ホンダの株主優待「モビリティリゾートもてぎ体験会」(その2) ―聖地「ホンダコレクションホール」を探訪する―
2025.12.10 画像・写真ホンダが開催した「2026年3月期株主優待 モビリティリゾートもてぎ体験会」のプログラムには、ホンダファンの聖地である「ホンダコレクションホール」のガイドツアーも含まれていた。
この施設は、ホンダの創立50周年に合わせて1998年に誕生した博物館であり、今日に至る彼らの足跡を網羅。「S500/600/800」や「シビックCVCC」「NSX」といった名車の数々に、アイルトン・セナらが駆ったマクラーレンやロータスなどのF1マシン、そして「スーパーカブ」「モンキー」「CB750 Four」「NSR500」といった、きら星のごときモーターサイクルが、ずらりと展示されている。
もちろん、汎用(はんよう)機やロボット、飛行機まで手がけるホンダだけに、展示は二輪車・四輪車だけにとどまらない。かつて一世を風靡(ふうび)した人型二足歩行ロボット「ASIMO」にも再会できるし、「ジャパンモビリティショー2023/2025」では予約制だった、「ホンダジェット」(モックアップ)の機内見学も可能。ハンズフリーのパーソナルモビリティー「UNI-ONE(ユニワン)」の試乗(参照)は、子供たちにも大人気だった。
いっぽうで、個人的にちょっと残念だったのが、最近ホンダが注力している宇宙事業の展示がなかったこと。ジャパンモビリティショー2025の興奮冷めやらぬ記者は、「せめてパネル展示だけでも」と思っていたのだが……。まぁ急(せ)くことはない。「サステナブルロケット」が大気圏を突き抜けた暁には、その実機がドーンと吹き抜けのエントランスにそそり立つことだろう。未来に期待である。
懐かしいだけじゃなく、新しい発見も大いに刺激的だったホンダコレクションホール。その展示の数々を、写真で紹介する。
(webCG堀田剛資<webCG”Happy”Hotta>)
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1/57ホンダが開催した株主優待「モビリティリゾートもてぎ体験会」。そのプログラムのひとつが「ホンダコレクションホール」のガイドツアー。ホンダがこれまでに手がけてきた四輪、二輪、汎用製品が展示された歴史施設を、ガイド付きで巡るのだ。
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2/57まずはコレクションホールのシンボルである「夢リング」の解説から。このリング、ホンダの創業者である本田宗一郎の最初の製品である、ピストンリングをモチーフにしたものだとか。
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3/57ガラスに刻まれている、本田宗一郎が書いた「夢」の文字。
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4/57吹き抜けのエントランスホールには「ホンダジェット」のモックアップに、ロードレース世界選手権でクラス優勝を果たした「RC149」(1966年)、第1期F1活動のトリを飾った「RA301」(1968年)、160km/hの最高速を達成したスポーツカー「S800」(1966年)、今日に至る「スーパーカブ」シリーズの原点「スーパーカブC100」(1958年)などが飾られている。
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5/57さっそく、展示と一緒にホンダの歴史をたどる。まずは今日のホンダの原点となった、無線機用エンジンを流用した自転車用補助エンジン(1946年)と、ホンダの名を冠した最初の製品である自転車用補助エンジン「A型」(1947年)。前者では、燃料タンクに湯たんぽや茶筒を使っていたという。
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6/57写真左から、初の完全自社設計モデルとなった「C型」(1949年)に、箱根の山越えを果たした「ドリームE型」(1951年)、自転車用補助エンジン「カブ号F型」(1952年)。
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7/57自社の“黒歴史”というか、経営危機の原因になったモデルも展示し、その旨をちゃんと解説している点がホンダらしい。写真左から「ジュノオK型」(1954年)、「ドリーム4E型」(1954年)、「ベンリイJ」(1953年)。いずれも、キャブレターの不調でホンダを危機に陥れたバイクである。
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8/57こちらには、モータースポーツへの参戦黎明(れいめい)期の名車がズラリ。写真右から、マン島TTレースに初参戦した「RC142」(1959年)、浅間のバイクレースで上位を独占した「RC160」(1959年)、ロードレース世界選手権で年間タイトルを獲得した「RC162」(1961年)、マン島TTレースで初優勝&1~5位を独占した「2RC143」(1961年)。
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9/57ホンダ初となる、2気筒エンジンのモーターサイクル「ドリームC70」(1957年)。特徴的な角張ったデザインは「神社仏閣スタイル」と呼ばれた。
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10/57累計販売台数1億台を突破し(2017年)、今もその記録を更新し続けている「スーパーカブ」シリーズ。1958年の「C100」に始まる、初期のモデルが一堂に会している。
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11/57ホンダが1963年に米国で展開した、「NICEST PEOPLE(ナイセスト・ピープル)」キャンペーンのイラスト。「イキった若者が乗るもの」というバイクのイメージを変え、「スーパーカブ」の拡販に大きく貢献した。今でもマーケティングの教科書に載るほど有名な施策だ。
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12/57ここにきて、ようやく四輪車が登場。写真右が、ホンダ初の量産市販四輪車である「T360」。同左が、ホンダ初の量産市販四輪乗用車「S500」(ともに1963年)。ホンダ初の“クルマ”が4気筒・4キャブ(!)の軽トラだったのは有名な話。またS500には赤い車体色も用意されたが、当時は赤は消防車などの特殊なクルマのみに許された色で、担当者は足しげく運輸省(現在の国土交通省)に通い、市販車への採用を実現したという。
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13/57「ホンダT360」に搭載された、排気量354ccの水冷4気筒DOHCエンジン。当時の軽自動車用ユニットとしては驚異的な、最高出力30PSを発生した。……これ、軽トラのエンジンですよね?
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14/571960年代の、第1期F1活動の展示。
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15/57写真中央が「RA272」(1965年)、右手前が「RA300」(1967年)、左奥が「RA301」(1968年)。
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16/57こちらでは、遊園地の遊具から始まった「モンキー」シリーズの歴史を解説。写真左奥から「モンキーZ100」(1961年)、「モンキーCZ100」(1964年)、「モンキーZ50M」(1967年)、「モンキーZ50Z」(1970年)。
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17/57ホンダといえば、汎用機や船外機も忘れてはならない。それにしても、同社初のディーゼル耕うん機「F90」(写真右・1966年)のカッコよさよ。まるでレーシングマシンである。
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18/57今回のツアーにおいて、なぜかスルーされてしまった「ドリームCB450」(写真右・1965年)と「ドリームCB750 Four」(写真左・1969年)。市販車初のDOHCとか、市販車初の4気筒というオタク泣かせなエピソードは、株主の皆さまには刺さらないのか……。
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19/57“Nっころ”こと「N360」(1967年)の存在も、華麗にスルー。軽のベストセラーに輝いたモデルで、その意匠は今日の「N-ONE」に受け継がれている。
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20/57“ホンダの黒歴史第2弾”ということで、写真右が有名なDDACエンジンを搭載した「1300 77」(1969年)。同左が、空冷F1マシンの「RA302」(1968年)。本田宗一郎が空冷エンジンにこだわったがゆえの失敗作で、ガイドの方が、ちゃんとその失敗談も説明していたのが面白かった。
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21/57そして時代は水冷へ。ということで、写真左手前が軽自動車の「ライフ」(1971年)、同右奥が「シビック 2ドア」(1972年)。
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22/57画期的な低公害エンジン「CVCC」の搭載車。当時、「適合は不可能!」とまで言われていた米マスキー法の基準をいち早くクリアして世界を驚かせ、ホンダの名を世に知らしめた。写真右が「シビックCVCC」(1973年)、同左が「アコードCVCC」(1976年)。
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23/57ホンダの第2期F1活動の展示エリア。写真手前から順に「ロータス ホンダ99T」(1987年)、「マクラーレン ホンダMP4/4」(1988年)、「マクラーレン ホンダMP4/6」(1991年)。皆さん、アイルトン・セナの搭乗機に目を奪われていたが……。
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24/57記者は断然、マンちゃん派。当時、一山いくらの民草の童だった記者としては、苦労人のナイジェル・マンセルを応援せずにはいられなかった。そんなわけで、マンセルのドライブした“レッドファイブ”の「ウィリアムズ ホンダFW11B」(1987年)。
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25/57ロードレース世界選手権に復帰するうえで、秘密兵器として期待された「NR500」シリーズ。写真右奥が、1979年のイギリスGPに参戦した「NR500(0X)」。同左手前が、1981年の全日本選手権第6戦で、NRとして初勝利を挙げた「NR500(2X)」。
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26/57「NR500」に搭載されたV4エンジンの、奇抜なだ円ピストンと1気筒あたり8本のバルブ。ガイドさんいわく、あまりに前例のない技術だっただけに、壊れるのはまぁ仕方ないにしても「どこがどうして壊れたのか、全然ワカラナイ!」と現場は大変だったとか。
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27/57本日何度目かの、オタク泣かせだけどツアーではスルーされちゃったコーナー。写真右奥から「NS500」(1982年)、「NSR500」(1984年)、「NSR500」(1989年)。ロードレース世界選手権の伝説的マシンである。フレディ・スペンサーにエディ・ローソンに……ライダーも皆スゴかった!
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28/57展示の流れはサーキットから公道へとカムバック。写真右手前から、1981年登場の「モトコンポ」と「シティ」、1985年登場の「クイントインテグラ」。今見ても、どれも独創的で魅力的。
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29/57連絡通路に展示されているF1マシン「トロロッソ ホンダSTR14」(2019年)を横目に見つつ、次の展示エリアへ。
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30/57連絡通路では、タカラトミーのミニカー「トミカ」とのコラボ展示も行われていた。写真は、ミニカーの箱を模したショーケースに展示された「S800」(1966年)。
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31/571985年登場の「レジェンド」(写真右)と「アコード」(同左)。レジェンドには、1987年のマイナーチェンジで日本車として初めてエアバッグが装備された。
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32/57写真右から、世界初の総アルミボディーが採用されたミドシップのスーパースポーツ「NSX」(1990年)と、その高性能バージョンである「NSX-R」(1992年)。
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33/57「NSX-R」は、今日に続く「タイプR」シリーズのはじまりとなったモデルだ。というわけで、写真右から「インテグラ タイプR」(1995年)と「シビック タイプR」(1997年)。
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34/57「タイプR」譲りの高回転型エンジンを搭載したFRスポーツとして、今でも高い人気を誇る「S2000」(1999年)。
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35/57日本のファミリーカーやレジャーカーに多大な影響を与えた、ホンダの隠れた傑作といえば、1990年代に登場した一連の「クリエイティブ・ムーバー」だ。実は「FF乗用車用のプラットフォーム&生産ラインしかない!」という制約が生んだ“苦肉の策”だったのだが、その後の大成功は皆さんご存じのとおり。写真右が「オデッセイ」(1994年)。同左が「S-MX」(1996年)。その奥に、青い屋根だけのぞいているのが「ステップワゴン」(1996年)。
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36/57ガイドさんは、ちょっと珍しいホンダ製品についても教えてくれた。写真は信号機用の発電機「E2010」(1987年)と「EX4.5D-ATS」(1995年)。停電時にも交通インフラを稼働させるための機器で、信号機や電柱の脇などに見かける金属製の箱の中に、人知れず収まっていた。
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37/57こちらは、かつて私たちに夢を見させてくれた人型二足歩行ロボット「ASIMO(アシモ)」の展示。プロジェクトが終了して久しいが、その知見は、二輪車に搭載される各種センサーや、ロボティクス技術の開発などに生かされている。
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38/57ふたたびモータースポーツ関連の展示に戻り、こちらは第3期F1活動において、2006年ハンガリーGPでホンダに14年ぶりの勝利をもたらした「RA106」。ドライバーはジェンソン・バトンだ。
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39/572019年のオーストラリアGPにて、4度目のF1挑戦後の初勝利(ややっこしい……)をホンダにもたらした「レッドブルレーシングRB15」。ドライバーはマックス・フェルスタッペン。
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40/57こちらでは、ホンダが手がけた安全技術を紹介。写真右奥は、ホンダが自社開発した世界初の歩行者ダミー。同左手前は、「ゴールドウイング」に装備された二輪車用エアバッグ。
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41/57こちらは「ホンダジェット エリート」の4分の1モデル。ホンダが航空機メーカーになるなんて(厳密には米子会社のホンダエアクラフトカンパニーだが)、それが小型ビジネスジェットの世界的ベストセラーになるなんて、読者諸氏も、ちょっと前までは想像もしていなかったことでしょう。
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42/57「ホンダジェット」に搭載される「HF120」型ターボファンエンジン。ホンダの試作エンジン「HF118」に、世界最大のジェットエンジンメーカーである米ゼネラル・エレクトリックの知見を加えて完成させたものだ。2013年に、新規参入メーカーのエンジンとして実に13年ぶりに型式認証を取得した。
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43/57ここでちょっとひと休憩。こちらの柱に残るタイヤ跡は、日本人で唯一、トライアル世界選手権でチャンピオンに輝いた藤波貴久氏が、改装前の「ホンダコレクションホール」を電動トライアルバイクで巡ったときのものだ。ホンダのYouTubeチャンネルに動画が残っているので、気になった人は視聴してみよう。そしてコレクションホールで、このタイヤ跡を探してみましょう。……それにしても、こんな高いところにタイヤの跡が残るって、どういうこと!?
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44/57ガイドツアーのトリを飾るのは、パーソナルモビリティー「UNI-ONE(ユニワン)」だ。座ったまま体重移動だけで操作できる(=ハンズフリーで操作できる)のが特徴で、子供から高齢者まで、幅広い人の使用を想定している。2025年9月にはリース販売も開始。未来の乗り物の普及が、少しずつ始まっているのだ。
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45/57そんな「UNI-ONE(ユニワン)」だが、「ホンダコレクションホール」では試乗も可能。もてぎを訪れた際には、ぜひお試しあれ。
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46/57ガイドツアーの終了後は、余った時間で館内を自由散策。記者はツアーには含まれていなかった1階の展示と、ギャラリー/ラウンジを巡った。こちらは本田宗一郎も製作に携わったという、アート商会の「カーチス号」(1924年)。レースではメカニックとして同氏も同乗。クルマが横転して、大けがを負ったこともあるとか……。
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47/57ホンダが1962年に開発した「スポーツ360」。軽トラック「T360」と並ぶ、ホンダ四輪事業草創期のモデルだ。ただ、軽規格のクルマでは海外進出に使えないということで、お蔵入りに。代わって排気量の大きな「S500」が誕生した。
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48/57吹き抜けのエントランスホールで、ひときわ大きな存在感を放っていた「ホンダジェット エリートII」のモックアップ。ホンダがホンダエアクラフトカンパニーから譲り受けたもので、まずは2023年の「ジャパンモビリティショー」に出展。ちゃんとエンジンが積まれて見えるよう、ナセルの内側をつくり込むなどの改良を加え、2025年のジャパンモビリティショーにも出展した。
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49/57「ホンダジェット エリートII」のモックアップの室内。
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50/57ご覧のとおり、コックピットも見事に再現されている。
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51/57後方に備えられた個室のトイレと洗面台。小型ジェット機では珍しい豪華装備で、これも人気の要因のひとつとなったとか。
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52/57ミュージアムショップやギャラリー、ライブラリーが位置する南棟1階の様子。ゴールド&シルバーのきらびやかな「モンキー リミテッド」(1979年)と、キレイに飾られたモミの木に、「ああ、2025年ももう終わりなんだなぁ」と戦慄(せんりつ)した。
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53/57ライブラリーの片隅に飾られた、「NSX」のパッケージレイアウトドローイング(1994年)と、「NSXタイプS」の4分の1デザインスケールモデル(1997年)。前者はNSXのマイナーチェンジに向けて制作されたもの。後者はデザイン開発終了後に、他車比較やイベント展示等のために制作されたものだ。こういうものが何気ないところに飾られているのだから、「ホンダコレクションホール」は油断ならない。
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54/57こちらはギャラリーで行われていた企画展示「歴史に埋もれたスポーツカー」の様子。ホンダが、1970年代に開発を進めていたミドシップスポーツカーの造形を、ホンダデザインの有志が3Dデータ化し、4分の1スケールモデルを制作したのだ。
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55/57こちらがその4分の1スケールモデル。同車は北米市場を狙ったミドシップスポーツカーで、パワーユニットにはCVCCのV8エンジンを搭載。残念ながら、オイルショックによって計画は立ち消えとなった。
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56/57デザインの再現にあたって手がかりとなったのは、当時の写真のみだったとか(ショーケース左端に展示)。
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57/57カラーバリエーションも、当時の色サンプルをもとに忠実に再現。最後には当時の担当デザイナーにも確認してもらい、お墨付きを得たという。ホンダの歴史を感じさせる貴重な展示だった。































