第569回:「ルノー・トゥインゴ」早くも25周年!
初代モデルの思い出を語る
2018.08.31
マッキナ あらモーダ!
トゥインゴ乗りは“トゥインギスト”
日本だと感覚が薄いが、ヨーロッパで大切なのは「4分の1」である。その起源は、古代ローマ人が建設した都市に、南北(カルド)と東西(デクマヌス)を通る2本の道路を建設し、街を4分割して統治したことに由来する。「クオーター(4分の1)」 や「25(100÷4で)」という数字が生活のなかで登場するのは、そのためだ。祝いも「25周年」や、その3倍である「75周年」というのがよくあって、それはクルマの世界もしかりである。
前置きが長くなったが、2018年は「ルノー・トゥインゴ」の発売25周年だ。8月25~26日には、フランスの「Generation Twingo(ジェネラシオン・トゥインゴ)」というクラブが、フランス東部シャンベリで記念ミーティングを開催した。ちなみに、ジェネラシオン・トゥインゴとは、「トゥインゴ世代」という意味である。また、フランスのファンの間では、トゥインゴオーナーのことを「トゥインギスト」と呼びあっている。
現行モデル、欧州での人気は今ひとつ
2014年にリアにエンジンを搭載し後輪を駆動する、RR(リアエンジン/リアドライブ)をひっさげて登場した3代目(現行)トゥインゴの欧州セールスは、今ひとつ活気がない。2018年上期の欧州販売台数は4万7974台。ルノーのなかでは「クリオ」「キャプチャー」「メガーヌ」「カジャー」「セニック/グランセニック」のあと、ようやく6位に顔を出す(ACEA調べ)。個人的な“体感値”をお許しいただければ、たしかにパリ以外で目撃する機会は少ない。理由を尋ねると、ある若手セールスマンは即座に2点を挙げてくれた。
ひとつ目は、荷室容量の不足である。それを聞いて筆者はスペックを確認してみた。現行型のラゲッジルーム容量は、後席を折り畳んだときこそ980リッターと、先代である2代目の959リッターより大きい。だが折り畳まない場合は219リッターで、先代の285リッターより小さいのだ。さらに初代の数値を確認してみると、後席折り畳み時の容量(1096リッター)に驚きを禁じ得ない。
トゥインゴユーザーの多くは、モノを運ぶのに徹底的に使う。初代から1代飛ばして3代目を買おうとディーラーを訪れたら「意外に荷室が小さかった」という印象をもつ顧客は少なくないと思われる。
もうひとつセールスマンが指摘するのは、「ディーゼル車がラインナップにないこと」である。燃費で比較すると、現行のガソリン1リッターは69psで22.2km/リッター、先代のディーゼル1.5リッターは64psで23.2km/リッター(いずれも欧州仕様)で、ほぼ同じといってよい。もはやディーゼルを選ぶ理由はないように思われる。
しかしながらトルクで比較すると、前者の91Nm(9.3kgm)/2850rpmに対して、ディーゼルはやはり160Nm(16.3kgm)/1900rpmと圧倒的だ。一度ディーゼルの太いトルクを味わってしまうと、なかなか離れられない。2017年、ヨーロッパ全体では2009年以来初めてガソリン仕様の販売がディーゼルを上回ったものの、いまだディーゼル信者は数多くいるのである。
本気で欲しくなった
最初にことわっておくが、以下は決して筆者の古いクルマ崇拝ではない。自動車は新しいモデルほど安全性が向上しているからだ。しかしながら、初代トゥインゴがヨーロッパで多くのユーザーを魅了したことは間違いなく事実である。
初代のデビューは発売前年の1992年パリモーターショーだった。「Twingo」とは、Twist、SwingそしてTangoからなる造語である。自動車デザイン専門サイト「carbodydesign」によると、発売前で価格も未発表だったにもかかわらず、たちまち2240件の予約を獲得したという。参考までに同年、トゥインゴの先代である「ルノー4」は31年の長い歴史に幕を閉じている。
いっぽう社会では、インターネットの商用利用が解禁となり、パリには「ユーロ・ディズニー」がオープンした年であった。ルノーの資料によると、1台の生産に要する時間は、ルノー4の31時間に対し、初代トゥインゴは14時間。生産性も極めて重視されていたのである。
筆者の知人アンナマリアも初代トゥインゴのユーザーだった。保険代理店の営業という仕事柄、オドメーターは12年間で28万0800kmを刻んだ。所有していた当時「はいはい、見てって。わが家限定の特別オプションよ!」とのたまうので何かと思えば、ペンチだった。空調スイッチが外れてしまったので、代わりにペンチで軸を回しているのだと教えてくれた。
ステアリングの樹脂も劣化してボロボロになっていた。そこで筆者はある年のクリスマスにホームセンターでトゥインゴに適用するというステアリング用カバーを買って贈呈した。それでもアンナマリアは、しばらく愛用し続けた。そして退職後の今は2代目に乗っている。
筆者自身は2003年、シチリア島で、初代トゥインゴのレンタカーとともに1週間を過ごしたことがあった。個人的にはレンタカーといえばオペルかフォードがかなりの高確率で当たってしまう身であったので、珍しい出来事であった。
日ごろレンタカーに情が移ることはない筆者だが、そのルーミーな室内とポップな色使いの内装にすっかりほれ込んだ。地中海越しのチュニジアから届く、ラジオのエキゾチックな音楽もムードを盛り上げた。そのため、旅を終える頃には本気でトゥインゴが1台欲しくなったのを覚えている。
「お嬢さま」のクルマだった
当時のセールス現場はどのようなムードだったのか。本欄第547回で紹介したルイージ・カザーリ氏が支配人を務めるルノー販売店に顔を出してみた。
カザーリ氏は「ワンボックスの卵型スタイルが斬新でしたね。室内も広い。何よりフレンドリーなムードが早速ウケました」と25年前のディーラー発表会のにぎわいを昨日のことのように語り始めた。当時イタリアではシティーカーの代表格として、初代「フィアット・パンダ」があった。しかし、その時点で誕生からはや13年が経過していた。
「人々は、そのスクエアなスタイルをはじめ、パンダに古さを感じていたのです」。
「主な顧客は?」
「いわゆる“お嬢さま”に好評でしたね」。
デビュー当時、イタリアでお嬢さまグルマといえば、「アウトビアンキY10」であった。だが、トゥインゴのオーバルシェイプが彼女たちに「かわいい」と映った。ルイージ氏と共に働くロベルト氏によると、当初は7割近くが女性ユーザーだったという。
「発売当初は、エメラルドグリーン、ピーチレッド、レモンイエロー、そしてブラックの4色のみ。パワーウィンドウも標準ではありませんでした。それでも人気でしたね」。
小さなことだが、後席がスライド可能だったことも注目されたという。
「最盛期は、4~5カ月の納車待ちでした」
アルピーヌとともに秘蔵
初代は全世界で14年間に240万台が販売され、最終年の2007年になっても欧州では毎月4000台ペースで売れていた。
やがてルイージ氏とロベルト氏が「いいものをお見せしましょう」と言いながら、階下のガレージに降りていった。そこには、彼の「アルピーヌA110」をはじめとするコンペティションカーのコレクションとともに、1台の初代トゥインゴがカバーをかけて保管されていた。
セールス歴はルイージ氏36年、ロベルト氏40年。数あるルノー製モデルのなかでも、特に販売店を支えた一台へのリスペクトが感じられた。プロにとっても、初代トゥインゴは思い出深いモデルなのである。
(文=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA> 写真=Akio Lorenzo OYA/Pampaloni/編集=渡辺 忍)

大矢 アキオ
コラムニスト/イタリア文化コメンテーター。音大でヴァイオリンを専攻、大学院で芸術学を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナ在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストやデザイン誌等に執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、22年間にわたってリポーターを務めている。『イタリア発シアワセの秘密 ― 笑って! 愛して! トスカーナの平日』(二玄社)、『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。最新刊は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。