静かなるリベンジ
「フォード・フィエスタ」が2023年6月で生産終了することになった。1976年以来、47年にわたってブランドを代表してきた小型車の歴史が幕を閉じることになる。
フォードはすでに2022年10月、計画を発表するとともに「#farewell Fiesta」と題したキャンペーンを開始している。年が変わってヨーロッパでは、再びニュースとして取り上げるメディアが目立つようになってきた。
生産終了の背景には、従来のBセグメント顧客による、同じセグメントのSUVへの移行が顕著になったことがある。例えば業界団体UNRAEが発表したイタリアにおける2022年の新車登録台数で、BセグメントSUVの「フォード・プーマ」は7位(2万9479台)を記録したいっぽうで、フィエスタは40位(9500台)にまで後退した。
メーカーとしても、電動化への投資を最優先する際、従来型内燃機関車のラインナップを整理する必要があったのは明らかである。
そうしたなか筆者は、イタリア・シエナのフォードディーラーであるアニョレッリに赴き、販売最前線に立つ2人からフィエスタについて聞いた。
同社は、初代フィエスタ発売の翌年である1977年にフォードの取り扱いを開始。以来46年間にわたり、販売を手がけてきた。今日では県内外に4つのショールームを展開する。
協力してくれたのは、セールス歴40年を誇るセルジョ・リベラトーリ氏と、南部のフィアット販売店の家に生まれ、大学卒業後に銀行勤務を経て6年前からフォードに携わるマルコ・ボネッリ氏である。
世界各地のフォード工場におけるフィエスタの累計生産台数は、約2200万台に達した。いっぽう動画の最後では、マルコ氏がイタリア市場における興味深いデータを披露してくれる。
振り返れば、フォードとイタリアの関係は複雑だ。1960年代中盤、ヘンリー・フォードII世と、のちにフィエスタ生みの親となるリー・アイアコッカは、フェラーリの買収を企てた。しかし、交渉は成立直前で決裂。フェラーリは1969年にフィアットのものとなった。さらに1980年代、フォードがイタリア産業復興公社傘下にあったアルファ・ロメオを買収しようとしたときも、最終段階でフィアットに奪われてしまった。そうした経緯を考えると、“フィアット王国”におけるフィエスタの成功は、時間をかけた静かなるリベンジといえまいか。
【さよならフォード・フィエスタ】
(文=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/写真=Akio Lorenzo OYA、フォード/動画=Akio Lorenzo OYA/編集=藤沢 勝)
イタリア・シエナ県のフィアット販売店、アニョレッリのシエナ支店にて。左から筆者、セルジョ・リベラトーリ氏、マルコ・ボネッリ氏。2023年1月撮影。
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アニョレッリのポッジボンシ本店で迎えてくれたエマヌエル氏。車両は「フォード・フィエスタ1.0エコブースト ハイブリッド」。
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「フォード・フィエスタSライン」。参考までに目下のイチ押しは、頭金なしの月額263ユーロ(約3万6000円)×48カ月といった残価設定ローンだ。
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こちらは別仕様のインテリア。
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本店2階の事務フロアに保存されている初代「フィエスタ1.1ギア」。
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内装は、今日のミニマリストでも心を奪われそうである。
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初代を見せてくれたアニョレッリのフィリッポ氏。
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以下4点は、フォードのオフィシャルフォトから。1976年の初代「フィエスタ」とヘンリー・フォードII世。開発チームは、「フィアット127」(1971年)をはじめとする欧州製小型車を徹底的に研究した。
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エンジンルームを見せるためにつくられたカッタウェイ。
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2代目「フィエスタ」(1983~1989年)。
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3代目「フィエスタ」(1989~1995年)。思えばフィエスタは、イタリアの風景の中であまりに自然すぎて、筆者の写真アーカイブには数が少ない。
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2022年12月に筆者がシエナで撮影した4代目「フィエスタ」(1995~2002年)。参考までにこのモデルには、マツダ向けの姉妹車「121」も存在した。
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5代目「フィエスタ」(2002~2008年)。発売年に筆者がサルデーニャ島で借りて、運転中のスナップ。フィエスタは「オペル・コルサ」と並んで、レンタカーの定番であった。
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先代である6代目「フィエスタ」(2008~2017年)。シエナで2010年に筆者撮影。
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BセグメントSUVの「フォード・プーマ」。
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