く使われるようになる。カーボンブラックは天然ガスから取り出され、印刷用のインクとして実用化されていた。これを混ぜるとゴムの耐久性は10倍以上になり、タイヤの製造には欠かせないものとなった。今日に至るまで、ほとんどのタイヤが黒いのはそのためである。
初期のタイヤには、レース用のスリックタイヤと同じように溝がなかった。ドライ路面ではそのほうが高いグリップを得られるのだが、雨天時には排水できないため滑りやすくなってしまう。1890年代になると、自転車タイヤのなかには排水のためのトレッドパターンを付けたものが現れるようになった。自動車タイヤでは、1908年にファイアストン社がユニークな製品を販売している。「NON SKID」という文字をトレッドパターンにしたタイヤで、文字通り“滑らない”ことを売りにしていた。
タイヤの歴史に大きな転換をもたらしたのが、1948年に発売された「ミシュランX」である。初めての実用的なスチールラジアルタイヤで、従来のバイアスタイヤに代わって、これが乗用車用タイヤの主流になっていった。
タイヤは、やわらかいゴムだけでは強度や形状を保つことができないため、内部にカーカスと呼ばれる構造を持っている。コードを使ったすだれ織りをゴムシートではさんだ、プライと呼ばれる生地を重ねて強度を確保しているのだ。内側のコードを斜め方向に交差させるようプライを重ねてつくられているのがバイアスタイヤである。シンプルな製造工程で安価につくることができ、タイヤ全体で衝撃を吸収する構造なので乗り心地もよかった。
現在のクルマに装着されているのは、ほとんどがラジアルタイヤである。バイアスが斜めを意味するのに対し、ラジアルとは「放射状」のこと。進行方向に対して直角に配置されたコードが、横から見ると放射状に見えることから名づけられたものだ。ラジアルタイヤの発想は古くからあり、1913年には特許が取得されている。しかし戦争の混乱もあって実用化されることなく、長い間放置されていた。
主流となったスチールラジアル
ミシュランは1937年にスチールコードを用いたタイヤを試作。地下鉄用スチールラジアルタイヤで成果を出した後、1949年に乗用車用の「X」の販売を始めた。カーカスの上にスチールコードのベルトを巻き、耐久性や耐摩耗性を高めた製品で、世界初の市販ラジアルタイヤとされる。トレッドが強化されたことにより変形が小さく、グリップ力が高まって操縦性も向上した。
乗り心地の面ではバイアスに劣っていたが、自動車の高速化が進む中でラジアルタイヤの必要性は高まっていく。フランスでは瞬く間にラジアルタイヤの普及が進み、日本でも1970年代になって急激にラジアル化が進んだ。
ラジアルタイヤのメリットのひとつに、転がり抵抗の小ささがある。転がり抵抗とは進行方向と逆向きに働く力のことで、エネルギーが無駄に失われてしまうことになる。タイヤの転がり抵抗を生む最大の要因は、変形によって運動エネルギーが熱エネルギーに転換されてしまうことだ。
ラジアルタイヤはバイアスタイヤに比べて剛性が高い。変形しにくいので、転がり抵抗が小さくなる。エネルギーが損なわれずに伝えられるので、燃費改善が期待できるのだ。トレッドのゴム質を工夫してさらに転がり抵抗を抑えた製品が、エコタイヤと呼ばれる。乗り心地改善のために生まれた空気入りタイヤは、今日では環境性能まで求められるようになった。もちろん耐摩耗性能やウエットグリップ性能なども重視され、さらには静かさも大切な要素となっている。操縦安定性や制動性能も、ますます高度なレベルが要求されていくだろう。
SUVやミニバンが増えてクルマの重心は高くなり、安全装備の強化や電動化に伴うバッテリーの搭載などで、車重の増加も止まらない。タイヤには以前にも増して大きな負荷がかかるようになり、材質の改良や構造の最適化などを通して、さまざまな性能を高いレベルでバランスさせることが必要になっている。乗員の命を乗せるタイヤは、今も昔も自動車の土台を支える重要な存在なのだ。
(文=webCG/イラスト=日野浦 剛)
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