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第407回:「お前が俺には最後のクルマ」-ビートルおじさん27年越しの執念

2015.07.17 マッキナ あらモーダ! 大矢 アキオ
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ビートルファンのアルベルトさん

人生の最後を、何のクルマで飾るか。そう聞かれたらボクなどは「キャデラックの霊きゅう車」などと答えるであろう。まあ、これは冗談として、今回は、27年越しで最後のクルマを手にしたおじさんの物語である。

アルベルト・フィニスタウリさんはローマの空港職員である。と同時に、彼は生粋の「フォルクスワーゲン・ビートル」ファンだ。
きっかけは、彼が5歳のときだった。スイスに住んでいた叔父が現地で手に入れたぴかぴかのビートルに乗って遊びに来たのだ。それはビートルが、イタリア製国産車に少し金額を積めば買える、高品質な小型車として広く認知される前の出来事だった。
その後、成人して免許を取得したアルベルトさんは、ビートル、それも味のある古いモデルを必ずガレージに1台置いておく車歴を重ねてきた。

アルベルト・フィニスタウリさんと、愛車の1963年「フォルクスワーゲン・ビートル1200」。
アルベルト・フィニスタウリさんと、愛車の1963年「フォルクスワーゲン・ビートル1200」。 拡大
雑然と置かれた小物類は、アルベルトさんがビートルと日常を共にしていることを感じさせる
雑然と置かれた小物類は、アルベルトさんがビートルと日常を共にしていることを感じさせる 拡大
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まぶたに残る、あの一台

そのような生活を送ってきたアルベルトさんだが、忘れられない一台があった。それは今から27年前の1988年、彼が35歳のときであった。
「雑誌の売買欄に載っていた1台のビートルに目がとまったんだ。1963年モデルの1200のキャンパストップ仕様さ」。
それは、屋根の一部を後から切り取ったものではなく、ちゃんとしたメーカー製の、美しい水色のクルマだった。

概してイタリア人はサンルーフが嫌いだが、アルベルトさんの場合、かつてビートルが大成功したアメリカ西海岸のムードを満喫するには、それが不可欠と考えた。
アルベルトさんは1953年生まれ。大西洋の向こうで発生した、戦後自動車史に残るフォルクスワーゲンカルチャーをリアルタイムで伝え聞き、憧れていた世代ならではである。

アルベルトさんは、そのビートルの告知を掲載した主に早速電話をかけた。ところが受話器の向こうからの返答は、思いもよらぬものだった。
「たった5分前に売れてしまっていたんだ!」 そう言ってアルベルトさんは、その瞬間を再現するかのように肩を落としてみせた。
しかし売り主の取り計らいで、アルべルトさんはその買い主マッシモさん(仮名)の連絡先を知ることができた。

お目当てのクルマを逃したアルベルトさんだが、古いビートルを見つけては乗り換える生活は続いた。そして今から数年前、キャンパストップ仕様でこそないものの、あのビートルと同じ1963年型を手に入れるチャンスをつかんだ。

左はイタリア運輸省発行の車検証。現在のものと違い、かなり分厚い。右は取扱説明書。表紙のグラフィックは、今でも立派に通用するセンスである。
左はイタリア運輸省発行の車検証。現在のものと違い、かなり分厚い。右は取扱説明書。表紙のグラフィックは、今でも立派に通用するセンスである。 拡大
車検証を開いたところ。通関・認証作業などを経て1963年7月5日に発行されている。
車検証を開いたところ。通関・認証作業などを経て1963年7月5日に発行されている。 拡大

25年間眠っていた

しかし、気がつけば、アルベルトさんにとってすでに20台目のビートルだった。そろそろ「上がり」のモデルが欲しいと考えた彼は少し前、例のキャンパストップ付きビートルのオーナー、マッシモさんに、二十数年ぶりに連絡をとってみた。すると意外な事実が判明した。マッシモさんはあのビートルを2年間所有したのち、ロザンナさん(仮名)というローマ在住の女性に売却してしまっていたのだ。

彼のおぼろげな記憶から、ロザンナさんの姓名と、大まかな居住街区を聞き出したアルベルトさんがとった行動は大胆だった。
「空き時間をみつけては街の通り一本一本を巡り、アパルタメント一軒一軒の呼び鈴に記された名前を確認していったんだ」
一歩間違えれば、かなり怪しい人である。

幸運にも後日、アルベルトさんはロザンナさんの家を発見した。さらに幸いなことに、彼女と面会することができ、彼女はアルベルトさんにクルマを譲ることも約束してくれた。

アルベルトさんの執念が実を結んだかに見えたが、再び意外な事実が判明した。彼女がビートルを手に入れてから25年間たつが、そのほとんどの期間を知り合いの修理工場に保管していたのだ。

しかし、そこはビートル。
「わずかな修理だけで、あっという間に息を吹き返したんだよ」とアルベルトさんは振り返る。

こうしてわが家にやってきた、ビートル歓迎の晴れ舞台としてアルベルトさんが選んだのは、2015年7月にトスカーナ州スタッジャ・セネーゼで開催された「インターナショナル・フォルクスワーゲンミーティング」の会場だった。

今年62歳のアルベルトさんは
「これが俺にとって、最後のクルマだよ」としみじみ語った。

その言葉に山本譲二のヒット曲「お前が俺には最後の女」を思い出してホロリときたボクの脇で、彼は27年越しで実らせた恋を謳歌(おうか)するがごとく愛車のコックピットに収まった。彼の頭上からはカリフォルニア・サンに勝るとも劣らないトスカーナの太陽が降り注いでいた。

(文と写真=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>)

アルベルトさんがこだわり続けたのはキャンパストップだった
アルベルトさんがこだわり続けたのはキャンパストップだった 拡大
かつて日本で「かつお節」と呼ばれたバンパーのオーバーライダーや、リアウィンドウに取り付けられたブラインド式サンシェードなど、1960年代ムード満点である。
かつて日本で「かつお節」と呼ばれたバンパーのオーバーライダーや、リアウィンドウに取り付けられたブラインド式サンシェードなど、1960年代ムード満点である。 拡大
リアサイドウィンドウに貼られたフレーズ。「自由とは……頭上に空を抱きながら古いフォルクスワーゲンを運転すること」
リアサイドウィンドウに貼られたフレーズ。「自由とは……頭上に空を抱きながら古いフォルクスワーゲンを運転すること」 拡大
大矢 アキオ

大矢 アキオ

Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。

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