第560回:数々の教訓を残して来るべき時代への布石へ
パリの公式EVシェアリング終了のお知らせ
2018.06.29
マッキナ あらモーダ!
大プロジェクトが暗礁に
フランスのパリ市と周辺自治体は2018年6月21日、電気自動車(EV)カーシェアリングサービス、AUTOLIB’(オトリブ)について、運営会社であるボロレとの契約を解除することを決めた。
これによって、2011年に世界の大都市に先駆けて開始された大規模カーシェアは暗礁に乗り上げることとなった。
早くもオトリブの専用サイトには、2018年6月25日にサービスが停止され、長期契約パスの返金手続きについても近日発表される旨が記されている。
契約解除の背景にあったのは膨大なコストだ。ボロレの試算によると、この先5年間オトリブ事業を継続した場合、計3億ユーロ(約384億円)の赤字となることが判明した。パリ市は税金をこれ以上投入して継続するのは妥当でないと判断した。
誕生の背景を振り返る
オトリブ計画段階のパリで当時市長の座にあったのは、ベルトラン・ドラノエ氏である。社会党出身の彼は、市内美術館の毎週第1日曜の無料化、セーヌ川岸の夏季限定人工ビーチ“パリ・プラージュ”など、次々と華々しい政策を打ち出して話題となった。
その傍らで交通政策も目玉とし、2007年には大手広告代理店、J-Cデュコーの協力のもとシェアリング自転車サービス、Velib'(ヴェリブ)を導入。それに次ぐステップが、ヴェリブの自動車版であるオトリブだった。
オトリブの運営を担当するボロレは1822年のフランス東部に歴史をさかのぼるコングロマリット企業である。主なビジネスは運送、通信そしてバッテリー関連で、バッテリーに関してはリチウムメタル・ポリマー電池の高いテクノロジーを有することで知られる。
現在も創業家によるファミリー企業であり、現社主のヴァンサン・ボロレ氏(1952年生まれ)は、フランス政界と強いつながりがある。2007年にニコラ・サルコジ元大統領が当選した際は、自身が所有する60m級豪華ヨットを“祝い”として貸し出したことでも話題になった。
「ブルーカー」と名付けられたオトリブ用の車両は、イタリアのピニンファリーナによるデザインだ。
ピニンファリーナからすると、ブルーカーは、暗い時代における一筋の光明だった。メーカーによる外注生産縮小の波をもろに受けて、受託生産事業は急激な縮小を余儀なくされていた。さらに2008年夏には3代目社主アンドレア・ピニンファリーナがスクーター通勤中の交通事故で不慮の死を遂げている。
ブルーカーのプロトタイプが発表されたのは、その直後である2008年10月のパリ自動車ショーだった。
そして、2011年12月。前述のようにオトリブは、世界主要都市の自治体が主導する初の大規模カーシェアリングとして、華々しいスタートを切った。
開始から5年後の2016年12月の発表によると、パリ市内および近郊100市町村には4000台のオトリブが配備され、ステーション数は1100、充電ポール数は6300に達した。契約者数も32万人を数えたという。
環境面からみると、オトリブ全車両の走行距離を合算した1億6500万kmは、地球4000周分にあたり、CSAという機関の調査によると、圏内の自家用車3万6000台分の運転を肩代わりしたおかげで、大幅なCO2削減に貢献できたとしている。
しかし、オトリブプロジェクトの背景は変わった。
始めてみてわかったこと
2014年、パリ市長のドラノエ氏が引退。同じ社会党出身ながらアンヌ・イダルゴ氏に変わった。
ボロレ氏が支援していたサルコジ大統領は1期で政権を去ったため、政界への影響力は以前ほどなくなった。それに加えて2018年4月、ボロレ氏は西アフリカの港湾利権を巡る汚職疑惑で拘束されている。オトリブを推進した人々は、表舞台から徐々に消えていったのだ。
パリの一般市民のオトリブに対する評価も、決してプラスのものばかりではなかった。導入当初から自家用車ドライバーの間で囁(ささや)かれていたのは、「オトリブのステーションができたおかげで、一般車の路上駐車スペースが減ってしまった」ことだった。
今回あらためて、パリに在住している知人のフランス人にオトリブの印象を聞いてみた。「ほとんどのクルマが汚い。室内もそうだが、外観はもっと汚れている」。確かに近年、街で見かけるブルーカーはかなり汚れている。例えばブーローニュの森のレストランといったしゃれた場所に乗りつけたり、デートに使ったりするには少々気が引けるコンディションといえる。
報道によると、ステーション1カ所あたりの設置コストは6万ユーロ(約770万円)かかるという。ブルーカーを返却する際、ステーションの空き状況がGPSと連動した室内のディスプレイに表示されるものの、「降車したい近くのステーションが空いているとは限らないのも厄介」と彼は指摘する。そんなブーイングが起きるのだから、パリ市もオトリブをやめたくなるわけだ。
意外な刺客にとどめを刺される
ボク自身は導入翌年の2012年に早速オトリブを体験している。その苦戦ぶりは、本稿第246回と第247回(動画付き)をご覧いただきたいが、ウェブ上の登録手続きは煩雑を極めた。さらに、パリ市内にある登録機のディスプレイを通じ、オペレーターと再び手続き。ステーションにおける貸し出し手順も簡単ではなかった。
知人が指摘したように、車内も決して清潔とはいえなかった。前のドライバーが鼻をかんだあとのティッシュペーパーと思われるものも散っていた。さらに、これまた知人が指摘するように、目的地近隣のステーションに空きがなく、結局地下鉄でひと駅離れた別の地域に止める羽目となった。
返却時のお作法である充電ケーブルの引き出しも、リールの巻き取り力がそれなりに強いため、少なからず力が要る。セルフ式ガソリンスタンドのように、手がくさくならないのだからいいではないか、という考えもある。だが、ケーブルが汚れているので、服に触れると汚れてしまう。ちなみに登録ブースも、数カ月前に発見したものは荒れ放題だった。
結論は、パリにおいてはオトリブを使うより、地下鉄や市電を乗り継いだほうがいいということだった。オトリブを用いて自動車の基本的特性である「いつでも、どこへでも、早く楽に」を実現するのは、かなり難しい。
オトリブにとどめを刺したのは、ウーバーに代表されるライドシェアリングであろう。何しろスマートフォンのアプリケーションひとつで呼ぶことができ、運転する必要もない。アルコールをたしなむ人は、帰りを気にすることなく楽しむことができる。
ドライバーはユーザーによってレーティングされるため、室内は清潔に保たれている。もちろん目的地に到着したら降りるだけだ。支払いも自動的にカード払いとなる。近年は乗り合いプランも導入され、さらに料金が安くなった。
ボク自身もライドシェアが普及して以来、まったくオトリブに興味がなくなってしまった。
歴史に立ち会ったという興奮
ではCO2削減以外に、オトリブがわれわれに残したものは何であろう?
ひとつは官民共同プロジェクトの危うさを露呈させたことだ。順調な時期はいいが、一度苦境に陥ると責任のなすりつけ合いになる。実際、ボロレは契約満了までに得られるはずだった利益の補塡(ほてん)を要求しているが、パリ市や周辺自治体は拒否している。
同時にオトリブが示したのは「ユーザーは“他人のクルマ”となると、途端に扱いが雑になる」という事実である。それを見越してメンテナンス要員を十分に確保しておかなかったことが、システムを維持できるだけのユーザー数を達成できないことにつながったと察する。
ボクが住むイタリアでも同じだが、とかくヨーロッパの「官」は衆目を集めるプロジェクトをぶち上げることは好むが、後の地道なフォローをなおざりにする。
しかしながらオトリブは、クルマを所有する時代から共有する時代への変化を考えるきっかけとして、少なからず貢献した。ボク自身は自動車社会における巨大な実験を、約6年半にわたって身近で追えたことになる。それが自動運転タクシーに至る自動車文化史の過渡期であったと考えると、少なからず興奮を覚えるのである。
オトリブの充電ステーションは、すでに開始されているように、徐々に増加する個人用EVやプラグインハイブリッド車に活用されるであろう。いっぽう、気になるのは、使われなくなったブルーカーの行方だ。
たとえ途中で載せ替えた個体があるにしても、バッテリーは劣化しているだろう。充電インフラがない途上国には中古として輸出できない。来るべきワイヤレスチャージングにも対応できない。
フランス電力公社の「ルノー・トゥインゴ」やフランス郵便の「ルノー・カングー」が払い下げになると、民間から多くの引き合いがあるのに対して、ブルーカーはそうはいかない。辛うじて思い当たるのは、空港における構内専用車くらいである。
ブルーカーがどのような形で処分されるのかは不明だ。もしチャンスがあったら日本のご奇特なヨーロッパ車ファンの皆さん、人助けのつもりでぜひ買ってあげてほしい。なんてったってピニンファリーナデザインですよ。
(文=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/写真=Akio Lorenzo OYA、Pininfarina/編集=藤沢 勝)

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、25年間にわたってリポーターを務めあげる。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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