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第869回:アウトビアンキ&イノチェンティ復活か? イタリア政府の思惑と地元の反応を探る

2024.07.25 マッキナ あらモーダ! 大矢 アキオ
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政府が商標を取得

2024年3月に68歳で逝去した漫画家・鳥山 明氏は「アウトビアンキA112」を所有し、代表作『Dr.スランプ』にも、たびたび登場させていた。そのアウトビアンキブランドが復活するかもしれない。

イタリアの経済紙「イル・ソーレ24オーレ」が2024年7月12日に伝えたところによると、「企業およびメイド・イン・イタリー省」が、アウトビアンキおよびインノチェンティの商標登録手続きをしていたことがわかった。

かつて旧フィアットグループが展開していた両ブランドは、長らく休眠状態にあった。アウトビアンキ最後のモデルである「Y10」は1995年に生産を終了。インノチェンティは1997年、同様に生産を終えた。2008年に当時のセルジオ・マルキオンネCEOが、低価格ブランドとしていずれかを復活させることを示唆。だが実現されないまま、旧FCA時代を経てステランティスによって商標が保持されてきた。

現地紙によれば、企業およびメイド・イン・イタリー省は、5年以上休眠状態にある商標を、特許商標庁経由で没収できる法律を準備中だ。今回の企業およびメイド・イン・イタリー省による両ブランドの取得申請は、同法の施行を想定したものだという。

イタリア政府はアウトビアンキ/インノチェンティの商標を、将来、同国内に工場進出する中国系自動車メーカーに供与する用意があるとみられる。

ブランド発祥国は英国でありながら、上海汽車(SAIC)の傘下にあるMGが、近年、欧州各国でめざましい販売実績をあげていることがイタリア政府の目に止まったと現地メディアは報道している。

「アウトビアンキY10」を愛好するサーラさん(写真向かって右)とロレンツォさん(同左)。(写真:Sara Gasparini Archive)
「アウトビアンキY10」を愛好するサーラさん(写真向かって右)とロレンツォさん(同左)。(写真:Sara Gasparini Archive)拡大
「アウトビアンキY10」の先代モデルである「A112」。1986年から1994年にかけて販売された。
「アウトビアンキY10」の先代モデルである「A112」。1986年から1994年にかけて販売された。拡大
戦後、スクーターのランブレッタを製造していたインノチェンティにとって、初の四輪車は1960年、英国ブリティッシュ・レイランド製「A40」のライセンス生産だった。これはその後リリースした「ADO16」のイタリア版。2023年撮影。
戦後、スクーターのランブレッタを製造していたインノチェンティにとって、初の四輪車は1960年、英国ブリティッシュ・レイランド製「A40」のライセンス生産だった。これはその後リリースした「ADO16」のイタリア版。2023年撮影。拡大
イノチェンティは「ADO15」、すなわちオリジナルの「Mini」も生産した。
イノチェンティは「ADO15」、すなわちオリジナルの「Mini」も生産した。拡大
「ADO15」の後継として、イタリアでベルトーネ製ボディーを載せた「インノチェンティ・ミニ」。2023年10月、ボローニャで開催された「アウトモト・デポカ」の会場で撮影。
「ADO15」の後継として、イタリアでベルトーネ製ボディーを載せた「インノチェンティ・ミニ」。2023年10月、ボローニャで開催された「アウトモト・デポカ」の会場で撮影。拡大
MGは欧州で2023年に約23万台を販売。2024年は30万台を目標にしている。
MGは欧州で2023年に約23万台を販売。2024年は30万台を目標にしている。拡大

おおむね歓迎ムード

今回の報道を熱心なイタリア人ファンはどうとらえたか? 筆者は「中国企業が絡むことなどは論外である」「オリジナルのみがアウトビアンキであり、イノチェンティである」といった否定的見解を予想していたが、彼らの反応は意外なものだった。

まず1980~1990年代のイタリア車を中心に、さまざまなファンイベントの企画を手掛けているウィリアム・ジョナサンさんに聞いてみた。彼は「いずれも一時代を築いた歴史的なイタリアンブランドであり、それぞれ違った意味で革命的でした。けっして忘れ去られてはいけません」と定義する。そのうえで「ニュースが確かであれば、多くの愛好家が喜びます。メイド・イン・イタリーの2ブランドを、世界中で輝かせる方法を発見できるに違いありません」と、好機であると語った。

次に聞いたのはクラブ「アウトビアンキ保存会」創立メンバーのひとり、サーラ・ガスパリーニさんである。彼女も「このニュースを歓迎します。両ブランドが路上を走っているのを毎日見たいですから」と答えた。

アウトビアンキ保存会で知りあって彼女と結婚したロレンツォさんは、「もっと早く復活すべきでした」と語る。さらに「アウトビアンキは商標が使用されなくなってから数十年がたち、もはやY10を覚えている人たちは40歳以上です」と説明。加えて1957年「フィアット500(ヌオーヴァ500)」に対する「アウトビアンキ・ビアンキーナ」、もしくは1971年「フィアット・127」に対するアウトビアンキA112を例に挙げながら、「少し上級のクルマになるといいですね」と期待を話した。

3人が好意的意見を寄せた背景には、往年のアウトビアンキやインノチェンティが、高級車ではなかったことがあると筆者は考える。正統派主義や純粋主義にとらわれない、ゆるいファン環境があるのだ。加えて、他の欧州諸国の一般人の間で、2ブランドの知名度は今日皆無に近い。どのようなかたちであれ復活は喜ばしいのである。

サーラさん(写真向かって左)はアウトビアンキ保存会が発足したときからのメンバー。(写真:Sara Gasparini Archive)
サーラさん(写真向かって左)はアウトビアンキ保存会が発足したときからのメンバー。(写真:Sara Gasparini Archive)拡大
2023年10月、「アウトモト・デポカ」会場に出展したアウトビアンキ保存会のスタンド。左から「ピアンキーナ」「A112」そして「Y10」。
2023年10月、「アウトモト・デポカ」会場に出展したアウトビアンキ保存会のスタンド。左から「ピアンキーナ」「A112」そして「Y10」。拡大
「アウトビアンキY10」。2021年撮影。
「アウトビアンキY10」。2021年撮影。拡大

休眠から起こす難しさ

報道のとおり、イタリアへ工場進出する中国企業に、実際にアウトビアンキとインノチェンティの2ブランドは供与されるかもしれない。しかし、イタリア政府が参考にしているとみられるMGが、これらのブランドとは、数点において事情が異なることも考慮しなくてはならない。

MGの休眠期間は、2000年代に旧ローバーグループから中国傘下に以降する間のわずか数年であった。いっぽうでアウトビアンキとインノチェンティは、ともに前述のロレンツォさんが指摘するように、消滅から30年近くが経過してしまった。

また1980年まで生産された「MGB」が今日も欧州で英国ヒストリックカー入門車として欧州各国で人気なのは、「マツダMX-5」の源流ともいえるスポーティーさゆえである。そうしたイメージは、けっして決定打というわけではないが、新生MGのSUVにも少なからず好印象を与えている。

いっぽう、今回話題のイタリア系2ブランドは異なる。アウトビアンキの「A112アバルト」やイノチェンティの「ミニ・デ・トマゾ」を除き、MGに匹敵するようなスポーティーなイメージは薄い。あくまでも街乗り用の大衆車なのである。

ダイムラー・クライスラー(当時)が、第2次大戦前の超高級車メーカーの名称を2002年に復活させたマイバッハは、BMWグループのロールス・ロイスを打倒できなかった。結果として、2011年に独立ブランドとしての存続を断念する。福田汽車が戦後ドイツにおける高級車ブランドの復活のため設立したボルクヴァルト社もしかりで、2022年に経営破綻している。日産が2013年から再生を試みたダットサンも2023年に生産を終了している。

これらの例からは、休眠ブランドを再生して成功する確率は、けっして高くないことがうかがえる。数少ない成功例であるブガッティは、1980年代中盤、最初に復興を試みたイタリア人企業家ロマーノ・アルティオーリ氏の犠牲と、その後ブランドを手中に収めたフォルクスワーゲン・グループの潤沢な資金力がなければ到底復活し得なかった。

そうした意味で、アウトビアンキやイノチェンティの復活のハードルは、けっして低くはないと筆者は考える。まずはどのような企業が名乗りを上げるのか、そしてMGが英国発祥をことさら強調したように、どのようなストーリーテリング(ブランド物語の構築)を展開するのかを楽しみにしたい。

(文=大矢アキオ ロレンツォ<Akio Lorenzo OYA>/写真=大矢麻里 Mari OYA、Akio Lorenzo OYA、Sara Gasparini Archive/編集=堀田剛資)

「イノチェンティ・ミニ」。2005年撮影。
「イノチェンティ・ミニ」。2005年撮影。拡大
「インノチェンティ・ミニ」。2023年10月、ボローニャの「アウトモト・デポカ」会場で撮影。
「インノチェンティ・ミニ」。2023年10月、ボローニャの「アウトモト・デポカ」会場で撮影。拡大
インノチェンティにおける末期モデルの一台「エルバ」。ブラジル製「フィアット・ウーノ ワゴン」のバッジを換えたものだった。2004年、エルバ島で。
インノチェンティにおける末期モデルの一台「エルバ」。ブラジル製「フィアット・ウーノ ワゴン」のバッジを換えたものだった。2004年、エルバ島で。拡大
「イノチェンティ・ミニ・デ・トマゾ」。リグリア州ラ・スペーツィアで2021年11月撮影。
「イノチェンティ・ミニ・デ・トマゾ」。リグリア州ラ・スペーツィアで2021年11月撮影。拡大
大矢 アキオ

大矢 アキオ

Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。

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