第789回:クルマは私するものにあらず! パリの粋な週末イベントで考えたこと
2023.01.05 マッキナ あらモーダ!クルマに貴賎なし
筆者が東京にいた時代、新年のイベントといえば汐留の貨物操車場跡地を舞台にしたヒストリックカーの祭典「ニューイヤーミーティング」であった。その場所は今日ではオフィスビル街「シオサイト」となっているが、訪れるたび、潮風に吹かれながらクルマを見た日を思い出す。それにちなんで今回はフランスにおける、ある週末イベントのお話を。
パリ在住のフランス人から、日曜に面白い催しがあるから一緒に行こうと誘われた。2022年10月のことだ。彼のクルマに乗せられて到着したのは、西郊のサン=クルーであった。イベント会場は、ラ・デファンス地区を見渡す未舗装の敷地である。聞けば、普段は競馬場に隣接したレストランの駐車場であるという。
イベント名は「カーズ&コーヒー・フランス」。予約は不要。入場料は、クルマを運転してきた人も徒歩で来場した人も一律5ユーロ(約700円)である。
騒々しいBGMは皆無。トラメガを使ってがなりたてる仕切り役もいない。審査も表彰もなし。好きな時間にやってきて、無料で振る舞われるコーヒーを片手にクルマ好き仲間と語らい、他人のクルマを鑑賞したあと、好きなときに帰ってゆく。ゆえに、総参加台数も把握できない。筆者は、欧州のこうしたゆるいミーティングが大好きである。
やってくるモデルも面白い。アストンマーティンのようなエクスクルーシブなブランドから、在りし日のジュネーブモーターショーで小ブースを構えていた少量生産メーカー製モデル、かつては横町のスターだった量産メーカー製ニッチ車種が並んでいる。かと思えば懐かしのファミリーカーのスポーツバージョンがひょうひょうと現れる。常々「クルマに貴賎(きせん)なし」と信じている筆者にとって、それを表現したような光景だ。
なお、お見せできないのが残念だが、フランスの愛好家の間では、古いクルマには現行の白地+黒文字のプラスチック製より、古い黒地+白文字の金属製のナンバープレートのほうがふさわしい、というのが多く聞かれる意見だ。
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コックピットにようこそ
イベント名のとおり、来場したすべての人にコーヒーを差し出している女性がいる。聞けばなんと、イベントを主宰している「エモシオン・オト・プレスティージ」のリーダー、クリスティーンさんだった。彼女によると発足は2008年。5、6人の小さな集まりだったという。以後プレステージカーやGT、スーパーカー、そしてコレクタブルカーのオーナーを中心に、SNSや口コミを通じて広まっていった。2022年は真夏を除き、ほぼ毎月のペースで開催してきた。
参考までに、パリ市内に無数にある月決め地下ガレージを訪れて分かるのは、おびただしい数のヒストリックカーファンが存在することだ。彼らはいたずら被害を避けて、路上ではなく、こうした場所にとっておきのクルマを保管している。そして毎週末、コンディション維持のためアイドリングだけ行っている。そうした“地下愛好家”にも、これからカーズ&コーヒー・フランスは楽しい場を提供してゆくに違いないと筆者は考える。思えば、同じパリで開催されるヨーロッパを代表する古典車イベント「レトロモビル」も、数名の仲間が今はなきバスティーユ駅跡で開いた小さな部品交換会が始まりだった。ささやかな集まりが大きく育つ可能性はある。
彼女の仲間、オーレリアンさんが、ぜひ自身のクルマを見てほしいと筆者に声をかけた。2010年式の「ロータス・エキシージS2-240」である。
「『S3 V6』になる前、最後のS2です。この年のモデルは、専用のフロントバンパーとカーボン製リアスポイラー、サイドスクープが採用されています。インテリアにもカーボンがふんだんにあしらわれています」と熱く説明する。
自宅ガレージにはもう1台、ヴィースマンもあるという。1993年から2013年まで存在したドイツの少量生産メーカーだ。彼が所有する「MS4-Sロードスター」は、「BMW M3」をベースに30台だけ限定生産されたライトウェイトスポーツである。
それはともかく、驚いたことにオーレリアンさんは、自身のエキシージに徒歩でやってきた若者たちを座らせ、操作系を説明しているではないか。彼によれば、いいクルマのオーナーは、とかくギャラリーを遠ざけようとする。「でも私は、実際に触れてもらうことで、多くの人たちの笑顔を見られるのが一番うれしいんです」と話す。
石川拓治著『新宿ベルエポック』(小学館)によると、中村屋創業者の妻であり、荻原守衛(碌山)をはじめとする美術家の支援者でもあった相馬黒光は、「芸術は私するものではない」との考えを持っていたという。その言葉を筆者が解釈すれば、作品の価値やその制作背景を他者と共有してこそ、芸術の正しい擁護者であるということだ。もちろんアートとプロダクトである自動車を同次元で語ることは適切ではない。だが、オーレリアンさんには黒光に似た粋を感じた。
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少年たちが待っていた
帰り際、知人のクルマの直前で退場の順番を待っていたのは、来場車のなかで最も野太いエキゾーストノートを発していたクルマだった。ドイツのチューナー、マンソリーによる「スタローン」である。「フェラーリ812スーパーファスト」をベースに内外装をモディファイ、エンジンも830PSにまでパワーアップしたハイパーマシンだ。
ゲートを出た瞬間、思わず目を見張った。外で待っていた何人もの少年たちが一斉に、カメラやスマートフォンのレンズをスタローンに向けたのだ。歩道を追いかけてくる少年もいる。それに応えるかのように、スタローンのドライバーは、エンジンの音をさらに上げた。日本のニュース記録映像における「スーパーカーブーム」をほうふつとさせる光景だった。
ところで、パリの街頭におけるクルマ関連の音といえば、作曲家ジョージ・ガーシュウィン(1898~1937年)のことを思い出す。パリ訪問時、タクシーのホーンを買い求めてアメリカに持ち帰り、1928年の交響詩『パリのアメリカ人』のなかで、街のにぎわいを表現するために用いた。
いっぽう今日、パリで目立つクルマの音といえば、トヨタ製に代表されるハイブリッド車がEVモードで走るときの「クーッ」というモーター音である。
もちろん筆者はモーターをはじめとする電気系デバイスが発する音も好きだ。事実、音階のように聞こえることから「ドレミファインバーター」と呼ばれる電車に東京で乗るたびに、しびれている。しかし、本当のエンジン音や排気音を知らない世代が増えれば増えるほど、実は“いいサウンドを発するクルマ”に魅せられる人も多くなってゆくのかしれない。
パリの空の下、小規模ながら、さまざまなことを考えさせてくれたイベントだった。
(文と写真=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/編集=藤沢 勝)

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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