「ホンダCB400」もいよいよ絶版に…… 閉塞感漂う“ニッポンのバイク”に希望はあるか?
2022.05.13 デイリーコラム続々と姿を消す“日本ではおなじみ”のモデル
そのシンプルさで、多くのライダーに親しまれたヤマハの「セロー250」と「SR400」、そして重厚感あふれる伝統のスタイルが支持された「ホンダCB1100EX/RS」が、相次いでラインナップから消えた。排ガス規制を筆頭とする数々のハードルを前にして、役割を終えたのである。ホンダは次いで、「CB400スーパーフォア/スーパーボルドール」の生産を2022年10月までとすることを発表。その理由もまた、排ガス規制だ。
セロー250は北米で(車名は「XT250」)、SR400はタイで存続しているものの、いずれも基本はドメスティックモデルだ。生産効率と販売台数を踏まえると、グローバルモデルが優先されるのは致し方ない。似た境遇のモデルには「CB1300スーパーフォア/スーパーボルドール」があるが、こちらは2021年の改良で「令和2年排出ガス規制」(≒EURO5)をクリアしている。そのため、規制を理由に生産を終えるとしても、少なくとも数年の猶予はある。
いずれにしても、日本の道路事情に即したモデル、日本的な美意識に根ざしたモデル、日本人らしい微に入り細をうがつ進化を遂げてきたモデルが消えつつあるのは確かだ。日本発の、日本ならではのモデルは、今後どうなっていくのだろう。あるいはどうするべきか。
歴史を振り返ると、国産バイクも草創期には欧米メーカーの模倣やノックダウン生産を主体としたのだが、戦後程なく急速に発展。有象無象のメーカーが乱立するなかで、ホンダ(「モデルA」/1947年)、スズキ(「パワーフリー号」/1952年)、ヤマハ(「YA-1」/1955年)、カワサキ(「B7」/1961年)の順に、二輪事業に進出することになった。この時期、日本の独自性という意味で際立っていたのが、ホンダである。
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圧倒的パフォーマンスで他のメーカーを駆逐
ホンダは排気量247ccの空冷4ストローク並列2気筒OHCエンジンを搭載した「C70」を1957年にリリース。これは海外への輸出も視野に入れた意欲作であり、最高出力18PS/7400rpmという驚異的なスペックもさることながら、なによりスタイルが特徴的だった。
創業者である本田宗一郎が自ら奈良や京都を巡り、そこで目にした寺院や仏像のイメージをデザインに反映したからだ。ライトやフロントフォーク、サイドカバーなどは、安定感のある四角形を主体とし、一方、燃料タンクの曲線は、仏像が持つ優美な目鼻立ちをモチーフにしていた。このことからC70は「神社仏閣スタイル」と呼ばれ、ほかにないアイデンティティーを構築。エンジンの造形も美しく、後に多くのコピー車を生み出すことにもなった。
このスタイルは「CB92」(1959年)まででひと区切りつけられたわけだが、次なる日本の独自性、すなわちエンジンの大排気量化と多気筒化の時代にも、けん引役となったのはホンダだった。ホンダは量産市販車としては世界初の4気筒エンジンとなる(量産ではないがMVアグスタやミュンヒなども4気筒を開発していた)、排気量736.5ccの空冷4ストローク4気筒OHCを実用化。これを搭載した「CB750FOUR」によって、その技術力を世界に知らしめた。
この衝撃はライバルメーカーを刺激し、スズキは排気量738ccの水冷2ストローク並列3気筒の「GT750」を、カワサキは903ccの空冷4ストローク並列4気筒DOHCの「900 Super4」(Z1)を発表して対抗。以降もホンダが「GL1000」(999cc水冷4ストローク水平対向4気筒OHC)や「CBX」(1047cc空冷4ストローク並列6気筒DOHC)を送り出せば、カワサキもまた「Z1300」(1286cc水冷4ストローク並列6気筒DOHC)を投入するなど、競争は激化していった。
こうした争いからは一歩引きつつも、ヤマハも「GX750」(747cc空冷4ストローク並列3気筒DOHC)や「XS1100」(1101cc空冷4ストローク並列4気筒DOHC)で、やはり大排気量化・多気筒化の流れに追従。この過程で欧州ブランドの多くが駆逐され、1980年代に入ってからは、日本製ハイスペックモデルが独擅(どくせん)場を築くことになったのである。
今やるべきことは“延命”でも“追従”でもない
もちろん、いつの時代にも一定数のアンチ大排気量・アンチ多気筒を主義とするユーザーもいて、単気筒のマーケットも成立。スポーツシングルが隆盛を誇った期間を経て、やがてその人気は1台のモデルに集約されることになった。1978年にデビューし、ほとんど姿を変えることなく2021年までラインナップされたヤマハのSR400がそれだ。
これ以上はなにも引けないミニマリズムの上に成り立つSRは、凝縮された世界観を好む日本人の美意識に寄り添い続けた。大排気量・多気筒モデルとはまったくの対極にあるからこそ、その端正なたたずまいと普遍性が好まれ、これもまた日本ならではのモデルとして支持されたのだ。
こうしたモデルが消えゆくことに一抹の寂しさはあるものの、無理な延命措置で生き永らえさせたり、レトロな外観や機構を復活させたりしてほしいとは思わない。日本車が輝いていたのは、その時代に胸を張れる先進性や流麗さがあり、一歩先を見据えた提案があったからこそだ。メーカーがやるべきは、復元でも修正でもなく、新たな機能美を製品に込めることにほかならない。
現在のメインストリームであるアドベンチャーやクルーザー、スポーツツアラーはもちろん、カフェレーサーやストリートファイターといったカテゴリーも無視できない潮流には違いない。しかし、そのいずれもが欧米発のカテゴリーであり、それぞれに圧倒的な先駆者がいる。BMWの「GS」以外のモデルはGSみたいなアドベンチャーでしかなく、ハーレー以外はハーレーみたいなクルーザーでしかない。
ただし、「ドゥカティ・ムルティストラーダV4」や「ハーレーダビッドソン・パン アメリカ1250」は、GSにはない先進装備でそこへ切り込もうとし、「BMW R18」は、そのクオリティーと鼓動感でハーレーの牙城を崩そうという気概が見て取れるところが頼もしい。他方、そうしたカテゴリーに投入された日本のモデルにはそれが希薄で、小手先感が拭えない。
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今の日本車から失われているもの
もっとも、閉塞(へいそく)感の漂う状況下でも「これは」と思える光明もあった。例えば、世界初のスーパーチャージドエンジンを搭載したカワサキの「H2」シリーズがそれだ。もしくは、まったくの独自機構で新しいスポーツバイク像、新しいスポーツツアラー像を構築しようとしているヤマハの「ナイケン/ナイケンGT」もそうだ。
これらのモデルは、カテゴリー的にもスタイリング的にもコンセプト的にも、ほかにない孤高の趣が漂い、そのスペックやハンドリング、デザインでインパクトを放った。ビジネスやシェアの面では他のモデルに譲っても、その果敢な挑戦と、企画にGOサインが出された勢いに、かつての日本らしさを感じずにはいられない。
その意味で、“日本らしさ”に法則なんてない。機能を追求する姿勢こそが日本らしさであり、マーケットインに左右されないピュアな精神こそが、日本車を躍進させた原動力だったはずだ。そして今、多くの場面で失われているものでもある。昔を振り返ったり、二番煎じや三番煎じに甘んじたりしている場合ではない。
と言いつつも、かつての最先端モデルを維持管理するサポート体制はもっと積極的に構築してほしい。カワサキのZ1や「Z2」、ホンダの「VFR750R」といった名車のパーツが一部再生産される動きは大いに歓迎されるべきだが、車種にもパーツ点数にも限りがあり過ぎる。バイク文化の継承と人材育成を両立させ、なおかつビジネスとしても成立するレストアメニューが当たり前のものになると、世代も時代も超えたバイク文化を築けるに違いない。
ほかにないモデルで未来をつくり、かつてのモデルを末永く愛せる環境によって豊かな土壌を育む。その両輪にこれからの日本のモータリゼーションがあると思う。
(文=伊丹孝裕/写真=カワサキモータース、スズキ、本田技研工業、ヤマハ発動機、ハーレーダビッドソン、BMW、向後一宏、郡大二郎、山本佳吾/編集=堀田剛資)
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伊丹 孝裕
モーターサイクルジャーナリスト。二輪専門誌の編集長を務めた後、フリーランスとして独立。マン島TTレースや鈴鹿8時間耐久レース、パイクスピークヒルクライムなど、世界各地の名だたるレースやモータスポーツに参戦。その経験を生かしたバイクの批評を得意とする。