中国の巨人がついに日本に進出! 世界最大級のEV&PHEVメーカーBYDとは何者か?
2022.07.29 デイリーコラム「トヨタ・カローラ」のコピー車が最初の出会い
2022年7月21日、中国の大手EV(電気自動車)メーカーであるBYDが、日本の乗用車市場に進出すると発表した(参照)。「いよいよこのときが来たな」というのが筆者の正直な感想だ。日本のこれからの自動車市場に与える影響は、米テスラの上陸よりも大きいに違いない。
もともとBYDはバッテリーメーカーとして1995年に創業し、パソコン用や携帯電話用のバッテリーで成長した企業だ。日本の企業とも1999年から取引を始め、2005年にはBYDジャパンを設立。バッテリー以外でもプリント基板や太陽電池、事業用蓄電池などを手がけてきた。2015年にはBYDのEVバスを京都のバス運行会社が導入し、2022年までに全国で65台が導入されたという。これは、日本全体のEVバスの約7割にあたる数字だ。またEVフォークリフトも日本に導入している。BYDは突然日本に現れたように見えるが、実はこのような実績を積み重ねたうえで、満を持して今回、日本の乗用車市場への進出を発表したわけだ。
筆者がBYDと最初に出会ったのは、2004年の北京モーターショーである。2003年に倒産した小規模の国営自動車メーカーを買収することで、BYDの自動車事業はスタートした。その翌年に開催されたモーターショーには早くもBYDとして出展したが、そのときの展示品はまだ、国営自動車時代に開発が進んでいた旧態依然としたクルマだった。しかしその2年後に再び北京モーターショーに足を運んだ筆者が目にしたのは、トヨタ自動車の9代目「カローラ」を忠実にコピーした「F3」というモデルだった。コピー車ではあるものの、細かい部分の仕上げはともかくこれまでのBYD車より格段に近代化されているのが見て取れた。
このF3は2005年に発売されて好調な売れ行きを示し、BYDの自動車事業のけん引役となった。そして筆者が2006年の北京モーターショーでもうひとつ驚かされたのが、BYDがこのF3をEV化した「F3e」と呼ぶモデルを出展していたことである。つまりこのころから、BYDは早くもEVへの進出を狙っていたことになる。
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BYDの上陸が日本のEV市場を変える
その後F3eが商品化されることはなかったが、代わりにPHEV(プラグインハイブリッド車)化した「F3DM」を開発、商品化した。しかしこのF3DMの販売台数はわずかで、BYDのEV事業はなかなか離陸しなかった。その状況を変えたのが、2013年ごろから本格化した中国の「新エネルギー車(NEV)政策」である。この政策に乗ってバッテリーやEVの販売数を飛躍的に拡大し、2022年上半期には前年同期比3倍超となる約64万台のNEV(EV+PHEV)を販売。NEV販売台数世界1位になったという。
BYDジャパンの劉 学亮社長は、日本において30年以上の経験を積んでおり、日本社会について熟知している。だから今回の日本市場進出についても「われわれは日本メーカーと競合するつもりはなく、EVという新しい産業をともに拡大していくパートナーでありたい」と低姿勢を貫く。
しかし、例えば今回日本への導入が明らかにされたコンパクトハッチバックのEV「ドルフィン」の本国価格を見ると、10万2800~13万0800中国元(1中国元=20円換算で205万6000~261万6000円)と非常に手ごろだ。これは補助金込みの価格だが、補助金抜きでも11万1316〜14万3254中国元(同222万6320〜286万5080円)と手ごろであることに変わりはない。
日本では現在、日産自動車の軽EV「サクラ」のヒットが話題になっているが、ドルフィンはサクラよりも大容量のバッテリーを積み、大出力のモーターを搭載するにもかかわらず、サクラの約240万~300万円より安い。BYDジャパンはまだ日本に導入するEVの価格を発表していないが、仮に中国での現地価格に近い価格で販売されれば、日本のメーカーにとっては大きな脅威となる。
冒頭で触れたように、BYDの上陸がテスラより影響が大きいと筆者が考えるのはこのためだ。BYDという「黒船」が日本のEV市場に大きな変化をもたらすのではないかと、筆者はそう感じている。
(文=鶴原吉郎<オートインサイト>/写真=鶴原吉郎<オートインサイト>、BYDジャパン、Newspress、webCG/編集=堀田剛資)
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鶴原 吉郎
オートインサイト代表/技術ジャーナリスト・編集者。自動車メーカーへの就職を目指して某私立大学工学部機械学科に入学したものの、尊敬する担当教授の「自動車メーカーなんかやめとけ」の一言であっさり方向を転換し、技術系出版社に入社。30年近く技術専門誌の記者として経験を積んで独立。現在はフリーの技術ジャーナリストとして活動している。クルマのミライに思いをはせつつも、好きなのは「フィアット126」「フィアット・パンダ(初代)」「メッサーシュミットKR200」「BMWイセッタ」「スバル360」「マツダR360クーペ」など、もっぱら古い小さなクルマ。