第272回:運命のミッレミリアでエンツォがつかんだ苦い“勝利”
『フェラーリ』
2024.07.04
読んでますカー、観てますカー
『フォードvsフェラーリ』の9年前
1957年。ミッレミリアのラストイヤーである。映画『フェラーリ』は、この年の数カ月を描く。主人公は“コメンダトーレ”ことエンツォ・フェラーリ。波乱万丈の人生の中で、なぜこの短い時期を選んだのか。スピードと勝利を追い求めたエンツォという人間の持つ情熱と狂気が、凝縮されているからだ。フェラーリを率いる彼がビジネスと私生活の両面で危機に陥り、大きな決断を迫られていた。
マイケル・マンがフェラーリをテーマにするのは2回目である。製作総指揮を務めた2020年の『フォードvsフェラーリ』は、1966年のル・マン24時間レースが舞台だった。資金提供を申し出たのにコケにされたフォード社長のヘンリー2世が激怒し、大金を注ぎ込んだモンスターマシンで恨みを晴らす物語である。フェラーリマニアとして知られる彼が、敗北のストーリーで満足していたはずがない。『フェラーリ』は30年前から温められていた企画で、ようやく執念が実ったのだ。今回は監督として全身全霊で取り組んだ。
当時のフェラーリ社は台所が火の車で、いつ倒産してもおかしくない状況に追い込まれていた。『フォードvsフェラーリ』でも資金繰りが悪化して資本提携先を探していたから、慢性的に経営難だったわけだ。映画の中では、前年に売れたクルマがわずか98台だったと明かされる。経理担当者からは、一年に400台売らなければ破産だと告げられた。
レースで名声を得てロードカーを売り、その資金でレースに勝利する。それがフェラーリのビジネスモデルだ。だから、世界から注視される公道レースのミッレミリアで勝たなければならない。ライバルとして立ちふさがるのはマセラティである。彼らも同じような商売をしているから、事情は同じだ。死にものぐるいで襲いかかってくる。
情熱か、狂気か
経営危機に深い関わりを持っていたのが、私生活の問題である。前年に最愛の息子ディーノを病気で亡くし、そのショックから夫婦の間に亀裂が入っていた。妻のラウラは共同経営者で、工場の名義人でもある。力を合わせて危機に立ち向かわなければならないのに、関係は最悪だ。しかもエンツォにはリナ・ラルディという愛人がいて、息子が生まれていた。現在フェラーリ社の副会長を務めるピエロ・フェラーリである。
絶体絶命のエンツォは、無慈悲な鬼になった。タイムアタックのクラッシュでドライバーが死ぬと、涙も見せずにアルフォンソ・デ・ポルターゴに連絡する。彼は若いレーシングドライバーで、フェラーリで走りたいと売り込んできていたのだ。代わりはいくらでもいる。ポルターゴとて安泰ではない。レースで彼がコーナーで競っていた相手より早くブレーキを踏むと、すぐさま別のドライバーに交代させた。
「私のクルマに乗るなら勝つために走れ。それがダメなら去れ」
エンツォは心の底から冷酷な人間なのではない。ディーノにはありったけの愛情を注いだし、ピエロもかわいがっている。ラウラともかつては心が通い合っていた。彼は24年前にモンツァで盟友2人を亡くしている。それからは心に壁を作り、勝利を至上の価値とする生き方を選んだ。レースへの情熱は、歯止めを失うと狂気と見分けがつかなくなる。
エンツォにはアダム・ドライバー、ラウラにはペネロペ・クルスが起用された。いずれも鬼気迫る演技だが、顔はまったく似ていない。『フォードvsフェラーリ』でも、マット・デイモンはキャロル・シェルビーとは別人だった。マイケル・マンは、そっくりショーをやるつもりなどない。彼の興味の対象は、パッションとソウルである。
フェラーリ335Sの車載カメラ映像!
この時代にレースをすることは、文字どおり死と隣り合わせだった。1976年のF1を描いた『ラッシュ/プライドと友情』でも、「毎年25人中2人が死ぬ」というセリフがある。1950年代のレースでは、ヘルメットこそかぶっているものの、ドライバーはほぼ無防備でコックピットに収まっている。事故は死と同義なのだ。
史実をそのまま映画にしているので、当然ながらあの悲劇も描かれる。死を賭してスピードに挑んだドライバーの勇気には敬意を表するが、あまりにも野蛮で荒々しい時代であったことを忘れてはいけない。フェラーリの栄光は、英雄たちの崇高な自己犠牲に支えられていた。勝利は苦く、歓喜には暗い影が兆す。
人間ドラマとして秀逸な映画だが、クルマ好きにとっては何よりもレースシーンが眼福である。数々の名車がスクリーンで躍動する。レースでは「フェラーリ335S」「フェラーリ857S」「マセラティ350S」「メルセデス・ベンツ300SL」がテールトゥノーズ、サイドバイサイドでバトルを繰り広げる。エンツォは街なかで「プジョー403」をアグレッシブにドライブしていた。
当時のレース映像が残されているが、当然モノクロである。レプリカではあるものの、本物にしか見えないマシンがカラーでイタリアの市街地を駆け抜ける様を大スクリーンで目の当たりにするのは素晴らしい体験だ。しかも、現実にはあり得なかった車載カメラの映像まで楽しめる。美しいマシンを操るのは、ピエロ・タルッフィ、ピーター・コリンズ、ファン・マヌエル・ファンジオ、スターリング・モス……。彼らが命を燃やした熱い戦いを目に焼き付けておきたい。
(文=鈴木真人)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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